【変化の章】
何とか通行可能になった入り口から最初に出たのはセフィークだった。「最後でいい」と遠慮がちに首を振った彼女を、2人は無理矢理に押して遺跡から出したのだ。階段にはまだ少なからず砂が積もっていて、少し昇ったり頭を低くしたりする必要はあったが、3人はようやく外の景色を拝むことができた。
「せーちゃあぁん!」
ホッと一息ついたセフィークに向かって、ライナとマティーナが駆け寄り、抱きついた。出て来てすぐのことだったので、セフィークは危うく遺跡に逆戻りになる所だった。
「れーちゃんにまーちゃん?ずっとここにいたの?」
驚くセフィークに、マティーナは顔を上げた。
「もっちろん!」
「よく無事だったね。…何があったか知らないけど」
続いて出てきたユークも、2人を見て驚いている。最後にティバロも無事に遺跡から出てくると、ライナとマティーナは改めて3人の無事を喜んだ。
「もう…入り口が埋まってた時はどうしようかと思ったよ〜」
「無事でよかったよかった」
手を取り喜び合うライナとマティーナに、出てきた3人は首を傾げる。こうなった原因を彼女達は知っているのかと。
「だから、何があったんだよ。何で砂に埋もれたんだ?」
「ここが埋もれたっていうか…この辺りがすごい事になったっていうか…」
言い辛そうに視線を泳がせるマティーナに、ティバロはとりあえず辺りを見渡した。彼らの周囲には、今しがた出てきた遺跡の入り口以外に、人工物と思しき物が何一つなくなっていた。
「…この状況でよく無事だったな。いや、それより何があったんだ?マジで。
それに…どうやって砂を吹き飛ばしたんだ?お前ら、魔法は使えないだろ?」
ティバロの質問攻めに、マティーナとライナは顔を見合わせた。
「それはぁ…その…ね?色々あったんだよ。うんうん」
はぐらかそうとしても無駄だと解ってはいたが、マティーナはティバロに言い聞かせるようにそう言った。
「…その『色々』を聞きたいんだけど…?」
「だって…言ったら大変そうなんだもん」
もったいぶるマティーナに、ティバロは溜息を吐いた。
「話してみないと解らんだろ」
「解るから、そう言っているんだ」
その場にいる男はティバロだけではなかったが、ティバロの視界には他の男の姿はない。その為、突然耳に入ってきた男性の低い声にティバロは驚き、声の主を探す。
「全員無事だな。…もう行くぞ。
いつまでもこんな所で時間を浪費するわけにはいかないからな」
ティバロがようやくその声の主を見つけたとき、彼は背を向けていた。ティバロ達から少し離れた場所に立っていたのは、クライシュードだった。
ティバロはクライシュードを一目見るなり、心の底から怒りがこみ上げてくるのを感じた。しかし、何かがおかしい。クライシュードからミティーを連想し、ミティーからフェニーシアの言葉を思い出し、憎悪を抱くこと自体はおかしくはないかもしれない。ただし、我を忘れて相手を殺したい衝動に駆られる程の怒りを覚えたのは、今日で2度目だった。遺跡の中でミティーを斬ったことを反省したティバロは、二度と同じ過ちは繰返さないと、その怒りを抑える。
「何で…お前が…」
「好きなように想像すればいいさ。お得意の、自分には非がないようにな」
怒りを抑えている状況で、クライシュードの皮肉を受け流すのは苦労するが、ティバロは負けるわけには行かなかった。
「…あいつは…一緒じゃねぇのかよ」
その言葉に、背を向けていたクライシュードは振り返り、ティバロを睨み付けた。
「シューコアは昏睡状態だ。先に街へ戻っている。
…もっとも、そのおかげで、お前達は遺跡に閉じ込められたんだが…」
一触即発な2人の会話に、セフィークはハラハラしている。
「『竜』…か?」
「あぁ。
例の黒装束が現れ、遺跡から生還した奴等を…全て殺した。
青を除く三匹でな。
この辺一帯の有様はその時の戦いの跡だ。
…これでも、全力ではないだろう。人の姿のままだった。
恐らく、力の半分も出していないはずだ」
マティーナとライナはその時の様子を思い出し、顔面蒼白の状態だ。あれが半分の力だというのだから、尚更である。
「…昏睡状態なら、俺達に構ってないで一緒に戻りゃあ良かっただろ?
何でまだここにいるんだよ…」
「同じ事を言わせるな。好きなように想像しろと言ったはずだ。
俺はお前とは違う。怒りの感情のみで人の生死を左右しない」
クライシュードは眉を潜め、鬱陶しそうにティバロを見やる。
「あ!そうだ!ティバっち、聞いたんだから!
何でいきなり斬り付けたりしたのさ!」
マティーナが間に入ってきたので、クライシュードはそのまま立ち去ろうとした。
「確かに俺はあいつを斬った。怒りに任せて…。
今更、何を言っても言い訳にしかならないが、おかしいんだ。
体が怒りに支配された感じになって、今も…抑えるのがやっとだ…。
俺の意思に反して、怒りがこみ上げてくる。
……何かが、おかしいんだ」
ティバロは、故意に声を大きくして話した。クライシュードに聞き入れて欲しかったのだが、普通に考えると、ただの言い訳であり、聞く耳を持たなくてもおかしくはない。しかし、クライシュードは小さく溜息を吐くと、再び振り返った。
「それで…?」
「え……?」
思わぬ反応に、ティバロは目を丸くした。まさか、聞き返してくるとは思わなかったのだ。
「言い訳を考えるくらいには頭が冷えたようだからな。
続きを聞いてやると言ってるんだ。…あるんだろ」
ティバロの言葉にクライシュードは疑問を抱いていたが、少なくとも「自分に非はない」という姿からは成長していることが見受けられる。聞く価値の無い話でもなさそうだと、クライシュードは片手を腰に当て、苦笑いを浮かべた。
「あ…ああ…。だから…その…、悪かったよ。色々と。
あんたがいなきゃ俺達は出られなかっただろうし。
正直、助かったんだ。
ただ…そう思ってるはずなのに…
こう…怒りが沸いてきてる状態で…。
何がそうさせるのか、もう…自分でも解らないんだ」
遺跡の中で抱いた違和感を伝えながら首を振るティバロに、クライシュードも少し意外そうに何度か瞬きをした。反省と感謝の言葉まで聞けるとは思わなかったのだ。
「覚悟があるなら、その言葉、シューコアにも言ってやるんだな。
その事態を引き起こしている原因も解るかもしれないぞ」
ふっと笑みを浮かべ、クライシュードは歩き出した。
「っ…待て!勿論、そのつもりだぜ!?だから案内しろよ!」
早く街へ戻りたいクライシュードは、何度も足を止められてうんざりしていた。しかし、その一方で、問答無用に立ち去ることができない自分に、彼は頭を抱えてしまう。
「勘弁してくれ。そんなことをしたら、俺が殺される。
悪いが、自力で行ってくれ。宿は限られてるんだ。解るだろ?」
竜達のいる今、一番の元凶とも言えるティバロをクライシュードが連れて行くことは極めて危険だった。ティバロを助けた上にミティーの元へと連れて行くことなど、できるはずもない。無論、竜達もそんなことがあるはずがないと思っているに違いない。
「お前らを助けただけでも睨まれてるんだ。
置いていかれないうちに、シューコアの所へ戻る」
クライシュードは懐から「ブレイド」を取り出すと、まだ緑色の筒が入ったままのそれを、どこを狙うわけでもなく振り払った。すると、ティバロ達は風に包まれ、吹き上げる砂塵に視界を奪われた。その隙に、クライシュードは急いで走り去る。
風と砂塵が収まると、そこにクライシュードの姿はない。後を追おうとしていたことも、簡単に見透かされていたようだ。
「くそっ」
「うーん…逃げられたね」
ユークが笑いながら言うと、ティバロは舌打ちした。
「街に行って、宿、探そう!」
「セフィーちゃん…?」
セフィークは胸の高さで拳を作り、ティバロよりも意欲があるように見受けられる。彼女が気合を入れている真意には、全てを解決させたいという強い願いがあった。ここでティバロの心が変わらなければ、今後もミティー達と戦うことになってしまうかもしれない。それは、とても悲しいことだと、彼女は思っていた。
「今行かなきゃだめだよっ、ティバロくん!」
「だねー。このままだと、ティバっち、ずぅーっと悪者だよ」
マティーナが釘を刺すと、ティバロは眉を潜めたが、やがて静かに頷いた。
「悪者扱いは、まっぴらだ。ぜってー探してやるよ!」
ティバロらしさが戻ってきたので、ユークはやれやれと溜息を吐いた。
「そうと決まれば、さっさと行こうよ!」
その場所には少なからず人が集まってきていた。皆何があったのか解らず、ひたすら惨状を見詰めている。あまり急いで離れるのも疑われると思い、皆は知らない振りを装うように横目で遺跡の方を見ながらその場から離れた。
荒野の出入り口である門まで戻ってくると、そこにはクーオフクの役人とその護衛達がまさに通らんとするところだった。冒険者達が見た、いるはずのない所にいた機械兵Ηについて、そして、先程までいた場所で何が起きたかの調査隊と言ったところだろう。
「Ηが中心部ではなく、もっと近くに出ただと?
ハッ、そんな事があるわけないじゃないか。
いくら冒険者が優遇されていても、集団で我々を騙そうとするのは許しがたいな」
役人の1人がそう言うと、報告に言ったらしい冒険者は蒼白になりながら、首を振った。
「ほ…本当なんだ!何人もの『荒れ鷹』が殺されて…」
姿形が違うだけで、人はすぐに惑わされてしまう。戦う前から無理だと諦めるのは、人間の悪い所でもあった。敵わないと背を向けるよりも、果敢に立ち向かっていれば、真実が見えたかも知れないというのに。
「まぁ…それはおいおい解るとしても…。
問題は、その周辺がキレイさっぱり砂地に変わっている事だ。
一体、何が起きたというんだ!?」
1人でペラペラと喋っている役人に、護衛達は少々ウンザリしている様子だ。ふと、その役人がティバロ達に気が付いた。
「あぁ、お前らもアレか?
Ηがいたとか言って逃げてきたって話か?」
極力、役人と関わることは避けたかったが、他の腰抜けと一緒にされては困ると、ティバロは苛立ち、その役人と向き合う。
「Ηなんて、いなかったぜ」
「何?…ホラ見ろ!いないんじゃないか!」
役人が嬉しそうに振り向いて言うと、ティバロは付け加えた。
「ただし、Ηの姿をしたΑならいたけどな」
それまで手放しで喜んでいた役人は、慌てて振り返った。
「どういうことだ!?」
「そのまんまだよ。幻を見てたんだ。実際にいたわけじゃない。
ま、機械兵がいたことは確かだけどなー。
Αだったからなぁ。俺でも倒せたし」
自分を卑下して言う辺りが報告した冒険者への嫌味に聞こえる。冒険者はグッと口を噤み、ティバロを睨みつけてきた。
「でも、その後入った遺跡のとこ、大変なことになってたよな。
俺達も大変だったんだぜ?
遺跡に閉じ込められて…。何とか出てこれたけどな。
…おっと、こんなことしてる暇はなかったっけ。
行こうぜ、セフィーちゃん」
ティバロの言葉に嘘は無かった。何が起きたのかを見ていたわけではないのだ。
「お…おい、待て!今のは有力な情報だ!もっと詳しく…」
「悪いが、話してる暇はないんだ。…俺の命に関わってるんでね」
役人はさすがに命に関わるような用事があるのに引き止めるわけにもいかず、去り行くティバロ達を見送ることしかできなかった。
ティバロ達は安心したように、街へと入る。下手に口を滑らせてしまうと、それこそ命に関わってしまう。「竜」の事は口が裂けても言えなかった。