一、魔王に翻弄される黒兎
自社のホープを前にして見惚れるどころか怯えた表情をした杏樹に年配の面接官は声を上げて笑い始めた。
その姿はいやでの教授を思い出させ、やっぱり兄弟だと認識させられた。ただなぜ笑われたのかがわからない。
それは三田亮介も同様だったようで無表情ながら上司にあたるであろう年配の面接官に方に顔を向けていた。
どうしていいかわからず笑いが収まるまで待っていると、橘面接官は急にピストルのように指を刺し出し杏樹に向かって「合格!」と言ったのだった。
何が?
ただその言葉に慄いた(のだろう)三田亮介がバッと横を向き「橘副代表!」と声を荒げていた。
そうか。この面接官ただの上司とは訳が違ったらしい。
副代表!!!
危ない危ない。私変な事言ったりしてないよね!ドッ!ドッ!ドッ!ドッ!と脈打つ心臓を抑えながら、杏樹は二人のやりとりをガン見した。
「亮介は反対かい?」
「反対も何もまだ面接は始まっていません」
確かにそうなんだよな。故に合格とは何を刺しているのやら・・・。ただその文脈から私、面接吹っ飛ばして採用されると言うことかしら?淡い期待をしながら二人のやりとりを身を乗り出す勢いで見守った。相変わらず心臓は激しく脈打つが、今はそれどころではない。
「そもそも面接なんてあってない様なもんでしょう」
持っていたペンをクルクル回しながら言う副代表。
それ、ここで言っちゃうんだ。ある意味すごいな。
「お前の時もそうだっただろう」
あ、そうなんだ。三田亮介の表情が動かないのでそこの判断は難しいが、反論がないと言うことは事実なのだろう。
「しかし・・・」
納得がいかない三田亮介が口を開いた時、副社長は回していたペンを人差し指に見立ててビシッと部下に向けると言い放った。
「いいか。俺がこの子を採用しようとする理由は大まかに二つある。一つはあの真吾が自信を持って勧めてきた学生だということだ」
真吾とは橘教授の名前だ。ありがとう教授!心の中で指を組んで拝んでおく。
「こんなことお前以来だ。実際この履歴書を見てもお前とそう見劣りしない成績だ」
ピンピン!と音を立てて書類を人差し指で叩く副代表。
見劣りねえ。ええ、ええ、その先はわかっていますよ。一番はその男なんですよね。ジェラッ!(ジェラシー)
「そしてもう一つはお前が一番気にしていることだろうが、彼女。今もお前の一挙手一投足よりこの面接がどうなるのかだけを気にしている。しかも惚けると言うよりお前に対して逆にネガティブな感情持っていそうだぞ。見てみろあの顔」
よくご存知で。しかし今はそれどころではない。私採用ですか!?
思ってもみなかった上司の言葉にここで初めて三田亮介はチラリと杏樹を見たが、その当の本人は目をキラキラさせて橘副代表をただただジッとガン見していた。
その事実を見ても了承の言葉が出てこない部下にもう一度、杏樹の履歴書をテーブル上で滑らせるように副代表は部下に渡した。
「後、最大の理由はお前の事情を彼女は知っていると踏んでのことだ」
?事情??何のこと?
杏樹が首を傾げる目の前で副代表は三田亮介の前まで持って行った履歴書の一部をトントンと人差し指で叩いた。
「日本での出身校。よく見てみろ」
そう言うと、席を立った。
「加賀見さん、君を採用する方向で動こうと思う」
まじですか!?・・・・って、その言い方は流動的ってこと??
「真吾の話では相談もあるってことらしいから、おじさん聞いてあげるよ。この後、軽ーい食事に行こうか」
ありがたいが、その誘いは受けていいのか?
警戒する素振りを見せた杏樹に副代表は部下を親指で指し「こいつも行くから」と言われたが、動かない無表情筋のイケメンが一緒の方が逆に恐ろしいのは私だけか。嫌そうな顔になった杏樹に副代表はケラケラ笑って「下で待つ」とだけ言って退出して行った。
いや、ちょっと待って下さい!ここにこの人と二人にしないで!魔王は勘弁です!
慌てふためく杏樹に対し三田亮介は履歴書を持ってじっと見ていたが急にグシャッと言う音が聞こえ、驚き恐る恐るその音の方へ視線を向けると件の先輩が先程とは違い少し表情を緩めて質問して来た。
「君は・・・一果を知っているのか」
え、知ってると何か問題があるのか?
「はい、中高と寮で同室でした」
それが何か?
「もしかして休暇の度にうちに泊まりに来ていた親友というのは」
私ですね・・・。
勝手知ったる場所とアメリカに渡る前にも泊まったなあ。もしかして私がいるからこの人実家に帰らなかったのかな!?
そーっと視線を逸らせば肯定の意味となる。
それに気がついた三田亮介はハーッと盛大にため息を着くと出入り口へと向かった。
「行くぞ」
短く言われた言葉に意味がわからず、杏樹はどちらに?とキョトンとした。
「はい?」と面接官には相応しくない返答をしたが、相手は気にしなかった。
「下で圭吾さんが待ってる。俺たちも行くぞ」
圭吾とは副代表の名前だったはずだ。面接が終わり、上司と部下でなくなったことで普段の呼び方に変わったのを肌で感じた杏樹だったが、目の前の男の言葉に慄いた。
え!正直言って嫌です!処刑台に乗せる勢いの魔王に怯え恐怖の表情になった杏樹に一瞬だが身動きを止めた若い男はふむ、と顎に手を置いた。
「一応言っておくが、実家に行っていたことを咎める気はない」
本当に?
疑り深い杏樹にへーっと上から下まで目を走らした亮介に「今の視線はアウトですよ」と半眼で返答した杏樹に驚き、むむむッと顔を突き出すように上半身を屈めた。
「珍しい」
そう呟いた面接官の言葉は杏樹の耳には届かなく首を傾げる仕草に三田亮介は家族以外で興味が湧いた初めての人物に警戒をといた。
「圭吾さんの話では君は相談事があると言っていたが、流石に面接官と一対一での接触は要らぬ誤解を生みかねない。私はあくまで付き添いだ」
な、なるほど。一理ある言い分に納得した杏樹は確かにおじさんと二人になって変なところに連れ込まれることも考えれば三人の方がいいと判断した。副代表が教授のお兄さんならそんな下衆ではないだろうが世の中わからんものだ。
実際アメリカや日本でも面接官が面接に来た若い女性に目を付け採用に口利きしてやると個別にホテルに呼び出し酔わせてセクハラを行った事例はたくさんある。大学でも再三注意喚起のビラが掲示板に貼られているのをよく見かける案件だ。
そういったことへの回避の付き添いだと言われたなら断る理由はない。善は急げだ。
スタスタと三田亮介の後を追って退出しエレベーターの方へ体を向けた時、彼が持っていた杏樹の履歴書を持ち上げて一声かけてきた。
「これを人事部に持って行って来る。君は突き当たりのエレベーターに乗って、先に地下の駐車場まで行ってくれ」
「わかりました」
触らぬ魔王に祟りなしである。一緒のエレベーターに乗らなくてよかったー!!一礼して突き当たりのエレベーターに向かった。
魔王は面接を行った部屋から出てすぐのエレベーターに乗って降りるようで、下方ボタンを押していた。杏樹がエレベーターに乗った時には魔王が乗ろうとしていたエレベーターがすでに最上階に着き扉は開いているのに、なぜかそのご本人は乗り込もうとせず杏樹を見ていた。
やっぱり何か物申したいことでもあるのか?やばいやばい!早いこと副代表のところに行かねば!!
急いで地下一階のボタンを押し閉まる瞬間、それでも面接官には良い印象を残すに限る!ともう一度深々と一礼した。
チーンという音共に扉が閉まり下へと降下する。
『うちの兄貴はね、幼い頃に起きた事故のせいで脳の一部に影響して、感情を持たないようなポーカーフェイスになっちゃったの。でも感情がないわけじゃないのよ。人より鈍いけど悲しいとか嬉しいとかは感じるようにはなったけど』
親友の言葉がリプレイされた杏樹は扉が閉まった時の姿勢のままガッデム!と顔を顰めた。
どこがよ!感情なんてどこにもないと言わんばかりの無表情魔王に鳥肌が立ちっぱなしだったわ!
『表情だけはどうにもならなかったんだよね』
続きの言葉も思い出した杏樹は、上半身を起こし壁に寄りかかりながら腕を組んで溜息を吐いてガラス張りの外の夜景を見た。
事故とはいえ、そうなってしまった彼には苦労が多かったと聞いている。一果からも三田のご両親からも。アメリカに渡りほとんど音信不通になった息子を心配して気を揉んでいた三田家の人達を見て知っている杏樹は、それでも元気そうな三田のご子息を目の当たりにし、帰ったら息災であると報告しておこうと思った。
もうちょっと表情緩めてくれたら緊張も解けるのに・・・・。まあ昔から女性には苦労していると一果から話は聞いているから然もありなんと同情した。ただ、私は人畜無害だ。恋愛どうこう考えたこともないのに同じ女という大きな括りで捉えられるのは解せん。相手が私を知らないのだから仕方ないが、それでも気分は悪い。
むすっとしたままエレベーターに乗っていた杏樹は地下に着いても気持ちを切り替えられずその表情のまま駐車場の方へと移動して行った。少し離れた位置の車からハザードランプがパパッと光ったのでそちらに足を向ければ、先ほどまでいた橘副代表が運転席の扉を開けて半分身を乗り出す形で手を振っていた。
「あれ、亮介は?」
運転席から出て扉を閉めると後部座席の扉を開けて質問してきた副代表に「書類を人事部に持って行って来るとおっしゃってました」と返答するとその表情がにこやかとはいえない杏樹の表情にあれ?と首を傾げた。
「あいつ、君に何か失礼なことしちゃったかな?」
戸惑った声が振ってきて、ここで初めて杏樹は面接官の前で失態だと被り振った。
「違います!すみません。私の個人的な劣等感や感情の行き場を失っただけです。三田面接官に非はありません」
「態度が固いのは許してやってほしい。表情に関しては君も事情は知っていると思うが、それ以上にあいつは女性で苦労しているんだ」
アメリカに来てもそうなんだ・・・。まあ、あれだけのイケメンを世のお姉様方が放っておくとは思えんし、当然の結果かもしれない。
「今までも面接に来る女性は就職活動そっちのけで亮介に言い寄ったり会社前で出待ちし始めたり、問題行動をとる子が多発してね。会社でも問題になっているんだよ」
「それはもう彼を面接官から外した方がいいのでは?」
根本的な問題解決を会社は本当に望んでいるか?
「私もそう思うんだけど、今回は真吾が指名した経緯もあって同席させたが、少なくとも会社方針ではなかったことは知っていてほしい」
は?教授からの指名とな?
どういうつもりですか!!!教授!!!!会社方針のまま橘副代表だけでよかったのでは!?私的にはその方が精神的にもよかったのですが!!!
「ハハハハ!君は思ったことが顔に出やすい性格なんだな。見ていて考えていることが手に取るようにわかるよ」
よく言われます。と視線を逸らしたところにエレベーターが一基、地下に着いた。
開いた扉から三田亮介が出てきたが、面接時のスーツは脱いだようで上半身だけサマーセーターに着替えていた。その身体的特徴がさらにはっきりとわかりセクシーさが際立っていた。
正直目のやり場に困る。副代表に後部座席の扉を開けてもらっているし、とっとと乗り込むべし!と座席に乗り込むと、扉が閉まった。その後外にいた副代表が運転席に移動すると三田亮介も一緒に移動して運転席の後部座席に乗り込んできた。
助手席もありますが!なぜ隣に乗り込むのか!!
ガッと口を開ける杏樹に副代表はバックミラー越しに説明してくれた。
「悪いね、この隣はマイワイフの特等席なんだよ」
サイですか。仲がよろしいようでうらやしいですよ。←棒読み
車がゆっくりと発車する中、魔王が身を乗り出し副代表と二人ボソボソと話し込んでいたが、杏樹は聞こえなかったために車窓の外の風景を見ながらどこに向かっているのか目視しながら憶測していた。
相談しやすいようにどこかの個室のあるホテルの飲食店か、逆に話し込むのに気にならないほど賑わっているお店にでも入るのかと思っていたら十数分ほど移動した後にパーキングに駐車された車から降ろされた。
面接官二人は歩いて移動する間も仕事の話をしているのか立場上見守り、三田亮介の斜めがけバックを目視しながらどこのブランドだろうと考えながら黙って着いて行った杏樹は着いたお店を見て驚いた。
期待を大きく外れていたからだ。地下へと続くこぢんまりとしたバーへと指差しここで話そうと言う副代表は目的のお店へと繋がる細い階段を降りていく足取りは軽かった。
いや!副代表!相談があるのにこんな雰囲気のいいバーで話せというのですか!!!周りに聞こえるんじゃ!?
愕然と足を止めた杏樹に無表情の男がスッと手の平を差し出してきた。
この手は何?
怪訝顔を魔王に向けると「大丈夫だ」と手をさらに伸ばして杏樹の目の前に持ってきた。
もしかしてエスコートですか?ヒールが高い靴を履いているからと別に降りるのに不安だったわけではないのだが・・・・好意を無碍にするのも悪いか。
ただエスコートならもう少しにこやかにしていただけると素直に手を重ねられるのですがね。ムスッとした顔で手を差し伸べられてもね。シクシクと見ない涙を流しながら、しかし面接官の前で無様に階段を踏み外すのは論外と手を重ね慎重に階段を降りると、バーの扉を開けて待っていてくれた橘副代表が意味深な表情で笑っていた。
この人は教授と一緒で何を考えているのか全く読めん。
虚無ってバーに入店すれば、思っていた通りしっとりと落ち着きのある照明も薄暗いザ・バーだった。
こんな中で相談するのかよ。そう思っていたが私は忘れていた。アメリカのど真ん中でここにいる三人が日本人であると言うことを。
そうか、日本語で話せば周りにはわからない言語での会話で周りに知られる心配はないのか!さすが副代表!これだけ静かな場所なら落ち着いて相談もできると言うものだ。大手商社の副代表にまで上り詰める人なだけある!←偏見
ここのおすすめの料理を三人分注文した副代表が飲み物を何にするかと聞いて来た。TPOを弁えソフトドリンクを注文したら「お酒飲める年だよね?」と聞いてきたので、帰りもあるのでソフトドリンクでと言うと副代表はバチン!とウインクしてきた。
「真吾から聞いてるよ。ホームステイ先に帰りたくない理由があるんだろう。だから今日は私の家に泊まるといいよ。高校生の娘もいるしゲストルームもあるから安心して飲むといい」
まじですか!?泊まる所も提供してもらえると知ってホッとした。
「もちろんここの支払いもこっち持ちだ」
あざす!では遠慮なく!
飲みやすいカクテルをお願いし面接官二人もいつものお酒を注文したようで、おつまみと飲み物が揃ったタイミングでバーのマスターが出入り口に札を立てて厨房のある壁の奥へと消えて行った。
もしかしてこれ以上の人の入店お断りにしてくれたのかな。店内には数名の男女のお客さんがそれぞれ談笑していた。室内を見まわし運ばれた数種類のおつまみを摘んでいると、副代表が話を振ってくれたので少しお酒が入ったこともあり大胆に話を切り出した。
「今現在私は窮地に立たされています!」
思っても見なかった切り出し方に二人はグフっと飲んでいたグラスを口につけたままむせていた。
杏樹の隣に座っていた橘代表は口元からだらりと飲み物を流しながら杏樹を見ていたが拭く気配がないので、驚ろかせたお詫びにスッとおしぼりを渡した。
その奥で少し目を見張った魔王が目に入って、おお!驚いている!?と表情の機微を少し感じた杏樹だったが目的はそこじゃないと副代表に視線を送った。
そこで自分が今置かれている状況を説明した。
犯罪につながる状況ゆえに無碍にもできず二人は黙り込んでしまった。
「確かにこのままそこに住み続けるのは得策ではないだろうね」
留守中に無断で室内に入って来ることや入浴中覗きかねない状況に高校生の娘を持っている副代表は顔を強張らせて言った。
それを肯定するように三田亮介も補足した。
「問題が起きてからでは遅いですからね」
同い年の妹がいる彼にしても他人事ではなかったらしい。真剣に話を聞いてくれる二人に良い解決策が出るかも!と期待する杏樹だった。
「ちなみに御社には寮がありますけど、やはりインターン生には寮の開放はされてませんよね」
一縷の望みをかけて指を組んでダメもとで聞いてみたが、やはり渋い顔をされた。
「寮かぁ、寮な。あそこは今面倒なことになっていて、新規に入居させるのもストップさせてるんだよ」
なぜに!
「会社の近くに二棟のアパートメントがあるんだが、少し前に男子寮と女子寮の間でいざこざがあって、その問題を終息させるためにこいつを男子寮から退去させたばかりでね」
こいつと言われた魔王はバツが悪そうに視線を逸らした。
「退去させるほどのいざこざって・・・・」
あ、察し。
「男子寮と女子寮は別棟なんだが隣同士でね。度々男子寮にこいつ会いたさに女性が来るもんだから、それを良しとしない男性社員が女性社員とトラブルになることが多多あったんだよ」
やっぱりね〜。期待を裏切らない回答にスン顔になる。
「亮介が浮ついた人間ではないことは誰もが知っているが、男性社員からも不平不満の声が出るのは時間の問題だった。そのため会社から亮介一人が責任を取る形で別の住居に移動させたんだ」
ご愁傷様です、魔王様。
「そう言う意味でも杏樹ちゃんが女子寮に入ったらそれはそれで大騒ぎになりそうだもんなぁ」
急に名前で呼ばれたがアメリカではよくあることなどでスルーし、副代表の大騒ぎになると言う言葉になぜ?と首を傾げた。
「あ、無自覚?そういうタイプなら尚更寮はなしだなぁ」
「圭吾さんそもそも寮に入居できるのは正社員のみですよ」
「インターンは入れないんだっけ?」
「今まで居ませんでしたよ」
二人のやりとりにやっぱりか、とガックリと肩を落とした杏樹に二人の面接官は眉を下げた。
「うちも昔はホストファミリーの申請書を大学側に出してはいたんだけどね〜。今はしてないし、困ったな」
ん?昔はしていたのに今はしていないのはなぜだ?その問題を解決すれば副代表の家に住まわせていただけるのでは!?期待を込めた目で見ていたが、それに気がついた副代表はさらに眉を下げた。
「実は昔、うちでホームステイしていたのは亮介でね」
へ?副代表の奥にいる三田面接官に視線を向ければ何を考えているのかわからない無表情で視線を真正面に向けたままグラスに口をつけていた。
「その時は何の問題もなかったんだ。でも亮介以降入居してきた子達が問題でね」
グラスに入っていた大きめの氷が揺れるグラスの中でカランと音を立てたが、副代表はじっとそのグラスの中身を揺らしながら見つめていた。
「娘が思春期を迎えて入居する学生さんを女性に限定したんだが、思わぬところでトラブルになってね」
ぐいっとグラスを煽ると、フーッと息を吐いた。
「大学卒業と共に弊社に入社した亮平を心配した妻が我が家に定期的に招待することがあってね」
そこでも杏樹は、察し。と虚無顔になった。
「出入りする亮介に色目を使ったり言い寄ったり下手したら会社にまで押しかけて来てね。何が問題って娘が激怒してね。兄のように慕っている亮介に嫌がらせをする同居人に嫌悪を示すようになって。それ以降うちは学生を受け入れる事をやめたんだよ」
ガッテム!!ここでもあんたか!!三田亮介!!!
ダン!とテーブルを両手の拳で叩いた後、二人隣の魔王を涙目で睨んだ。その視線を受け止めた後、小声で反論してきた。
「俺は不可抗力だ」
わかっちゃいるけど!!その中心にいるのがあんたでしょう!!
うわーん!とテーブルに伏せて泣くとさすがの魔王も視線を泳がせた。
そんな杏樹と亮介の間にいた副代表はふむ。と顎に手を置いて考え込んだ。
「杏樹ちゃんはさぁ」
はい?何です?と涙目で隣を見るとまた意味深な目で見つめる副代表がいた。
「家事全般は出来るの?」
家事全般?掃除とか料理のことか?
「はい。一通りは出来ます。このインターンの話が出なかったら家政婦協会に登録して働くつもりでしたし」
「はい!?」
驚いた副代表の顔が数日前に同じことを言って同じ返答をした教授を思い出した。
「そのついでに住み込みで働けたら言うことないじゃないですか!」
杏樹がキラキラした目でガッツポーズしている姿を見て、本気で言っているのがわかった二人の面接官は額に手を置いて頭が痛いと俯いた。
「そんなこと許されないぞ!」
副代表の言葉は教授と被り、杏樹は口を尖らせて反論した。
「何でですか?」
「君みたいな綺麗な子が住み込みで働くなんて手を出してくれと言っているようなもんじゃないか」
これまた教授と同じ返答に、その時と同じように意味がわからないと、もげそうな程首を傾げた。
「嘘でしょう。君、自分の容姿が人を惹きつけるほど端麗なの気づいてないのかい?」
教授にも言われたがそんなはずはないと杏樹は首を振った。
「モテただろう」
無表情で言い放った美丈夫に、あんたが言うんかい。と視線を合わせて虚無顔で否定した。
「日本にいた頃からモテませんよ。何せ私の横には一果がいましたし」
その言葉に面接官二人してグッと口吃ると、ズーンと項垂れた。
兄の亮介しかりホームステイ先の主人だった副代表も一果を知っているのだろう。あのフェロモン美女を。
高校入った頃から色んな男性に声をかけられるのは一果だけだった。卒業してその色香は一層深まるばかりで、隣にいる私は付属品のように扱われることが多かった。
そんな現実を口にすれば兄である亮介は真っ青な顔して「いやそうじゃない」と否定していたが、事実だ。
一歩も引かない杏樹に副代表はさっきから後ろから刺さる視線を追って何人かの男性の視界に捕えると、ここは現実を知ってもらおうと杏樹に提案した。
「嘘だと思うなら振り返ってこっちを見ている男性に手を振ってごらん」
なぜ?
疑問を副代表に向けるが、早く!と言う圧力に負けて言われた通りにカンターバーの背の高い椅子をくるりと回し後方に視線を向けると、なぜか数名の男性が杏樹を見てヒソヒソ話をしていた。
え、あの人たちに手を振るの?
先ほどと同じように副代表に視線を送っても同じように圧力を感じるばかりで、拒否権はない・・・。とぎこちない笑顔で手を振ってみた。
すると二名の男性は真っ赤な顔をして嫌な笑みを向けて来た。それがホームステイ先の息子ビルを思い出させ気持ち悪い感情が這い上がる。
そのタイミングで副代表が口を開いた。
「はい、亮介くん。君は杏樹ちゃんの横に移動しなさい」
この時ばかりは亮介は文句も言わず、圭吾の横から杏樹の隣にグラスだけ持って移動し椅子に座った。その時に杏樹に笑みを向けていた二人の男性を見て睨みつけることも忘れなかった。
美丈夫に睨まれ、分が悪いと判断しそそくさと奥のテーブルに引っ込んだ男性達を見て、二人の面接官は大ごとにならずに済んだと息を吐いた。
「あれはモテると言うのですか?」
変なやつにしか絡まれない私は何なのか。真剣な表情で言う綺麗な子に驚愕になったのか副代表の圭吾だった。
この子、思っていたより相当拗れてないか!?
亮介に対して誰もが自分に興味を持って欲しいとあれやこれ奔走してでも自分のものにしたいと思わせるだけの存在を前にしても反応しないのもおかしい。こいつの色男ぶりは世界共通だと思っていただけにそれが通用しない存在を目の当たりにして喫驚した。
その辺の恋愛回路が焼き切れてんのか、この子は。
そこまで考えた圭吾は頭をフル回転させた。
おそらく真吾もこの子に家政婦協会の件を相談されて考え直すように説得したはずだ。しかし彼女のこの根本的な自身の価値観への頑なな態度にお手上げ状態になり、恐らくインターン先を提供した上で俺が彼女を無碍にはしないと踏んでこっちに丸投げしたと判断した。
その思惑は嵌ったようだ。優秀な人材は会社の宝。亮介がそうであったように彼女を失うわけにはいかない。それに同じような年齢の娘を持つ父親としてもこのまま彼女をホームステイ先に返すわけにはいかない。
どこか安全で彼女一人健全に守ってくれる人間を早急に探さないといけない。
そこまで考えて、隣にいる杏樹とその奥にいる亮介をセットで視界に入って思考が停止した。今回の面接に真吾はわざわざ亮介を指名した理由はもしかして・・・・。
「なんだ。答えはすぐそばにあったんじゃないか」
副代表の言葉に意味がわからず、首を傾げる若人二人に圭吾はにやりと笑った。
「亮介、お前のマンション空きがあったよな」
「空室はありますが賃料が高いので学生の彼女には払えませんよ」
そう言う亮介に残念な子を見るような目で圭吾は溜息をついた。
「違うわ。お前の契約した部屋に使ってないゲストルームが二部屋あるだろうって言いたかったんだが」
は?
状況が飲み込めない若人二人に一から圭吾は説明し始めた。
「いいか、彼女は誰かの意図で拗れに拗れまくった面倒な子に成り下がっている」
何が言いたいのかわからないが、いい意味合いではないことは杏樹にもわかった。しかしその言葉に反論することなく考え込んだのは亮介だった。
「このままでは彼女は魔の巣窟に戻るか、誰か安全かつ健全に保護してくれる人を探さなきゃいけない。それはわかるな」
すると亮介だけでなく杏樹も頷いた。
「そこでお前だ。女性とは一歩も二歩も引いて接するお前なら間違いは起きないだろう」
・・・・・そうなのか?そこは誰が保証してくれるのだ?と思っていた杏樹に圭吾は話を振った。
「杏樹ちゃんが亮介を押し倒すことがない限り、ただの同居人で済むはずだよ」
亮介が手を出す心配より杏樹の方が距離を縮める心配をしている圭吾に杏樹はキッパリと反論した。
「それはあり得ません。私はここへは勉学のために来たのであって恋愛をしに来たわけではないので間違っても押し倒すようなことはありません」
「うーん、清々しいほどの決意宣言だね。まーでも君の今までの態度が物語っているから真実味はあるね」
だろう?と部下の亮介に視線を向ければ、否定してこないところを見ると考え込んでいると判断した圭吾はさらに提示した。
「それと合わせて杏樹ちゃんは家事全般を得意としている。これは俺たち上層部にとってもまたとない機会だと思っているよ、そうだろう亮介くん」
どう言うことだ?と首を傾げる杏樹は次の瞬間信じられない言葉を耳にする。
「お前は仕事は出来るが、家事全般は苦手だろう。寮にいた頃は食堂があるから食べることには困らなかったが、一人暮らしを始めてからはその辺どうしてる?」
「・・・・食事は外食で」
まじで!?完璧とまで思われていた三田亮介は生活力ゼロなの!?
「掃除は言わずもがなだろう。寮の荷物を運び出す時にお前の部屋の惨状は目にしているからな」
ほえー・・・・。そうなんだ。
杏樹の視線を掻い潜るように明後日の方を見る亮介を見て、アンドロイドのように見えてこの人も人なんだなと思い直した杏樹だった。
「ここで俺が提案するのは亮介の部屋の一角に杏樹ちゃんを住まわせて欲しいと言うこと。それに伴い杏樹ちゃんは対価として家事全般を手伝ってやって欲しいんだ」
ポカンとする若人二人に「どうだ。お互いウィンウィンだろう」とドヤる圭吾に、杏樹も亮介も黙り込んだ。
確かに私は安全であるならこの人との同居は・・・・いけるのか?この魔王のような人と??いやいやあの変態男と同じ屋根の下で暮らすよりはマシ・・・・なはず?!
カウンターテーブルに膝をついて頭を抱えて考え込んでいる杏樹を挟んで上司と部下は杏樹の背中越しに視線を合わせていた。
「本気ですか?」
「こんなこと冗談で言うわけないだろう」
「・・・・」
「お前の懸念は理解しているが、これは人命救助だ!」
ドヤ顔で言う上司に亮介は額に手を置いて項垂れた。
「それをあの子達が理解してくれるんですか」
亮介はこの時、自身の妹と圭吾の娘を思い浮かべていた。言い寄って来る女性よりも厄介なのが実はこの二人なのだ。ブラコン気味の妹は兄の女性問題に敏感で昔から口うるさい。圭吾の娘は尊敬する亮介を崇拝しておりそんじょそこらの女にはやらんと常に目を光らせていた。故にホームステイに来ていた女学生が亮介に擦り寄る姿を見ては髪の毛を引っ張る勢いで引き離す姿は恒例行事になりつつあったのだ。
「うちの蘭のことを言ってるんだったら、そこは俺も援護してやるよ。もう一人は杏樹ちゃんをあんな風にした張本人だろう。そこはお前がねじ伏せろよ」
「あいつが引くとは思えませんが・・・・確かに妹の友達を無碍にはできませんね。問題を抱えた彼女を放置した日にはそっちの方があいつに殺される」
「そう言うことだ。わかったら彼女を連れてここを出ろ。さっきからお前への視線と彼女への視線で俺が落ち着かねーよ」
確かに。と亮介は周りを見渡し辟易した。数人の外人女性が意味深な視線をこちらに向けながら大胆な服装で女性の武器と言わんばかり大きく開いた胸元を強調してウインクして来る姿はハイエナのように獲物を狙っているハンターのようだった。その奥では未だ彼女に視線を向ける男が数名存在していた。
亮介はハイエナから無害なウサギだと言い張る杏樹、妹の親友に視線を送ると、未だウジウジ考えているようでブツブツと呟いていた。
「おい、行くぞ」
荷物を持って椅子から立ち上がった亮介に腕を取られ急に声をかけられことに驚き、杏樹は見上げた。
「どこに?」
「住居だ」
え、もうこの話って決定なの!?待って!心の準備が!!!
パニックになっている杏樹をこのままでは埒があかないと、亮介は杏樹を俵のように肩に担ぐとバーの出入り口に移動した。
「ちょっと待って!鞄が!」
杏樹の言葉に待ってましたと言わんばかりに圭吾がいい笑顔でスーッと杏樹の荷物を持たせた。
・・・・有無を言わさないその行動に逃げ場はなかった。
助けてくれる人もいないと判断した杏樹は大人しく俵になってバーを後にした。
その後のバーの中はイケメンと美少女をゲットならずと阿鼻叫喚だったことは圭吾しか知らない。




