【郷愁の章】
この街の宿屋は余程のことがない限り一杯になることはなかった。それと言うのも、訪れるのは殆どが「荒れ鷹」であり、彼らは「鷹ノ巣」を根城にする。「鷹ノ巣」は無料で提供されている「荒れ鷹」の公共施設であり、実は「荒れ鷹」ではない人も利用は出来る。そうなれば、わざわざ宿代を払ってまで宿屋に泊まろうと思う者などいないのが世の常なのだ。
「荒れ鷹」以外でこの街を訪れるのはせいぜい旅芸人くらいである。だからこそ、宿屋は客が来ると、これ以上ないほどもてなしてくれる。ミティーが宿屋に入った時も、例外ではなかった。しかも、彼女が訪れる前にはクライシュードが宿を取っていた。一日のうちに二人も利用者がいるなど、普通では考えられない状況だった。
更に、ミティーはクライシュードとは別に部屋を取ったので、宿屋の主人は狂喜している。
「しばらく、ここを利用させてもらいますね」
「はい!お部屋は海の見える、一番良い部屋をお取りします!
どうぞよろしくお願い致します」
細かな所まで気を遣ってくれる主人に、ミティーは大袈裟だなと思いつつも、嬉しかった。部屋に案内されると、確かに、よく海が見える部屋だった。まだ陽は高く、夕焼けに染まった海は見れないが、中々の景色を彼女は満喫した。
「…もういいだろ。
そろそろ話してもらおうか?…お前の事情をな」
せっかくのいい気分を台無しにしてくれたクライシュードに、ミティーは溜息をつく。やはり軽率だったかと、自分の行動に後悔さえした。わざわざ部屋まで付いて来た彼が何も聞かないはずはない。
「誰にだって、話したくないことの一つや二つありますよね?
そう思って、聞かないでくれるとありがたいのですが?
…と言っても、そうですかと引き下がるような人ではないですよね。
じゃあ…一つだけ、あなたの質問に答えます。
それで、今は…許してください」
悲しげな表情を浮かべ、ミティーがそう告げると、クライシュードは納得いかない様子だったが、小さく溜息を付くと、質問を考え始めた。
「…そうだな、聞きたいことは山ほどあるが…。
一つだけというのなら聞くことは決まった。
ただし、一つだけなんだから、正直に答えろ。
『お前は何者だ?』」
やはりそれかと、ミティーは目を瞑り、少しの間俯いていた。他の問いならば正直に答えても良かった。だが、こればかりは正直に答えたくはなかったのだ。やがて、ゆっくりと目を開き顔を上げ、ミティーは覚悟を決めた。
「解りました。
…これから話すことは絶対に口外しないでください。
それと、話したことで、あなたも狙われることになりますが…いいんですね?」
そんなことかと、彼は鼻で笑っている。だが、静かに頷くと、彼はミティーを見やった。彼女はベッドに腰掛け、溜息を付く。
「あの黒装束の男…確かに強かった。
再び襲ってくるのなら好都合だ。
あいつは俺が倒す。この俺に戦いを挑んで来たんだ。
このまま終わらせてたまるか」
そう話すクライシュードがあまりにも楽しげだったので、ミティーは要らぬ心配かと呆れ果てる。傭兵という職業柄なのか、戦うことに一種の喜びを感じている様な雰囲気を彼に感じたミティーは、要らぬ心配をせずに話すことにした。
「あなた…えーと…ミーヴルさん?も聞いたと思いますけど…」
「クライスでいいって言っただろ?」
覚悟を決めて話しを切り出したミティーは出鼻を挫かれてしまった。軽く咳払いをし、彼女は改めて口を開く。
「えっと…クライスさんですね。聞いた通り…」
「“さん”付けも敬語もいらない。
堅苦しいのは苦手だ。肩が凝る」
更に話を遮られ、ミティーは話すのを止めようかとも思った。
「解った!解ったから、まずは聞きなさいよ!」
思わず声を荒げ、本気で怒ってしまったミティーに、クライシュードもさすがにしつこかったかと申し訳なさそうに頷いた。
「あの黒装束の男…確か名は“イヴル”とか言ったはずだけど。
あいつが私のこと、何て呼んだか覚えてる?」
やっとの思いで本題を進めると、彼女はまず確認のために彼にそう訊いた。
「ああ。
『貴様は紛れも無く、“ミティー・フェン=シューコア”だな』
…って言ってたはずだ」
そんなことばかり覚えていられても嫌だったが、ミティーはとりあえず話しを進めた。
「そう…。私の本名は“ミティー・フェン=シューコア”。
きっと…クライスはこの名の意味までは理解してないと思うんだけど…?」
少々見下した言い方に、彼はムッとしたが、事実なので何も言い返せない。
「無理もないよ。
“フェン”っていうのはその昔栄えた王国の名前…。
魔機大戦が起こるよりも遥か昔にね…。
その頃は機械なんてなくて、人々は魔法に頼った生活をしていたの。
その力は今とは比べ物にならないほどなんだ。
…その中でも、国を治めていた王家の人々は更に絶大な力を持っていた。
ただ単に魔力が強いだけじゃなくて…特異な力を持っていたの。
それが─“竜の力”」
クライシュードは黙って彼女の話を聞いている。恐らく、ここまで話しただけでも、彼は彼女が何者であるか薄々感づいているに違いない。ただ、それを話し続けるミティーの表情はとても哀しげで、無理をして語っている様だった。
「“竜の力”っていうのは…その名の通り、“竜”を従わせることができるの。
…クライスは…“竜”って知ってるよね?」
どこまでも見下した言い方だと、クライシュードは目を細めた。
「当り前だ。
伝説の存在、巨体に大きな翼を持ち、大空を飛び回り、焔を吐く。
今でもその強さと偉大さは“力”の象徴として様々な形で残されているからな」
そうだねと、ミティーは静かに頷き、続けた。
「“フェン”が栄える…いや…人々が国を興すよりも太古の昔─
“竜”は確かに存在したの。でも、『人』は“竜”を殺していった…。
ある者は自分の力を誇示するため…。
ある者は不老不死の妙薬となる“竜の血”が欲しいため…。
『人』が力をつけたことで、“竜”は絶滅の危機に陥った。
それを危惧し、手を差し伸べたのが“フェン族”と呼ばれる遊牧民だった。
…おかしいでしょ?ただの遊牧民だったんだよ?
でも、ただの遊牧民だから故に、彼らは“竜”を哀れに思った。
そしてまた『人』の愚行を悲しんだのかもしれないね…。
フェン族はね、元々魔力の強い部族だったの。
だから、魔法がすごく得意だった。
けれど、“竜”を護り続ける程の力はなかった…。
そこで“竜”は自らの血を一部の人間に与え、フェン族と契約した。
“竜”は魔力で姿を変え、フェン族が国を興す手助けもしてくれた。
…やがて“竜”は伝説の存在となり歴史の表舞台から消えていった…。
それでも“竜”を捜し求める『人』は完全には消えなかった。
だがら、フェン国は“竜”を護る為に、自分の国を滅亡させてしまったの。
“竜”の手助けも借りて興した国を“竜”を護る為に滅ぼした…。
その後“竜”の同意を得、フェン一族は“竜”を封印する方法を取った。
フェン族にしか解けない封印を、ね」
にわかには信じ難い話だったが、彼女がこんな話をでっち上げているとは思えなかったので、クライシュードは少々戸惑っていた。
「その…フェン族の末裔がお前だと…?」
「まぁ…血生臭い話を吹っ飛ばして結論を言っちゃえばそうかな。
…そうだね、詳しい話はまた今度にしよっか…?
『お前は何者だ』の答えは出たしね。質問は一つだけって言ったし」
切なげな表情や口調は消え、一変した笑顔でミティーはクライシュードを見つめると、おもむろに立ち上がった。
「?…どこか行くのか?」
壁に寄りかかり腕を組んでいたクライシュードも、ミティーが動くと体勢を整える。
「うん。ちょっと“荒野”まで下見に」
さらりと言ってのけるミティーに、クライシュードは一瞬驚きの表情を見せたが、それはすぐに笑みへと変わった。
「お前は本当に解らない奴だな。
普通は休むだろ。来た日ぐらいは…」
「そう?いいじゃん、下見なんだし。
本格的に動くのは明日からにするんだし。
あ…そうだ。えっと…クライス、これからよろしくね」
照れくさそうに笑いながら、ミティーは右手を差し出した。
「…自分の身は自分で守れるんじゃなかったのか?」
苦笑いを浮かべながら厭味を返してくるクライシュードに、ミティーは言葉に詰まった。
「う…いや…だって…」
「冗談だ。
雇ってもらえるならそれに越したことはないさ。
よろしく、シューコア」
その言葉を聞くと、彼女は安心したように笑みを浮かべる。それから二人は固い握手を交わし、やがて宿を後にした。