【困惑の章】
突然、クライシュードが剣を構えたので、炎は彼を警戒し始めた。正体が知れた以上、いつ敵に回るか解らない。そう思い、炎はミティーを庇うように前に立つ。
「っテメェ!どういう…」
炎が前に出て右手に力を集中し始めるも、クライシュードはそれを無視すると、素早くミティーの背後に回った。ミティーが慌てて振り向くと、石畳の床に落ちていたはずの紅い玉が浮遊しており、クライシュードはそれ目掛けて剣を振り下ろした。
刹那、光線がクライシュードの左肩をかすめるが、今の状態のΖには火傷する程度の殺傷力しかなかった。紅い玉は二つに分断され、床に落ちるとその光を失った。
「…最後まで気を抜くな。…そこのお前もだぞ」
鞘に剣を収め、クライシュードはいつもと変わらぬ調子で言った。
「っ何だと!?」
「クライス…?」
ミティーは不思議そうにクライシュードを見つめる。その顔には、“自分の秘密を知ったのに、何故いつもと変わらないのか?”と書いてある。
「……俺はお前に雇われた傭兵だ。護衛くらいこなす」
「そうじゃなくて!…私…私は…」
言い辛そうに、ミティーは言葉を濁しながらクライシュードを見ている。
「“竜の力”を持つ、“フェン族”の末裔…お前はそう話しただろ?
…で、こいつがその竜の一人…」
「そうよ…だから…」
次の台詞は決まっていた。だが、ミティーは口に出すことがどうしてもできない。
「……テメェとはお別れってことだ」
中々言い出さないミティーに業を煮やし、炎が口を開く。
「炎!」
「何だよ、そうだろ?いつだって俺達はそうしてきたじゃねぇか!
誰とも関わらず、秘密がばれたらそいつの記憶を消して。
…他人として過ごしてきた。
そうでもしなきゃ、俺達のことが知れ渡っちまう!
…ミティー、忘れんな。俺達は“追われる身”なんだ!」
今にも泣き出しそうなミティーを見て、炎は思わず視線を逸らした。
「記憶を…消す!?まさか、お前らは俺にもそうしたのか?」
炎とミティーは驚いた様子で振り向いた。クライシュードの言葉を会話の流れ通りに当てはめるのであれば、ここは「そうしたのか」ではなく、「そうするのか」のはずだった。だが、彼は明らかに過去形で話を振っている。
「…テメェは言葉も使えないのかよ。
これから『そうする』んだよ!」
半ば呆けていたクライシュードは炎を睨み付けた。
「そんなことは解ってる!俺が言いたいのは……。
以前にも、お前らが俺の記憶を消したことがあるのかってことだ!」
脅迫するような強い調子の声に、ミティーは驚いた。今日、初めて出会った彼の記憶を、どうして消すことができるだろうか。
「んなわけねぇだろ!
一度会ってる奴だったら、ミティーと接触した時点で跳ね除けてる!
…大体、テメェは最初っから怪しかったんだよ…!
会ったこともない俺たちのことを見たことがあるだの…。
興味があるからついてくるだの…。
何者なんだよ!テメェはよ!」
それはミティーも少なからず思っていたことだった。今の炎の状態のように、実体があるのなら話は別だが、ガラスに映った実体のない竜を見ることが出来るのは、同じ『竜の力』を持つもののみである。だが、クライシュードはその力を持つどころか、力の存在すら知らない様子だった。しかも、自分のことは傭兵としか話さない彼は、確かに妖しいとしか思えなかった。
だが、ミティーはクライシュードを疑うどころか、信用して自分のことを少しでも話していた。何か、そうさせるものが、彼にはあったのだ。
「何者?そんなこと…俺が自分で知りたいぐらいだ…!」
口惜しそうに歯軋りしながら、クライシュードは呟いた。それに対し、炎は眉を潜める。
「何…言ってんだよ…。どういうことだよ!」
「そのままだ。…俺は…自分が何者なのか知らない。
…昔の記憶がないんだ。
クライシュード・ミーヴルという名も、本当の名前ではないだろうな。
名前すら思い出せなかった俺が、適当に思い付いた名で通しているだけだ」
二人は驚き、再び顔を見合わせた。記憶を消した者を忘れたことなど一度もない。忘れているとも思えない。自分達が故意的に記憶を消したのでなければ、クライシュードの記憶喪失は自然に起きた事故だということである。だが、それでも、彼が実体のない状態の竜たちを見ることができたり、その姿を覚えているということの説明はつかない。むしろ、自然の事故でなければ辻褄が合う。
「…残念だけど、私達はあなたに関わったこと…ないよ。
今日、初めて会ったもの。
クライス、ちなみに記憶がないって解ったのはいつ頃?」
初対面に変わりは無かったが、もしも、ということもある。ミティーはクライシュードが記憶を失ったと思われる頃の状況を聞きたかった。
「…2年程前だ。…ここの荒野の遺跡に倒れていた。
どこの遺跡かは解らないが…」
クライシュードは腰に下げている剣に軽く触れ、俯いた。
「持っていたものはこの剣と、許可証、旅の荷物、それに…」
そう言いながら、彼は懐から懐中時計を出した。機械の廃れた今の時代に、懐中時計などというものを持っている者など少ない。だが、ミティーはそれを見るのは二個目だった。
「…懐中時計…!?」
それはすでに壊れて止まっていたが、紛れも無く、懐中時計だった。同じものを、ミティーは何度も見たことがあった。
─ディアシスが…見せてくれたものと同じものだ…。
トクン…
ミティーは必死に否定した。ここに彼が持っていたモノと同じものを持つ別の人間がいたとしても、それは彼の死につながるわけではない。ただの一つの可能性だ。だが、クライシュードが懐中時計の裏側を見せたとき、彼女は気が遠くなるような感覚を覚えた。
「…裏側に、サインが彫ってあるが…。
気が付いたら手に握られていただけで、これが何なのか、俺にはわからん」
懐中時計の裏側に彫ってあるサインはこうだった。
『ディアシス・ソイデューク:作』
彼のサインを見間違えたことなど、ミティーにはなかった。それは、紛れも無く彼─ディアシス・ソイデュークのものだった。
─信じない…
─信じたくない…
─ディアは生きてる…!絶対…絶対に!
拳を強く握り締め、ミティーは湧き出る感情を抑えていた。
「…シューコア?」
ミティーの不自然な様子に、クライシュードは心配そうに手を伸ばす。しかし、寸前で炎に弾かれてしまった。
「触んな!
テメェ…これはどう考えたってテメェのモンじゃねぇ!
何でテメェがこれを持ってやがんだ!」
理不尽な怒りをクライシュードにぶつけるように、炎は彼を睨み付けた。
「それが解れば苦労はしないさ!
お前らはこれが何なのか…誰の持ち物なのか知っているのか?」
しばらく俯いていたミティーは、ようやく顔を上げ、真っ直ぐにクライシュードを見た。その瞳には不安も動揺も、悲しみさえも浮かんでいるように見える。
「…もう…行こう。外、暗くなるんじゃないかな?
早く町まで戻って、今日は休も…?」
それだけ言うと、ミティーは身を翻し、出口へと向かった。クライシュードは初めての手がかりと何かの手応えに、問い詰めたい衝動に駆られたが、ミティーの様子を見ていると、聞くに聞けない状態にあった。仕方が無く、クライシュードはミティーの言うことに従い、神殿跡から出ることにした。
「あぁ…そうだ、炎。
『我が身守りし炎竜よ、再び我が身に宿れ』」
不意を突かれた炎は逆らう暇もなく、紅い光となってミティーの体に入って行った。
─ミティー!不意打ちは卑怯だぞ!
頭に響く声に、ミティーは反応を示さない。
今はもう、何も考えたくなかった。