【酒盛の章】
──何故俺はこんな所にいるんだ…?
手にグラスを握らされ、八分目まで酒が注がれた状態で、ティバロはカウンターの席に座っていた。ここで、隣に絶世の美女でもいれば話は別だが、彼にとって、今のこの時間は、無駄としか思えなかった。
「おいおい、どうしたんだよ?
お前、しばらく会わないうちに飲まなくなったのか?
そんなわけないだろ。ホラ、もっと飲めよ!」
そんなティバロの悩みの種であるアディは陽気に酒を勧めた。
「お前なぁ…」
「何だよ…。久しぶりに会ったんだ。積もる話もあることだし…。
今日は徹夜で飲み明かそうぜ?」
肩を落とすティバロに、アディは首を傾げる。アディの心境も解らなくはなかったが、それ以上に、ティバロはセフィークと話がしたいと思っていた。会ったばかりで互いのことを何も知らない。その状態で今後もやっていこうとは全く思っていない。明日になれば、荒野へと行くことになるので、その前に話しておこうと思っていた矢先に旧友達との再会を果たしてしまった。
──まったく、ついてないな…。
ティバロは自分の運命とアディとの腐れ縁を呪った。
「…ところで、ティバロ、お前…何でココに来たんだ?」
「あぁ?ふざけんなよ?テメェが連れて来たんだろぉが!」
あまりの言葉に襟首を掴み上げようとさえ思ったが、ティバロは冷静さを保ちつつ、アディを睨んだ。
「そうじゃねぇよ!んなこと聞いてどうするんだよ!」
「じゃあ、何だってんだよ!」
今の状態に不満だらけで苛付いているティバロは、アディに八つ当たりをしていた。
「お前、もうクーオフクには来ないって言ってたじゃないか。
それで俺とも別れたんだろ?何で今更こんなとこにいるんだよ。
しかも、女だらけのパーティで」
最後の一言に微妙な棘があったが、ティバロはそれを無視して答えに悩み始めた。
「俺だって…色々あんだよ。色々と…ね」
適当とも思えるその言葉に、アディは真剣な表情でカウンターにグラスを置いた。
「…俺にも話せないのか…?」
幼馴染として、アディは自分がティバロに一番近い─親しいと自負していた。だからこそ、そんな自分にも話せないような重大な事件や事故が起きていたら、不安にも心配にもなる。
「…何を今更…。お前に話してないことなんて、一杯あるぞ」
迷いもなくそう言われると、友人、いや親友だと自負していた自分が極端に惨めに思えてしまう。アディは悔しい思いを飲み込むように、グラスに入っていた酒を一気に飲み干した。そして、グラスをカウンターにトンと置き、ティバロを見据える。
「話してくれよ、少しくらい…。ずーっと離れてたんだぜ?
少しくらい、今のお前のこと聞きたいって思っても不思議はないだろ?」
真剣に心配しているアディに、ティバロは笑みを漏らした。
変わっていない──
何かにつけて世話を焼きたがったり、かと思えば他人の面倒に付き合うのは嫌だとそっぽ向く。アディはティバロにそういう人物だと思われていた。実際に、そういう面もないわけではなかった。
「そうだな…どのみち話さないと帰してくれそうにないしな。
…何から話したらいいものか…。
って、俺はこういう話をセフィーちゃんとしようと思ってたんだぞ!?
何でお前にせにゃならんのだ!」
しみじみと語り始めようとしたティバロは、ふと我に返りアディを怒鳴りつける。同じ話をするなら、アディなんかよりも、セフィークの方が良いに決まっている。
「そう、それだ!今一番、気になる話題!
とりあえず、あの彼女達とどういう理由で一緒してるのか、教えてくれよ」
「…セフィーちゃんはやらんぞ」
半眼で返してくるティバロに、アディは呆れた。
「お前な…。
珍しく入れ込んでるみたいだけど、そんなに長いのか?
あいつらと…」
「バカか?そんなに長かったら、とっくに過去の話してるだろが。
一緒に行動し始めたのだって、出会ったのだって、今日のことだぜ?」
アディは新たに酒が注がれたグラスを手に、言葉を失っている。出会ったばかりの人間に自ら身の上話を聞かせようとしているにも関わらず自分には何一つ話そうとしないティバロに、アディは怒りさえ覚えた。
「…今日知り合ったばかりの奴に、話すことなんてないだろ?
何なんだよ…。
そんな簡単に人を信用するような奴じゃ…なかっただろ…?お前は…」
『昔』と『今』のティバロの違いに戸惑いながら、アディは口調を強くして言った。
「そうか…?
女の子だけで大変そうだし、剣士、探してるって言ってたから、じゃあって。
実際、女だけで行動させるわけに行かないじゃんか。男としてさ。
信用するとかしないとか以前の問題なんだよ…。
放っとくと、何かやらかしてそうで、すげー心配なんだ…。
こう…守りたくなるっつーか。うまく言えないけど…」
グラスの酒をあおり、ティバロは溜息をついた。アディが自分に『入れ込んでいる』と言ったことを考え始めてみる。確かにセフィークを可愛いと思っているし、守りたいとも思っていることに偽りはなかったが、それが恋とか愛情なのかは正直な所解らなかったのだ。
「…お前は変わったよ…」
「お前が変わらなさすぎなんだよ…」
寂しげに呟くアディに、ティバロはそう切り返した。1人で旅をしていれば、おのずと自分も世界も見えてくるものだと、ティバロは心底思っていた。自分がどれ程子供で浅はかだったかも思い知らされた。「荒れ鷹」として今まで旅をしてきた中で、ティバロは自分を知り、変えてきた。それは決して簡単な事ではなかったが、今の自分は嫌いではない。それなのに─。
「…昔のお前の方が、俺は好きだったな」
アディは今のティバロを受け入れてはくれなかった。過去にこだわりを見せているアディに、ティバロは少なからず失望してしまった。
「人は変わっていくものさ。
それが解らないってんなら、俺はもうお前…いや…お前らとは付き合わない。
今の俺を理解してくれない奴といても、不快になるだけだろ?互いにさ。
お前が昔の俺がいいって言うなら、思い出の中の俺だけを追い駆け続けてろよ。
でも、俺はお前の知ってる俺じゃない。
…次に会う時は、赤の他人だ。いいな?」
残りの酒を飲み干すと、ティバロは立ち上がった。アディが呆然としているが、気にも留めず、ティバロは酒場から立ち去った。
後にアディはティバロが飲み逃げしたことに気付くが、そんなことはどうでも良かった。過去と現在の隔たりが、2人の間に大きな溝を作り上げてしまったことを、アディはもどかしく感じていた。
何が彼を変えたのか──。
彼の身に何が起こったのか──。
それを知る術は彼の口から聞くこと以外になかった。昔にこだわっているつもりはない。だが、あまりに変わり果てていた彼に、すぐには順応できなかったのだ。それすらも解ってもらえず、アディは口惜しげにグラスを握る。
「…どう…して…」
友への想いが、憎しみに変わるのに、時間はかからなかった。そして、その対象はティバロだけではなく、セフィーク達全員に向けられていた。自分から友を奪ったのはセフィーク達だと勝手に決めつけ、アディはひたすらにセフィーク達を恨んだ。
アディは、酒場が店を閉めるまで、独り、酒を飲んでいた。
ティバロは部屋に戻る道すがらアディのことを考えていた。自分のことを一番理解してくれていると思っていたアディが、自分を拒絶した。自分を受け入れてはくれなかった。たかだか何年かの間に、2人には見えない隔たりが出来ていたのだと、ティバロは哀しげに俯いた。
次に会うときは、友ではない──。
もう昔には戻れない──。
自分で決めたことだったが、それは非常に辛い選択だった。自分を知ろうとしてくれる人が他にいるだろうか?今、アディを他人だと言ってしまったティバロに、その自分を知る者は他にいるはずもなかった。
突然、ティバロは言いようのない不安と孤独を感じた。誰も自分を知っている者はいない。1人で旅をしていたあの頃と、まったく同じ状況に立たされている。
目蓋にちらつく女の顔──。
孤独から救ってくれた者の、末路──。
それは今でも受け入れがたい真実だった。
ティバロは、目の前が真っ暗になるのを感じ、フラリと壁にもたれ掛かった。
—もう、あんな想いはたくさんだ…。
髪を掻き上げ、ティバロは小さく溜息をついた。最高の出会いと最悪な再会が、過去を呼び覚ます。嫌な一日だと、ティバロは皮肉を込めた笑みを浮かべ、部屋へと戻っていった。