【夜明の章】
“光は全てを包み──
全てを赦した。
闇はやがて消え──
世界は光の下に目覚める。
全ては幻であったかのように。
いずれは忘れ去られることでも──
世界は全てを知っている。
その光があったことを──”
どこか胸の奥に響くような詩を耳にし、彼は目を開ける。
そこは古い宿屋のようであった。
窓はひび割れ、カーテンも引き裂かれている。天井や壁は所々煤けている上に、部屋の中にある家具も壊れ、散乱している状態である。廃屋と言われても仕方がない有様だ。
「ここは…」
何が起きたのかを思い出していきながら、ふと窓の外を見た。
海が見える。
体を起こすと、特にどこにも異常は見当たらない。しかし、何故か虚無感が全身を襲う。何かが足りない気がした。何かを忘れている気がした。
立ち上がり、窓に近付く。外は快晴で、雲一つない青空が広がっていた。海の手前には何かの攻撃を受けたと思われるような傷痕が残されている。だがそれは上空から降ってきた隕石のようなものがつけた物であり、人為的なものではなさそうだ。
被害もそれ程甚大ではなく、人々は復旧作業に当りながらも、いつもの生活を送っている。
ふと、背後の扉が開き、誰かが中に入って来た。反射的に身構える。入って来たのは青年で、澄んだ水色の髪と同色の優しげな瞳が印象的である。長い髪を揺らしながら、青年は近付いてきた。
「お目覚めになられたのですね。
皆さんはまだ眠ってらっしゃるというのに…、さすがです」
「…青…?」
青は微笑みながら持ってきた食事をテーブルの上に置いた。
「…どうしました?クライシュードさん」
名前を呼ばれ、ようやく覚醒したクライシュードは、再び青を見詰めた。
「……どういうことだ?俺は…『俺達』はどうなったんだ?」
「記憶が混乱しているようですね。
昨晩、私達は突然の隕石の襲来で走り回っていたではないですか。
皆さんで隕石を食い止め、街の人達の避難を手伝いましたでしょう?
…その途中で貴方は子供を庇い、隕石の直撃を受けたのですよ。
幸いにも、傷は深くなかったので、私が治癒魔法をかけるだけで済みましたが」
淡々と昨夜の出来事を話す青だったが、クライシュードは何故かそれが我が身に起こったこととは思えなかった。
「…隕石…?確かに…微かには覚えているが…」
「頭を打たれたようですから、まだお休みになられた方がよろしいかと思いますよ」
クスクスと笑いながら、青は訝しがるクライシュードを残し、部屋を出た。廊下で、青は苦渋の表情を浮かべ、小さく溜息を吐く。
─これで…よろしいのですか?ミティー様…。
小さな光がクライシュード達を掬い上げ、二匹から離れる。作り上げた戦場は崩れ、街に降り注いでいくも、それは全て途中で消滅していく。街から遠く離れた場所で、光は「竜」を形作った。青い、「竜」を。その背中には気を失った皆が乗っている。遠くでいまだ戦いを続ける二匹を、彼はただ見ていることしかできなかった。
『…ミティー様!?どういうことですか!?』
『今、説明した通りです。時間はありません。
…後の事を、よろしくお願いしますね、青…』
『し…しかし!それではイヴルに対抗できないのでは…』
『いいえ、今の私は負けません。これは自分への過信ではなく皆への信頼です。
…それに、あのままでは皆…巻き込まれてしまいますから…』
『私は…私はこれからもずっとミティー様のお傍にいます!
その命令だけは…聞けません…!』
『…青が私に反論するだなんて…初めてじゃない?
でも、貴方には首を振る権利はない…。ごめんね…。
みんなを…お願いします』
『ミティー様!!』
『“我、絆の血を以って、汝が身、古の束縛より解き放たん”
…青…今までありがとう…。これからは…あの人と共に行って下さい。
“我が声に従い、この身から飛び立て、青き聖者‘水竜’”!』
主を失った「竜」は、最後の命令を遂行するために、主が気にかけていた者達と共に行くことを決めた。自分の背中には何も知らずに眠る、この先を共にする人間たちがいる。それを一度だけ振り返ると、すぐに彼は戦いを見届ける為に向き直る。
二匹は何度も衝突し合い、その度に強い光りが街の上空を照らす。その光景は不思議と幻想的で、街から目撃している人もそれを恐ろしいとは思わなかった。何度目かの衝突で、ミノタウロスが体勢を崩した。すかさず、「竜」はミノタウロス目掛けて急降下する。咄嗟に防御体勢を取るミノタウロスだったがそれをものともせず、「竜」はミノタウロスの体を貫く。
一瞬の静寂──。
次の瞬間には、ミノタウロスは断末魔の悲鳴を上げ、消滅していく。それは闇となって街に降り注ごうとしていた。「竜」はすぐにその闇の下へと回り込み、光で闇を吸収していった。やがて闇を吸い尽くした「竜」は、よろよろと街の上空から飛び去って行く。最後の力で、街に一筋の光を差して。
『ミティー様…』
次の日、街は何事もなかったかのように、動き始めた。夜中に隕石の襲来が遭ったと、誰もが信じて疑うことはなかった。自分達を助けた一筋の光のことなど、誰も覚えているはずがなかった。今まで、傍にいた者でさえ、朧げながらも記憶を信じようとしている。それが彼らに取って幸せなのかどうかは解らない。ただ、それを、残った「竜」は全て背負わなければいけなかった。「竜」の技であるそれは、「竜」には効かない。彼は1人、真実を知りながらも隠し通さなければならないのだ。
俯きながら昨夜の出来事を思い出していた青は、顔を上げると、クライシュードの隣の部屋へと入った。そこにはまだ眠るセフィークと、それを見守るティバロの姿があった。
「…ティバロさん…。貴方も目覚めたのですか…。あなた方は本当にお強い…」
「ん…?あぁ、青か。今さっき起きたとこさ。…大変だったよな、昨日はよ」
青にとっては、その「大変」も意味が違っていたが、彼は静かに頷いた。
「セフィークも、怪我人の手当てにてんてこまいだったしな」
「えぇ…そうですね。ティバロさんも、ご苦労様でした。
もう少し休まれてはどうですか?」
ティバロを気遣うように、青は声を掛けた。しかし、ティバロは首を振る。
「いいよ。もう充分寝たし。…も少し、こうしてたいからな」
顔を綻ばせ、ティバロはセフィークを見詰める。青はそうですかとだけ言うと、すぐに部屋を出た。彼らの心にある想いは以前のままであった。想いだけは、動かすことなどできないからである。むしろ、「彼」にとってはわだかまりも消え、「今」だけを見ることができ、幸せなのかもしれない。
次に、青はさらに隣の部屋の前に立つ。皆が何も疑問を持たなければ、これ以上辛くなることはない。皆と顔を合わせる度に、罪悪感に苛まれることもない。再び溜息を漏らし、青は扉を叩いた。返事はない。恐らく、まだ眠っているのだろう。静かに中へと入ると、案の定、ユーク、マティーナ、ライナの3人は眠っていた。彼女達は今、どんな夢を見ているのだろう。
そんなことをぼんやりと考えながら、青はこれからの事を考え始めた。誰も、「黒の一族」に関する出来事を覚えていない。荒野での一件も、魔法の暴走ということで片をつけてある。今まで起こったことで「黒の一族」と「竜」に関するものは、誰の記憶の中にもなかった。新しく植えつけたものと言えば、隕石の襲来くらいなものである。
この状態で、青が皆と共に行くことは難しかった。青の立場としては、昨晩の隕石襲来で共に走り回った仲というくらいにしか、皆には面識がないことになっている。せっかく知り合ったのだからと言って付いていくことができるのか、青は少々不安になった。
─ミティー様…私は他人に虚偽を働くのは苦手です…。
暗い先行きに、青は悲しげに俯いた。
「青、どうした?」
「っ…ぁ…クライシュードさん…。いえ…少し考え事を…」
部屋から出てきたクライシュードに声を掛けられ、驚いた青は咄嗟にそう返した。
「お休みになられなくて大丈夫ですか?」
詮索をされる前にと、青はすぐに気遣う不利をして話題を逸らす。クライシュードは小さく頷くと、再び口を開いた。
「あぁ、おかげさまでな。…すまなかったな、色々と迷惑をかけたようだ…」
「いえいえ、よろしいのですよ。
私も、多くの人が傷つくのは見ていたくありませんし…」
控えめな笑みを浮かべる青に、クライシュードは笑った。
「お前は、とんだお人好しだな。
今時の冒険者や『荒れ鷹』にはお前みたいな奴はいないぞ」
「そうですか…?貴方も、私に負けず劣らずお人好しではありませんか。
…ところで、クライシュードさんはこれからいかがなさいますか?
荒野へ何かをお探しに行くのでしょうか」
さりげなく今後の予定を聞こうとする。最後の、主の命令を遂行するために。
「これから…?そうだな…ここに来たのも別段、理由があったわけでもないし…。
……ただ……」
クライシュードが言葉を濁すと、青は眉を潜めた。
「ただ…?」
「…何か…忘れているような気がするんだ。
いや…俺は元々、記憶が曖昧なんだが…。
このクーオフクに来てから今まで、何かを忘れているような…そんな気がするんだ。
それが何かは解らない…。しばらくはそれを考えたい。この街で…。
ここにいれば、きっと…思い出すだろうからな」
心の空白を埋めたいと願うクライシュードの気持ちは、痛い程に理解できたが、それは青にとっては望ましくない事だった。もしも、「竜」の力よりも強い「何か」が記憶を呼び起こしてしまったら。誰よりも、思い出して欲しいと願いながらも、誰よりも、思い出して欲しくないとも願う。二つの想いに挟まれながら、青は決断を迫られていた。この街に留まる彼に付き添うか、自分から、この街から離れるように誘うか。
「…あの…!」
「でもな、ここに残るよりも、違う街へ行って、環境をまた変えようと思う。
それによって、得られるものもあるだろうからな」
声を掛けようとした青に気付かずに、クライシュードは続けていた。一瞬、驚いた表情を見せた青も、すぐに安心したように笑みを浮かべる。
「そうですか…。…あの…よろしければ……」
「それで、…その…こんなこと言うのも何なんだが…。
よければ、青にも来て欲しいと思っている」
先程から言葉を遮られ、自分の思うようにはいかないと、心で嘆いていた青だったが、またとない言葉に、大きく頷いた。
「えぇ、勿論よろしいですよ!こちらからお願いしようとしていた所です。
是非、ご一緒させていただきます」
「そうか…すまないな。…ありがとう…。…お前は不思議だな青。
今まで俺は自分から誰かと共に行こうと思った事はない。
傭兵として雇われる以外はな。でも、お前とは…共にいたような良い気がするんだ。
よろしく頼む…」
快諾した青に、クライシュードは握手を求めた。青はその手を握り返しながらも、何故か利用されているような気がしてならなかった。そして、共にいけることを喜びながらも、早計な判断だったかもしれないと思い始めていた。しかし、ここに来て後戻りはできない。
「こちらこそ…よろしくお願い致します」
「早速で悪いが、用意ができ次第出発しようと思うんだが…、大丈夫か?」
「…随分、お早いのですね…。昨晩はあのようなことがあったというのに…。
もう1日休んでいかれてはどうですか?」
ティバロ達の話題が出てこなかったということは、彼らを連れて行くことはしないということだが、青としても、もう少し、そう、せめてあと1日は様子を見て行きたかったのだ。クライシュードとは違い、彼らの記憶が戻ることはないだろう。それでも、不穏な動きがないかを確認したかった。
「何だ…?何かあるのか…?……あぁ、そうか、あいつらの様子が気になるんだな?」
クライシュードは自分のいた部屋の隣を一瞥すると、肩を竦めた。
「好きにするといい。俺も、わがままを言わせてもらったからな。
それまで、俺は適当に街に出てるよ」
「あ…申し訳ございません…。では、お言葉に甘えさせていただきます」
頭を下げる青の横を通り過ぎ、クライシュードは階段の手すりに手をかけたところで立ち止まった。
「…それとその敬語、何とかならないのか?畏まり過ぎだ。
俺は堅いのはどうも苦手だからな…」
「どうにかと言われましても…癖ですので…」
困ったように呟く青に、クライシュードは諦めたのか、溜息混じりに「解った」とだけ言うと、階段を降りて行った。
その日の夜、眠っていたセフィーク達は目覚めた。目覚めた直後はやはり混乱しているようだったが、話をしているうちに落ち着いたらしく、特に疑問を持つことなく、「そういえば、そうだったな」と簡単に受け入れてもらえた。それを確認すると、青は満足そうにセフィーク達に別れを告げることにした。
「お体も異常はないとのことなので、私はこれで失礼させて頂きますね。
まだ無理はなさらないでください。
またどこかでお会いするかも知れませんが、その時はまたよろしくお願いします」
「もう、行っちゃうんですか?」
セフィークが驚いたように訊くと、青は静かに頷いた。
「えぇ。皆さんが大丈夫なのであれば、私がいる理由はございませんから…。
良い旅を…」
丁寧に礼をすると、青はセフィーク達が集まっていた部屋を後にした。部屋を出てすぐに、荷物をまとめたクライシュードが立っている。青は、それほどまでに早くこの街を離れたいのだろうかと、苦笑いを浮かべた。
「それでは…行きましょうか?」
「いいのか?もう…」
「そこまで用意されていながら、まだですとは申し上げられませんよ。
…ただ、今の時間に船はないと思いますよ?」
意地悪そうに笑いながら、青はクライシュードに近付く。
「…かと言って、今から眠れば、朝一の船に乗り過ごしそうだぞ?
俺はこう見えて、寝起きが悪いんだ」
「それは知りませんでしたね。朝一の船まで、起きているつもりですか?」
壁によりかかっていたクライシュードは、壁から離れ、廊下の中央に立つと、苦笑を返した。
「暇を持て余すことはないだろうからな。…そこの奴等が来るおかげで…」
ハッとして振り向いた青の後ろに、ティバロ達は立っていた。
「2人して、どこ行こうってんだい?」
「ティバロさん…」
「ここで会ったのも何かの縁ですし、ご一緒させてください」
「って、うちのリーダーが言ってるんだよねー」
「旅は道連れってことで、よろしく!」
「みんなで旅するのってー楽しいですよー」
セフィーク達は最早何を言っても付いてくる気だったので、青はクライシュードを見詰めた。
「俺は声を掛けてないぞ。こいつらが勝手について来るだけだ。
…邪魔さえしなければ、俺は構わない」
「うわっ、そういうこと言うか?普通」
「本心を言ったまでだ。…青、行くぞ」
「は…はい…!」
クライシュードと青が足早に階段を降りていくのを見て、ティバロ達は慌てて後を追う。青は結局皆が一つに固まって動く事にいささか不安を覚えながらも、今は、その仲間の一員となることに専念しようと、心から思った。
カウンターで宿の主人に代金を払い、一行が宿を出ようとすると、宿の主人の子供らしい、5,6歳の女の子が駆け寄り、扉を開け放ってくれた。最後尾のセフィークが、その女の子に向かって手を振る。
「バイバイ。またね」
女の子は笑顔で手を振り返し、一行の姿が見えなくなるまで見送ってくれた。やがて、宿の扉がゆっくりと閉じられ、再び次の客が来るのを待つ。
夜明と共に出向する船に乗り、旅人達は次の目的地を目指し始めた。そこでは何が待っているのかなど、誰にも想像できない。あるのは、新たな地へと馳せる想いだけである。
夜明に向かう旅人─「荒れ鷹」に祝福あれ。
これにて「荒れ鷹」本編は終了となります。
ここまで読んで下さった皆様方に多大なる感謝を。
本当にありがとうございました。