超痛い激痛とは何だ
季節は間もなく梅雨入りという頃。
土曜日の映画館は家族連れも多くごった返していた。
ユウスケは友人のコウジ、タカヒロと共に映画館を訪れていた。特に計画していたわけではなかった。とりあえず集まり、話の流れで映画を観ようとなったのである。
「今から入れるのは……これと、それ。
あとは満席だよ」
ユウスケが上映スケジュールと空席情報をチェックしながら言った。
ひとつは人気ドラマの劇場版。もうひとつは人気シリーズ映画の最新作だ。
「俺、どっちも見たいやつだったから、どっちでも大丈夫」
「あ、それなら俺も。
これのドラマ見てたし、そっちは一作目から全部見てるよ」
結局、今現在の空席状況を見て、より良席が購入できるほうを見ることに決まった。
ユウスケ、コウジ、タカヒロの三人は、今春大学に入学して知り合った付き合いの浅い友達である。たまたま授業で同じグループになり、たまたま同じサークルに入ったという偶然が重なり、仲良くなったのだ。
「ポップコーン買う?」
「買うー」
「ひとり一個イケる?」
「イケるー」
「ドリンクLイケるー」
軽口を叩きながら、売店の列に並ぶ。行列しているのは約十五人、五・六組といったところか。
ユウスケ達の前に並んでいるのは小さな子供を抱いた若い夫婦だ。子供に人気のアニメ作品を見るのだろう。子供がそのキャラクターの服を着ている。
「イ゛ーギャアーッ!!」
突如、前の子供が大声を出して仰け反った。
「ユウスケくん!」
「ユウスケ君! ユウスケ君!」
「ユウスケくん!」
「――――ハ不要デス」
「ユウスケくん!」
ユウスケがふと我に返ると、コウジとタカヒロがこちらを覗き込んで涙を流していた。
(ん? あれ? なんで?)
すぐには状況を理解できず周りを見渡すと、床に寝かされていることに気付いた。コウジとタカヒロの後ろには沢山の人が立ってこちらを見ている。
人々に囲まれて恥ずかしいとか戸惑うとか、そんな感情は一切ない。ユウスケが周りを見渡した直後に説明のしようがない激痛を感じたため、思考が停止したのに等しかったのだ。
「通報者のかたはどちらですか?」
映画館スタッフと救急隊員が現れた。
「倒れた方のお名前は」
救急隊員とコウジとタカヒロが話しているその横でユウスケはストレッチャーに乗せられ、ベルトで体を固定されてしまった。
どうしたんだろう、と訊ねようにも声が出せない。とにかく全身激痛なのだ。そのうち猛烈な息苦しさと眠気にも襲われて、耐えられず目を閉じるのであった。
ユウスケが次に目を開けたとき、周囲の様子が今度は病室の中であった。自分がベッドに寝かされていることはすぐに分かった。そしてすぐ傍で両親が泣いていることも。
「どうした?」
不思議だ。声を出したのも凄く久しぶりな気がする。
医師が聴診器を胸に当て、両目をライトで照らした。それが終わると看護師に何やら指示をし、指示を受けた看護師が点滴チューブの結合部に注射器で薬を入れた。
失礼します、と退出する医師に頭を下げていた父親が涙を拭いながら頭を上げて言った。
「ユウスケ、一昨日倒れたんだぞ、映画館で」
(一昨日?)
一昨日は朝から授業に出ていたはずだ、とユウスケは思った。
「昨日は丸一日寝てたんだよ」
「お友達に詳しく聞いてみるといいよ」
父親に続いて母も涙声でそう言った。
自分の身に何が起きたか全くわからないまま、その後もユウスケはベッドで寝かされたままでいた。
起きてもいいのか、動いてもいいのか、それも分からない。点滴は手の甲なので、自力で動くことはできそうだ。そのうち下腹部にチリチリとした痛みを感じ、導尿されていることに気づいた。
目覚めてからどれくらい経っただろうか。
病室に母親が戻ってきた。コウジとタカヒロを伴って。
「ユウスケ君!」
「良かった、目覚めてたね、ユウスケくん」
相変わらず涙目の母親とは異なり、友人ふたりは嬉しそうな笑顔でベッドサイドへとやってきた。
「ごめん、俺、全然状況が分かってなくて」
「わあ、ユウスケ君、しっかり喋れてるじゃん」
「活舌いいね。安心したよ」
「???」
友人達の反応がまた不思議で、ユウスケは何が何やら本当に分からず困惑するしかない。その困惑顔に気づいたタカヒロが、一連の出来事を教えてくれた。
一昨日、俺達三人は映画館にいた。
チケットを買い、ポップコーンを買う行列に並んでいた。
ユウスケの前に並んでいたのは若い夫婦。
その母親が抱いていた子供が突然むずかり仰け反ってきた。
その子の頭がユウスケの胸にぶつかってしまったため、夫婦が謝った。
ユウスケが「大丈夫」と言いかけた途端、崩れ落ちるように倒れた。
「えっ、倒れたの? 俺?」
「そうなんだよ。びっくりしたよ」
倒れたユウスケに意識はない。
コウジが周囲に助けを求め、映画館スタッフにAEDを持ってきてもらった。
タカヒロがスマホで119番通報をした。
コウジとタカヒロが心肺蘇生を行った――
「まじか。
一昨日、心肺蘇生の講習受けたばっかじゃんか」
ユウスケが言うと、友人ふたりはププっと吹き出した。
「ほら、寝てたから日付が飛んでる」
「一昨日は映画館にいたよ。
その前の日、一昨昨日だよ、心肺蘇生の講習は」
「ああ、そうなんだ……」
「真面目に講習受けてて良かったよな」
「うん。本当に」
ユウスケが倒れた原因は『心臓震盪』。胸に衝撃を受けることで心室細動を起こし最悪は死に至ることもある症状で、AEDが普及したきっかけの一つでもある。
不幸中の幸いだったのは、彼等が大学で心肺蘇生の講習を受けていたことだ。医療系セラピストを目指す大学生の彼等だからこそ、臆せず学んだことを実践できたのかもしれない。
「あの超痛い激痛、もしかして心臓マッサージかー」
「超痛い激痛って」
「その言い方ー」
「いやいや、まじでめっちゃ痛かったって。
もしかして電気ショックも痛かったのかな」
とにかく、生きてて良かったよ。
三人が笑う病室の外には嬉し泣きに咽ぶ両親と、あの若い夫婦が立っていた。