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『夏溺れゆゆ』

作者: 白唯奏

 君が「夏」に飛び込んだあの日からもう数年が過ぎた。


 車体が揺れたかと思うと、急停止した。

父の荒い運転にため息を付きながら車を降りる。そこは東京とは違い、人はいないし、影ができるような高い建物がなかった。代わりに、目の前には海が広がっていた。視線をずらすと、堤防の上で釣りをする人や小学生ぐらいの子どもが数人遊んでいるのが見える。

「お義母さんはあんま動かんくてもいいけん」

「お前さんに言われとうないわ」

いつの間にか父のところに祖母がいた。祖母は腰は曲がっているが元気そうで、白寿には到底見えない。祖父はもう他界してしまったが、元気そうで良かった。

 父と共に車から荷物を下ろし終わった頃には日が暮れていた。

「比奈は病院かい?」

「ああ。子どもは女の子じゃけん」

僕達がこの町に来たのは母が里帰り出産が良いと言ったからだ。

「俺は明日、釣りに行くけん。颯太はどうするんだ?父ちゃんと行くか」

「あ、僕は」

「阿呆か。釣りなど興味があるわけないだろうが」

祖母がバシンと父の頭を叩いた。

「颯太は好きなところに行ったほうがいいわい。なぁにが釣りじゃい」

祖母が釣り嫌いなのは、きっと祖父の影響だ。昔の祖母はよく祖父と釣りをしていた。が、ある嵐の日、祖父が波にさらわれ行方不明となった。翌日、祖父は遺体となって見つかった。その日から、祖母は釣りをしなくなった。釣りをする人が嫌いなのもそれが関係しているのだろう。

「僕は釣りはいいや。散歩をするよ」

そう言うと祖母は安堵した。父は不服そうだが。


 翌日。目を覚ますと父はもう釣りに向かっていたらしく、姿はなかった。祖母と朝食を食べ、散歩に向かった。

海風に吹かれながら海沿いの道を歩いていると、防波堤の先端に人影が見えた。地元の高校なのか、セーラー服を着た同年代くらいの女の子がいた。気になって近づくと、少女が振り向いた。

「何か用?」

その少女の笑顔は、ガラスのように儚く見えた。

僕は言葉を詰まらせながら首を振った。

「な、なんでもない。ただ、気になって」

視線が下を向く。その時、あることに気がついた。

「足濡れてる、よ」

少女のローファーと靴下が湿っている。

「ああ、これはね」と言って少女がポケットからビー玉を取り出した。

ビー玉は青く、綺麗だったが、ただの玩具にしか見えなかった。

「綺麗でしょ?宝物なんだ」

「まあ、綺麗だね」

「これを海に落としたから拾ってたの。あっ、私はいとって言うの。よろしくね」

「僕は颯太。西森颯太」

僕はそう言って少女が伸ばしてきた手を握った。


 次の日は雨が降っていた。だが、それでも釣りに行くと言って聞かない父と一緒に防波堤に来た。父が早速釣り道具を広げているのを横目で見ていると、昨日と同じ少女を見かけた。いとだ。

「おはよう」

いとはビニール傘を傾けて、こちらを見た。いとのボブカットの髪が湿っていた。他にも服が。

「ちゃんと傘差してた?」

そうお節介だと思いながらも尋ねた。するといとは、「ばれちゃった」と言って笑った。

「風引くよ。それに雨降ってるし」

「それはこっちのセリフ。颯太も風引いちゃうよ」

「分かったよ。ところで何してたの?」

そう聞くと、いとは「考え事」と言っただけだった。

お互い暫く黙っていると、唐突にいとが「ねえ」と言ってきた。

「もし、無くし物を者が嫌いな人が見つけてくれても『ありがとう』って言う?」

「?」

「私のお母さんがね、海に宝物を落としちゃったんだって。青くて、キラキラしてる宝石がついたネックレスで一番大切にしてたやつ」

いとが目を伏せた。雨音が静かになり、いとの声だけがはっきりと聞こえた気がした。

「もしそれを私が拾ってきたら、お母さんは笑顔になってくれるかな。『ありがとう』って言って抱きしめてくれるかな」


 いとと出会ってから数日がたった。いととは毎日会い、あの防波堤の先端に並んで座ってくだらない話をして過ごした。いとはこの辺の中学生で、高校生の僕とはひとつ下だった。いとは、母から嫌われているんだと冗談ぽく言っていた。いとはよく空っぽのラムネ瓶に海水を入れ、夕日にかざしていた。「夕日を独り占めしてるんだ」と言って。

「颯太そろそろ帰るぞ」

父が、来たときよりも多い荷物を車に詰め込みながら言った。その隣では、母が小さい赤ん坊を抱えて祖母と話している。

「ちょっと待ってて」

帰る前にいとに会おうと思って、僕は防波堤へと走った。

いとはちゃんとそこにいた。いつもと変わらず、セーラ服姿で海を見ていた。

「いと!」

そう叫ぶと、いとはゆっくりと振り向いた。

「どうしたの?」

「今日で帰らないと行けないんだ。いと、楽しかった。ありがとう」

「そう、なんだ。……そうだ、これあげる」

いとがポケットからあの青いビー玉を取り出した。それはいとが宝物と言っていたものだった。

「え?いいの?」

「うん。私のこと忘れないでね?約束」

「ああ、約束する。またな、いと」

「へへっ、約束だよ。またね」

 

 父は僕と母、それと新しく家族になった妹を乗せ、車を発車させた。父のいつもとは違うゆっくりとした運転に母と顔を見合わせて笑った。

助手席から顔を出して、祖母に向かって手を振ったりしていると、見慣れた防波堤が見えてきた。先端にはいとの姿も見える。

「え」

いとの姿が突然消えた。と、同時に赤信号で車が止まる。

僕は思わず車から飛び出した。父と母の呼び止める声がうっすらと聞こえる。

防波堤の先端に着いた時には、いとの姿は見当たらなった。あったのは小さく折りたたまれた白い紙だけだった。

「おい、君」

知らない大人に肩を叩かれ、我に帰った。振り返るとこの町の大人たちがいて、その奥に群衆のようなものが見えた。その横には泣き叫ぶ女性の姿もあった。

「っ」

群衆の隙間から、見知った少女が横たわっているのが見えた。

「いとっ!」

「ちょっと君、あの子は」

「離してください!」

「だから、もう死んでいるんだよ!!」

視界がぐらりと傾いた。


 「颯太」

気がつくとそこは病院だった。父や母が心配そうにのぞいていた。

しばらくすると医者がやってきて「ただ少し疲れていただけだ」といって、退院となった。

帰る途中、両親がいとのことについて話してくれていたが何も耳には残らなかった。

家に帰ると、自室のベットに飛び込んだ。その時、クシャという音が聞こえて思い出した。意識を失う前に慌ててポケットに突っ込んだ紙を恐る恐る取り出した。

『夏に溺れたかっただけだよ いと』


 『お昼のニュースです。5年前、◯◯町で溺死した藤森いとさんですが』

聞き覚えのある名前がして、リモコンを押す手を止めた。

アナウンサーが淡々と語り始める。

『……事故ではなく』

棚に飾っておいたあの青いビー玉がキラリと光った気がした。

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