【生死の章】
何が起きたのか、自分でも解らなかった…──。
見上げたそこに、知った顔があったような気がしたけど──
私の意識は──
次の瞬間にはなかったのだから・・・。
彼は引き戻されるように意識を取り戻し、顔を上げた。背中や体中が痛むが、構わずに立ち上がる。そして、そこにいるべき人間を無意識に捜し始めた。その姿から、彼がまだ完全に覚醒していない事が窺える。
「ミティー様ぁ!!」
不気味な静寂を突然破る絶叫に、彼は自分を取り戻した。そして、声のしたほうを見やる。そこには血の付いた剣を持つ青年と倒れている少女、そして、それを抱き起こす青年の姿が確認できた。皆、彼の見知っている人物達だ。
「っ…貴様!シューコアに何を!!」
咄嗟に彼が手にしたのは、落ちているような普通の剣ではなく、あの「ブレイド」だった。光の刀身を見て、血の付いた剣を持った青年は眉を潜める。そして、すぐに普通の剣で受け止めるのは無理だと悟った。振り下ろしたそれを青年が右に避けると、彼─クライシュードはそれを追うように「ブレイド」を横に払う。相手はそれに合わせて後ろに飛び退いた。
「っ…クライシュードさん…」
「…青、シューコアは…!?」
ひとまず、ミティーから青年を引き離すことに成功したクライシュードは、肩越しに振り返ると治癒魔法を掛け続けている青─水竜に訊いた。
ミティーは左肩から胸にかけて斬られており、傷は浅くもなかったが、急所は外れているようだ。それでも、彼女の服が見る見るうちに赤く染まっていく。クライシュードは自分の不甲斐無さと青年に対する怒りを抱いた。
「ただで済むと思うなよ…」
低く唸るような声で、クライシュードは青年に言った。
「その女は助けを求てた男を殺したんだ!人間じゃねぇよ!」
「ミティー様は決してそのようなことは致しません!」
聞き捨てならない青年の言葉に、青は肩越しに振り返る。
「じゃあ、そいつの横に転がってるのは何だ?
どす黒い血が付いた…それはそいつの槍だ!違うか!?」
ミティーの側に転がっていた槍が、どういう経緯があってそこにあるのかは、それを見ていた者達以外には解るはずもない。ましてや、それが敵対している相手の者ならば自分達の捻じ曲がった想像へと発展するのも頷けるだろう。
「…それでは逆にこちらから聞こうか…。
どういう理由であれ、他人を傷つけるお前は人間なのか!?
見たところシューコアは無抵抗だ!
勝手に犯人と決めつけ、有無を言わさず斬りつける。
そんなお前が、人間だと言うのか!!」
クライシュードは怒りを彼にぶつけ、「ブレイド」を握り締めた。互いに言いたいことを言い合う2人の声を頼りに、ユークとセフィークがその現場までやって来た。状況を知らない2人はその光景に戸惑うばかりである。
「ど…どうなってんの…!?」
「ティバロくん!?」
青年─ティバロの意識がセフィークに向いた隙を突き、クライシュードはティバロに斬りかかった。
「っや…やめてください!」
セフィークがティバロの前に立つと、クライシュードは手を止めた。眉間の皴を深くしながらも、震えながら必死に「仲間」を庇うセフィークに彼は「ブレイド」の刃を消す。
「……いいだろう。
俺はそいつとは違う。感情に任せ人を斬ったりはしない。
お前が止めておくのならば、引くさ」
「え…?」
あっさりとクライシュードが「ブレイド」をしまったので、セフィークは拍子抜けしてしまった。状況が状況なだけに、クライシュードも不要な戦いは避けたいと考えていた。
「青…どうだ…?」
「傷は大丈夫です。まだ完全に癒えたわけではありませんが…。
血も止まりましたし、安静にしていれば問題はありません。
…ただ…この状況下ですから…。
しばらく目を覚まさないかと思われます…」
青は亡くなった男を見やると、俯いてしまった。
その時初めて、セフィークはミティーが怪我をし、また男が1人死んでいることに気が付いた。
「え…!?ど…どうしたんですか!?…これは、一体…」
「そいつが…この男を殺したんだ…!」
慌てふためくセフィークに、ティバロはミティーを睨みつけて言った。無論、そう言われて青とクライシュードが黙っているわけはない。
「ミティー様ではありません!」
「シューコアに、こんなことできるはずがない!」
「え?え!?…どどうなってるの…?
それに、シューコアさんは何で…?」
青とクライシュードは同時にティバロを睨む。
「お前が庇ったその男が斬った」
「えぇ!?ティ…ティバロくん、ホントなの!?」
驚きながら振り向くセフィークに、ティバロは気まずそうに頷いた。
「ど…どうして…?」
「だから!そいつが…!」
「ミティー様ではないと何度言ったら…!」
埒が明かないと、ユークは溜息を吐いた。ふと、周りに戸惑いながらその光景を見ている男達が目に入る。
「……あのぉ、皆さんは見てらっしゃったんですか…?」
「え、あ、…はい…」
「何があったんですか?」
男の1人が溜息混じりに頷くと、ユークは彼らに話を聞くことにした。傍観者の方が正確に話してくれるだろうと考えての選択である。そして、それは正しかった。
「…お…俺達にも…何が何だか…。
突然、Ηに襲われて…。
逃げてたらΗはいつの間にかいなくて、代わりにΔがいて…。
そこの女の人と男の人が来て、一緒に戦ってくれました。
それからしばらくして……その…巨人が現れたんです。
女の人が巨人の足にその槍を突き刺して…巨人は暴れ出して…。
男の人はその時、女の人を守って壁に叩きつけられて…。
女の人が狙われたから『彼』が巨人の気を引こうと攻撃を。
そしたら…巨人が槍を引き抜いて…『彼』に…。
女の人はすぐに治癒魔法をかけてくれたけど…間に合わなかった…。
そこに…その男が来ていきなり剣を抜いて。
『テメェがやったんだな』って…斬りつけたんです」
放心気味の為かたどたどしくはあったが、男は見たことを話してくれた。
「女の人は…俺達を助けに来てくれて…。
女の人は悪くないんです!なのに…」
「巨人…!?んな話信用できるかよ!
それこそ幻かもしれねぇだろ!
幻術を払う振りして、違う幻術かけたってことも考えられる…」
自分1人だけが悪者にされているような言われ方に、ティバロはムッとした。
─おい…青、あいつ…もう我慢ならねぇ…。
言いたい放題言いやがって…!
青の頭の中に熱くなり始めている炎の声が響くと、青は狼狽した。興奮状態の炎が出てきてしまえば、この場は更に混乱するだろう。
─いけません!この状況を更に悪化させては…。
ミティー様を安全な場所まで移すのが遅れてしまいますよ!?
─だから、お前はミティーを連れて先に出ろ。
ここは俺に任せてな!
青は炎の言葉に頭を抱えた。
─それはなおさらできませんよ…。
黄も翠も何か言ってあげてください…。
他の二匹の竜に助けを請うように語り掛ける。しかし、返って来たのは意外な言葉だった。
─ならば、私が出よう。
ミティー殿を傷付けた輩に、何もせずに立ち退くことはできない。
─俺も黄に賛成だ。
我々はミティー殿に罪がないことを知っている。
それを…あの男は…。青、お前は何とも思わないのか?
黄と翠の言うことも一理あったが、青はこれ以上ティバロ達との関係を悪化させては、後々困ることになるのではと心配していた。
─私も…これ以上の暴言暴行は許し難く思います。
ですが…ここで我々が姿を見せたら、
ミティー様はどう思われるでしょうか?
周りの方々はどう思われるでしょうか?
これ以上、ミティー様に苦しみを与えたくはないのです。
先程から黙り込んでいるように見える青に、クライシュードは他の竜と会話しているのだろうと、推測していた。その間、幸か不幸かセフィーク達は何やら揉めているようだった。
「…それに、あいつを殺せば、フェニーだって元に戻るんだぜ!?
あいつが何をしたか…セフィーちゃんだって聞いただろ?
…とにかく、これは譲れない!」
「でも…だって…。
シューコアさん、フェニーシアさんを知らなかったんでしょ?
事情も何も聞かずに斬りかかっちゃ、通り魔と同じだよっ」
困惑した表情のまま、セフィークはティバロを何とか言葉だけで制止しようと試みている。それを助けるかのように、ユークが口を開いた。
「あのフェニーシアって女があんたの何なのか知らないけどさ。
ちょっと…私情で突っ走りすぎじゃない?
何でもあの人のせいにしてさ。
何かしらの理由つけて殺そうとして。
それってどうよ?」
三者三様の意見が飛び交っている。クライシュードは三人を無視してミティーの傍に膝を付いた。
「…話は付いたのか?青」
「そ…それが、皆…あの男性を許せないと申しておりまして…。
制止しようとはしているんですが…」
クライシュードはまたややこしいことになるぞと頭を抱えている。そこへ─
「あ…あの…。モイスを運び出すの、手伝ってもらえますか」
「…あぁ、そうだな…。ここに置いていくわけにはいかない」
亡くなった男の傍にいた男が恐る恐る声を掛けてくると、クライシュードは助かったと言わんばかりに承諾した。
「そういうことだ。
ひとまず、外に出るぞ。…それでいいな」
青のみならず他の3匹にも言い聞かせるように、クライシュードは強い口調で言った。
「あ!待ちやが…」
まだ終わっていないと駆け寄るティバロに、クライシュードは剣を抜き、彼の喉元に突きつけた。鋭い眼光と抜刀の速さに、ティバロは言葉を失った。
「やめておけ。お前に『竜』は相手にできない。
今、ミティーが従える『竜』達はお前を憎んでいる。
自分達の主を傷付け侮辱したお前をな。
無論、そう考えているのは俺も同じだが…。
興奮状態の『竜』を相手にしたいのなら、続けてもいいぞ。
俺はお前がどうなろうと知ったことではないからな」
しばらくティバロを睨みつけていたクライシュードはゆっくりと剣を降ろし、鞘に収めた。
「シューコアを敵に回すのなら、『竜』と戦う覚悟を決めておけ。
ああ、それと『竜』は1匹だけでなく4匹いるらしい。
シューコアを斬ったのは、早計だったな」
嘲笑を浮かべ、クライシュードは身を翻した。誰かが持っていたのか、簡易担架のようなものに亡くなった男を乗せ、頭を置いた側を前として左右に2人、後にも左右に2人が立っている。クライシュードは右足側を持っていた男と交代し、担架を持たせてもらった。青はミティーを抱き上げその横を歩く。
一行が去っていくのを、ティバロ達はただ見つめるだけだった。クライシュードの残した言葉だけを考えながら。3人以外は誰もいなくなったその通路には、生々しい戦いの跡だけが残っていた。