【神殿の章】
町を出たミティーとクライシュードは、一路荒野の入り口を目指していた。荒野の入り口には警備隊が立っており、通行許可証がなければ、例え役人や要人であっても通ることは出来ない。
二人は今日、登録して受け取ったばかりの許可証を見せると、荒野へと足を踏み入れた。
「さて…荒野に入ったものの、これからどうするんだ?」
クライシュードは一度足を止めて振り返る。
「言ったじゃん、下見だって。
あまり遠くには行かないけど、その辺を回れればいいよ。
それとも、クライスのオススメスポットでもある?」
「そんなものあるか。
…イソロッパスの荒野はどこよりも気に入らない」
眉をひそめながら言う彼に、ミティーは目を丸くした。ここが気に入らないのならば、なぜ許可証をもらってまで入ろうとするのか。否、それ以前にここに来たことがあるのならば許可証を持っていてもおかしくはない。
「…ここに入ったことあるの…?」
「あぁ…。でも、許可証は随分前に失くした」
拗ねたように言うクライシュードに、ミティーは思わず笑ってしまった。
「何だよ…」
「ごめんごめん、何でもないよ。
私もは前に来たことあるんだけど、小さい頃で許可証も親が持ってたんだ。
…それは色々あって燃やされちゃってね。
何だかちょっと懐かしいの…」
ミティーが哀しげな表情を浮かべると、クライシュードは顔を背けた。
(…何なんだ?…こいつを見てるとこっちまで滅入る…)
二人の間に暫し重苦しい空気が流れる。
「さてっと、じゃあ…まずはどこから行こうかな?
ちょっと見るだけだから近場の方がいいよね、クライス。
……クライス?」
話を振ったミティーに、クライシュードは反応を示さなかったので、彼女はクライシュードの顔を覗きこんだ。考え事をしていた彼は突然、視界に彼女が現れたことに驚く。
「っ…な…何だ?」
「何だ、じゃなくて!…もー、聞いてなかったでしょ!?
近場に行こうかって聞いたの!」
何だか、ミティーが段々子供のように見えて来たクライシュードは、苦笑いを浮かべ、頷いた。
「あぁ、それでいい」
自分が笑われていることに気が付き、ミティーは仏頂面で彼を睨んだ。
「…聞いてもいいか?…お前…歳は…?」
「20になったばかりだけど…?」
クライシュードはその答えに言葉を失った。ミティーは決して童顔というわけではなかったし、少し前までの言動にも、極端な幼さは感じていなかった。だが、時折見せる彼女の意外な一面は、見かけよりもずっと幼く感じざるを得ない。
「…俺も20なんだが…」
「何…?それは私は20には見えないってことかい?
そして、それよりも幼く見えるってことかい?」
目を細めるミティーに、クライシュードは反応に困った。正直に言えばそうだと大きく頷きたい心境だったが、これ以上神経を逆撫でするのには賛成できなかったのだ。
「ほら、行くんだろ!時間がなくなるぞ!」
明らかに話を終わらせようとした行動だと解るが、彼にはそれ以上の方法が見付からなかったのである。
「もぅ!」
先に歩き出したクライシュードを追い、ミティーも歩き出す。尖らせていた口は、いつしか笑みに変わった。
ミティーは久しく他人と親しく接していなかった。その為、こうして些細なことで言い合うこともなく、また、それを楽しいと感じることもなかった。彼女は実際の年齢よりもずっと若いまま、自分で時を止めていたのかもしれない。
—ミティー殿が笑われているとは…久しいですな。
頭の中に彼らの声が響くと、ミティーは首を傾げた。
—そうかな…?私…そんなに笑ってないの…?
—いえ…決してそういうわけではないのですが…。
まるであの方と過ごされているような…。
優しいような、切ないその声に、ミティーは思わず立ち止まってしまった。
—その話は…しない約束でしょう?
哀しさと少しの怒りを見せるミティーに、声の主は沈黙してしまった。
「おいシューコア、何してるんだ?行かないのか?」
現実の声に引き戻され、ミティーは顔を上げた。
「あっ、ごめん!行く行く!」
クライシュードに追いつくと、ミティーは荒野を見渡した。
─今…どこにいるの…ディア…、ディアシス…。
その名はミティーが探している人物の名だった。ディアシスがどこかで生きていることを信じ、ミティーはここまでやって来た。無論、生きている確証などはない。しかし、死んでいる確証もなかった。ミティーはディアシスが生きているだろうという希望だけを胸に、今日まで生きてきた。
─出すぎた事を申しました、ミティー殿…すみません…。
ミティー殿が再び笑顔を取り戻したのが嬉しくて…つい…。
少し口を慎みます。
感傷に浸るミティーの脳裏に、再び声が響く。
─いいえ…。
私も…少し過敏になっていたのかもしれません。
気にしないで。…ありがとう、黄…。
たそがれているとまたクライシュードが怒りそうだったので、ミティーは足早に彼の傍へと近付いた。
「ここが一番近い遺跡だろうな」
いつの間にか辿り着いていた遺跡を前に、ミティーは驚いていた。
「ここが…。入ってみても…大丈夫だよね…?」
「…何がだ…?」
時間でも気にしているのかと、クライシュードは首を傾げる。
「立ち入り禁止とかになってたら駄目かなーって…」
「そんなわけないだろ。荒野自体が許可証なしで入れないんだ。
そこに入れるなら、中で何したって何も言われないだろ」
呆れた口調でクライシュードは答えた。それもそうかと、ミティーは照れ笑いを浮かべる。
「じゃあ、中に入ろう!」
「…そうだな」
ミティーの元気についていけないのか、クライシュードは小さく溜息を付く。二人は狭い入り口を抜け、遺跡の内部へと進入した。
そこは元神殿だったようで、女神を模った像が倒れている。通路の両側に灯りの台はあれど、何年もそこに火が灯った様子はない。柱や像は無残にも倒れ、床にその欠片が散乱していた。
「…暗いね」
「あぁ。…っ痛」
静かな通路にゴンという音と、クライシュードの声が同時に響く。ミティーはすぐに左手に炎を現せると、クライシュードの顔を覗きこんだ。
「だ…大丈夫…?クライス…」
笑いをこらえているだろうミティーの顔はクライシュードにも解ったので、彼は仏頂面で顔を背けた。
「足元も頭上も危ないから気を付けて歩かないとね。行こう」
その神殿だった建物は、斜めに傾いており、半分以上が地に埋もれていた。ときたま廊下が分断されていたり、底が見えないほど深い穴の開いている所もある。
「…ここは…何の神殿だったんだろう…?」
「さぁな…だが…静かすぎる」
荒野に徘徊する「機械兵」達の気配がないのは明らかに怪しかった。何しろ、2人がいるこの遺跡は街にも近く、低級の輩が新米の「荒れ鷹」を標的にする最も良い場所なのだから。
「……クライス、何か聞こえない…?」
立ち止まったミティーが耳を澄ませている。クライシュードも立ち止まって神経を研ぎ澄ました。すると、カキンカキンと、金属で石畳を突く様な音が小さく聞こえる。
「いやな予感がするんだけど…」
「同感だ…」
音は少しずつ2人に近付いてくる。神殿の守り神を気取った「機械兵」の足音が、すぐ目前に迫っていた。2人の悪い予感は、すぐに現実のものになってしまったのだ。