【誓約の章】
廃墟と化した城跡に、水竜は降り立った。クライシュードを地面にそっと寝かせると、水竜は青い光に包まれ、人の姿へと変化していく。澄んだ水色の長髪と同色の瞳は空に吸い込まれそうな程綺麗だ。足首まで隠すほどの長いローブを身に纏い、蒼い石の付いた額飾りを付けていた。彼はクライシュードの傍に跪くと、彼に手を翳す。
「青き癒しの力にて、彼の者を救い賜ん」
翳した手から青い光が波紋のように広がり、クライシュードの体を包み込むと、彼が全身に受けた傷がみるみるうちに塞がり癒えていく。傷が完全に消えると、光は消えた。
「っ…ぅ…」
「気が付かれましたか…?」
クライシュードは慌てて体を起こした。辺りを見回し、現状を把握しようとしている。
「おい、あいつは…シューコアは?それにあの野郎は!?」
「落ち着いてください、クライシュードさん。
ミティー様はすぐにこちらへいらっしゃいます。
傷を負った貴方を運び、その傷を癒すよう、ミティー様から命を受けました。
少々悪いとは思いましたが、抵抗されては困るので、眠っていただいてました」
水竜は立ち上がり、淡々と話す。クライシュードは納得がいかないらしく、水竜を睨み付けている。
「あの野郎はシューコアを殺そうとしてたんだぞ!
あいつだけ残してくるなんて、危険すぎる!」
「本当に危険ならば、私は主の傍を離れません。
ミティー様はいつでも、相手をよく見ていらっしゃいます…。
あの方を、信じて下さい…」
完全にミティーを信じ切っている水竜とは違い、クライシュードはいまだ心配そうに辺りを見渡している。
「…クライシュードさん、貴方はミティー様に深く関わってしまった。
そして、ミティー様もまた、貴方と深く関わろうとしている。
…貴方は『あの方』に似ています…。
ミティー様もそれに気が付いているのでしょう。
もう…ミティー様にはあのような体験をして欲しくないのです。
ですから…誓ってください。
ここまで関わってしまったのなら、最後まで…ミティー様の傍にいると…」
水竜の思わぬ言葉に、クライシュードは眉を潜めた。突然何を言い出すのだと、彼は立ち上がる。
「…ちょっと待て。俺には全く話が見えない。
お前の言っている『あの方』とやらは、昨晩の事と関係があるのか?
俺はあいつのことは殆ど何も知らない。
あいつも、好んで話そうとはしない。
そんな状態で、ずっとあいつの傍にいろ…?
そんなこと、誓えると思うか?」
溜息混じりにそう吐き捨て、クライシュードは空を仰いだ。
「それでも…貴方はミティー様の傍にいるではありませんか。
…今、実際に…ここでミティー様を待っている…。
それは何故ですか?」
「それは…」
視線を一瞬だけ水竜に移し、クライシュードはすぐに俯いた。
魔弾銃の攻撃に遭いながらも平気だと言って安心させたのも、1人で自分を狙っている男といることを心配するのも、本当は何のためにやっているのか、正直クライシュード自身にも理解できていなかった。体が勝手にそう動く。それだけだった。
「貴方ならミティー様を任せられる、そんな気がするのです。
どうか…ミティー様をお願いいたします。
あの方を護れるのは、他でもない同じ人間の貴方しかいないのです」
そう言って水竜は軽く頭を下げた。クライシュードは驚き、その言葉の意味を理解する余裕もなくしてしまった。
「お…おい…!」
水竜は何かに気付き、顔を上げさらにそのまま天を見上げる。
「…いらっしゃいましたね…」
その言葉と同時に2人の前に小さな竜巻が現れ、竜巻が消えるとそこにはミティーが立っていた。クライシュードに気付き、彼女は慌てて駆け寄ってくる。
「クライス!大丈夫?」
「っ…バカ!それはこっちのセリフだ!
1人で残るなんて無茶だろ!」
今までの水竜との話のせいか、クライシュードはどことなく気まずそうに視線をミティーから逸らす。
「青…ありがとう…。
長い間待たせてすみませんでしたね…。
疲れたでしょう?もう休んでいいですよ。
『我が身癒せし水竜よ、再び我が身に宿れ』…」
水竜は最後にクライシュードに微笑みかけると、ミティーの内に戻って行った。
「今のが二匹目の竜か…。前のヤツとはえらいタイプの違うヤツだな…」
「ふふ、そうでしょ…?
青はね、4人の中で一番穏やかな性格だから。
唯一癒しの魔法を使えるんだ。
…あまり戦いには向いてないんだけどね」
笑顔を見せるミティーを見つめ、クライシュードは水竜の言葉を思い出していた。
—あの方を護れるのは、
—他でもない同じ人間の貴方しかいないのです。
それはどういう意味なのか。竜である自分にはミティーは護れないとでも言うのか。
どう考えても、クライシュードは竜よりも力があるとは思えなかった。一体何から彼女を護れと言うのかまるで解らず、クライシュードは頭を掻いた。
「…クライス?」
「あぁ…いや…、癒しの魔法を使う為にヤツ喚び出したってことは…。
最初から俺を連れ去って回復させるためだったのか?」
少し根に持つ言い方をしたクライシュードに、ミティーは困ったように首を縮ませる。
「だ…だって…」
彼女が困っている姿を見て、クライシュードは笑った。
「解ってる。…悪かったな、手間…かけさせて。
…ありがとう、助かったよ」
ポンと頭に手を乗せ、クライシュードはミティーの横を通り過ぎた。意外そうな顔で振り向き、ミティーは首を傾げた。
「クライス…?」
「どうした?行かないのか?」
城跡の入り口へ向かっていたクライシュードは一度足を止めて振り返る。ミティーは彼を追って走り出した。
「待ってよ!」
「…そもそも、ここはどこなんだ?」
「え…?」
ミティーは城跡を見渡し、記憶を探る。
「……ちょっと待て。ここがどこか解らないで来たのか?」
「え、いや、その…だって…ここまで来たのは青だし…」
自分は水竜の気を追って来たに過ぎないと、ミティーは付け足した。水竜のせいにするわけではなかったが、結果として現在位置が不明になったことに変わりはない。
「まぁいい…。適当に歩けば、何か見付かるだろう」
いざとなればミティーの魔法を使うなり、戻る方法がないわけではなかったので、クライシュードは特に気に留めず歩き出した。
「…それで、残って何してたんだ?
まさか、あの野郎と戦って、しかも勝ってきたわけじゃないだろ?」
魔弾銃を受けた借りを返してないぞと、クライシュードは不満そうに漏らす。
「ちょっとつついて来ただけだよ。
まぁ…戦って負ける気はしなかったけどね」
この自信はどこから来るのかと、クライシュードは溜息をついた。確かにミティーの強さは認めるが、自分の力を過信しているのではないかと思ってしまう。
「過信だと、思ってるでしょ?」
考えていたことを言い当てられ、クライシュードは戸惑った。
「ちゃんと、相手見てるから大丈夫だよ。
私、初めて会った時も言ったじゃん。侮るなって」
水竜もそんなことを言っていたなと、再び彼との話を思い出しながら、クライシュードはミティーから視線を逸らし、前を向いた。
「…ねぇ、クライス…? 青さ、何か言ってた?
あんまし、変なコト言われたんなら気にしないでね?
青に限ってそんなことはないと思うんだけど…」
クライシュードの様子が普段と違うので、ミティーは頻りに気にしていた。
「何も言われてないさ。ホラ、さっさと行くぞ。
…またあいつらに見付かったらしつこそうだからな」
苦笑いを浮かべ、クライシュードは顔だけ振り向いた。
「…そうだね。
ホント次から次へとよく仕掛けてくるよ…あいつらは…」
からかうつもりで言った言葉をミティーに真剣な表情で返されクライシュードは困惑してしまった。
「お…おい、そんなに神経質になるなよ…」
「でも、あいつらがまた何かを仕掛けて来るのは確かだよ。
奴等…『黒の一族』は昔から“フェン”一族の天敵だったから…。
『竜の血』が不老不死の薬になるっていうのはホントらしいんだ。
…『黒の一族』を束ねるイヴルがその証明をしたからね。
あいつは、あれでももう200年は生きてる」
城跡を後にしながら、ミティーは前よりも少し詳しい話をクライシュードにした。自分達を敵視し始めたあの男—ティバロの件について、この話をしなければいけないと思ったからだ。
「200年…そいつは人間じゃあ考えられない…か。
イヴルって言ったら、あいつだろ?俺達が組むことになった時戦った…」
ミティーは小さく頷き、気休め程度に付け足した。
「不老ってのは信じたくても、不死ってのは信じたくなよねー。
戦っても死なないのは、反則だよ…。私、しつこい男は嫌いだし…」
ここまで来たら、好き嫌いの問題ではなかったが、あえてそれを口に出さないクライシュードだった。
「…それで、さっき話の出た『聖水』とか『悪魔の水』とかってのは何なんだ?
聞いた限りじゃ、かなり酷いブツみたいだが…?」
再び、ミティーは頷き、口を開きかけた。
「た…助けてくれぇ!!」
その叫び声に遮られ、言葉が口を突いて出ることはなかった。助けを請う声を無視するわけにもいかず、2人は声の出所を探した。
「誰かぁ! 助けてくれ、頼む!! 誰か、いないのか!?」
「うわああぁぁ!!」
声は複数聞こえてくることから、荒野に出てきた冒険者の一組が緊急の事態に陥ったのだろうことが想像できた。そして、その声で、2人はようやく声の主を見付けることが出来た。2人の立っている場所からそう遠くない遺跡だ。
「どうする?シューコア」
「…極力他人とは関わりたくないけど…。
見捨てるわけにもいかないでしょ…!?」
溜息混じりにそう言うと、ミティーは先に走りだした。
「…他人と関わりたくない…か。俺だって他人…だよな?
それとも、他人からは格上げされてるのか…?」
誰に問い掛けるでもなく、クライシュードは複雑そうな表情を浮かべ、ミティーの後を追った。
いいさ。付き合ってやるよ。お望み通り、最後まで…な—。
正直に言えば、ミティーと上手くやっていく自信はなかった。だが、ミティーは初めて見付けた『記憶』の手がかりであり、また、不思議と傍にいたいと思う対象だった。自分の気持ちを確かめるように、クライシュードは自らの心に、誓った。水竜に言われた通りに—。