第4章:賢者学院での本格調査(1)
早朝の王都ローゼンベルグ。
大通りがまだ薄青い影を帯びている頃、神崎レイジは王国騎士団の詰所を出発していた。
この日、彼は賢者学院で行われる『本格的な魔力調査』に参加する。
先日の初歩的な測定だけでは、レイジの力の危険性を断片的にしか把握できていなかったのだ。
「行くぞ、レイジ。隊長から、学院までは私が同行するよう言われている」
声をかけてきたのは若い騎士・リカルド。
アリシア本人は別の報告業務で朝から王宮へ赴かなければならないらしく、今日は代わりにリカルドがレイジの護衛兼案内役を務めるらしい。
レイジは苦笑しながら支度を整える。
詰所の一室を寝泊まりの部屋として使わせてもらっているが、やはり慣れない環境に落ち着かない。
数日前まで普通の高校生だった自分が、まさか『異世界の騎士団宿舎』で生活しているなど想像もしていなかった。
詰所の門を出ると、外は早朝にもかかわらず王都の人々が動き始めていた。
パン屋が焚き火を起こしてパン生地を焼いたり、露店の商人が台車を引いて通りに並んだり。
人びとが暮らす活気ある風景が広がっている。
「賢者学院って、前にも行った場所だよね。セトさんに軽く測定してもらった……」
「あの時は簡易計測だ。今回はもっと規模が大きい分析を行うと聞いてる。学院の『深層解析区画』という場所を使うそうだ」
リカルドの説明によると、学院にはさまざまな研究室や資料庫があり、王国でも最先端の魔術理論や錬金術の成果が集積されているという。
その中でも『深層解析区画』は高位の魔術装置や儀式空間が準備されており、非常に厳重な管理が敷かれているらしい。
「つまり、普通の魔術師じゃ滅多に入れない特別な場所ってことか……。なんか余計に緊張するな」
レイジは自分の胸元を押さえる。
まだ異世界の空気にも、王都の雰囲気にも慣れ切っていない。
それなのに、そんな特別区画で自分の魔力を調査されるなど、気が重いと同時に妙な期待感もある。
すると、少し先を歩いていたリカルドが小声で言った。
「それにしても、世間はほんとに『英雄様』扱いだよな。昨日なんか、詰所の近くでお前を一目見ようと騒いでた子どもたちがいてさ」
「あはは……なんだか居心地悪いよ。そんなに偉いことはしてないし、むしろ力のせいで困ってるくらいなのに」
レイジは苦笑する。
すれ違う人々の中には、彼の姿を見て「あっ、あの噂の……」と指をさし、囁く者もいる。
『魔物を倒した救世主』『賢者学院でも驚異の測定値を記録』――そうした情報が王都で流布しているようだ。
胸にわだかまる罪悪感と不安。
それを抱えたまま、レイジはリカルドと並んで賢者学院へと向かう。
◇◇◇
白亜の門を抜け、広い敷地を歩いていくと、賢者学院の正面棟が見える。
学院生らしき若者やローブ姿の研究者が行き交い、何やら魔術実験の話題を口にしている。
学問の中心地だけあって、漂う空気は王都市街の喧騒とは違い、どこか静謐で理知的だ。
「ここから奥まったところに『深層解析区画』があるらしい。学院職員に聞けばわかるだろう」
リカルドはそう言って守衛のような職員に案内を頼む。
すると、やって来たのは以前レイジと対面したセト・ノースフィールド本人だった。
茶髪を短く整え、ローブの袖をまくり上げた姿は相変わらず眠たげだが、その眼には鋭い知性が宿っている。
「おはよう、レイジに……リカルドだったかな。アリシアの部下の方だね。さっそく来てくれたか。準備はほぼ整っているよ」
にこりと微笑むセトに、レイジは「おはようございます、今日もよろしくお願いします」と頭を下げる。
セトは小さく頷くと、学院の廊下を案内しながら話し始める。
「今回は、君の魔力がどの程度世界の魔力循環に干渉しうるかを、より詳細に測定する。学院長老も立ち会うから、失礼のないようにお願いしたいな」
「学院長老……あの、すごい偉い人、ですよね?」
「うん、賢者学院を実質的に取り仕切る最高評議員だ。大賢者とも呼ばれているが、研究や政治的采配において圧倒的な知識と経験を持っている。滅多に表に出てこないんだけど、今回は特例だよ」
セトの説明を聞くと、レイジはますます肩に力が入ってしまう。
騎士に続き、賢者学院の重鎮にまで注目されるとは――普通の高校生には荷が重すぎる状況だ。
やがて、少し薄暗い通路を進むと巨大な扉が目に入った。
鉄製の枠に魔術的な紋様が刻まれており、二人の守衛が厳重に見張っている。
『深層解析区画』の入り口らしい。
扉が重々しく開き、中へ足を踏み入れると、一気に空気が変わった。
中は円形ドームのような空間で、天井まで続く石造りの壁にびっしりと魔術文字が刻まれている。
中央の床には幾重もの魔法陣が描かれ、各所にクリスタルや測定器らしきものが配置されていた。
まるで神殿のような厳かな雰囲気だ。
「すごい……」
レイジが思わず息を呑むと、セトは得意そうにうなずく。
「ここは高位の魔術儀式や、世界規模の魔力解析を行うために作られた特別空間だ。王宮でも似たような儀式場があるらしいけど、学院のほうが設備は充実していると言われているよ」
そこに待ち受けていたのは数名の学院スタッフと、一人の年配男性――長い白髪と顎鬚を持ち、小柄な体格ながら背筋がぴんと伸びた老人だった。
これが賢者学院の長老なのだろう。
「そなたがレイジか。随分と若いのう……」
その老人――学院の長老は、皺深い眼差しでレイジを見据える。
彼の瞳には長年積み上げた知識と威厳が宿っており、レイジは自然と背筋を伸ばした。
「は、はじめまして……どうぞ、よろしくお願いします」
「うむ。セトから聞いておるが、そなたの魔力解析は容易ではないそうじゃな。われらも協力しよう」
長老の言葉に、レイジはただ緊張気味に頷く。
リカルドはそのやり取りを後方で見守りながら、騎士の任務として周囲に目を光らせている。
やがて、セトと長老が手分けして設置物を確認し始めた。
周囲のスタッフが魔術的な装置に触れ、いくつかの水晶球や転写符を起動している。
すると、床の魔法陣がゆっくりと光を帯び始めた。
「レイジ、中央の円形台の上に立ってくれ。まずは魔力量を徐々に開放するところから始める。今回は前回よりも精密に数値を取るから、気をつけて」
セトに促され、レイジは円台の上へと歩を進める。
何層にもわたる魔術文字が円を描き、その中心に立つと背後にぞわりとした感覚を覚えた。
不安は尽きないが、避けては通れない道だ。
レイジは深呼吸し、ゆっくりと意識を集中させる。
右手のひらに、ほんの少しだけ魔力を込めるイメージを描く。
すると、円台の周囲に配置されたクリスタル群が淡く光り始める。
魔法陣の文字がレイジの足元からじわりと輝きを広げ、水面に波紋が広がるようにドーム全体へと連動していく。
「いい調子だ。今のところ危険な反応は出ていない」
セトが背後で呟く。
その横で長老が眼を細め、術式の動きを注視していた。
「やはり常人の魔術回路とはかなり性質が違うのう。まるで、膨大な魔力そのものが独立した『器』を持っておるようにも見える」
「器、ですか……?」
レイジが聞き返すと、長老は短く頷く。
「通常の人間は、自身の体内にある程度の魔力の流れを宿しているが、それは世界に散在する命輝石のエネルギーと微弱につながっておる。しかし、おぬしはそのつながりが『異常に太い』のじゃ。いや、太いというよりは『直接飲み込んでいる』と言うべきか……」
その言葉にレイジはギクリとする。
『命輝石を吸い取ってしまうかもしれない』という危惧が、まさに裏づけられるような表現だ。
「では、このまま魔力を少しずつ上げていってくれ。危険を感じたら即座に声をかけなさい」
セトの指示が飛ぶ。
レイジは再び集中し、手のひらにもう少し強い魔力を練り込む。
部屋の温度がわずかに上がり、光が強まる。
魔法陣の一部が火のような赤を帯び始めるのが見えた。
レイジは焦らず、じっくり力の制御を試みる。
すると、先日学院で測定したときよりはマシな手応えがあるように感じた。
(少しだけ慣れてきた……か?)
激痛や倒れそうな感覚はないが、体内で熱が渦巻いている感覚は相変わらずだ。
もし意識を緩めれば暴走するかもしれない、という恐怖がつきまとっている。
やがて解析装置が激しく光を瞬かせはじめ、セトと長老が複数の魔道具を操作する。
壁際ではリカルドがハラハラしながら見守り、スタッフたちが術式の安定を図るために呪文を唱えている。
「ここまでだ、レイジ。魔力放出を止めてくれ」
セトの声に従い、レイジは大きく息をついて魔力を収束する。
瞬間、クリスタルの輝きが一気に落ち着き、ドーム内の光が淡く揺らめいた。
セトは深い安堵の息をつきほほ笑む。
それを受けて、長老も円台に近づき、レイジをじっと見上げた。
「多少の制御は覚えつつあるようじゃが……このままではいずれ限界が来るぞ。おぬしの力は、命輝石の枯渇を引き起こす可能性がある。あちこちの命輝石を少しずつ『奪っている』状態に近いからな」
「そんな……。じゃあ、使えば使うほど世界を蝕むってことですか……?」
レイジはうつむく。
自分で自覚していた最悪の不安を、こうして賢者学院の長老がはっきり断言すると、胃の奥が重くなるような感覚が襲ってくる。
セトが真剣な表情で補足する。
「命輝石は世界全体に散らばる『魔力の核』なんだ。大きなものは王都や学院で管理されているが、小さい欠片は辺境や魔物の巣にも存在する。世界中の命輝石が少しずつ衰退すれば、やがて魔法技術が使えなくなるだけでなく、自然環境にも異変が出る。つまり……世界の寿命が縮まる、ということさ」
「世界の寿命……」
その言葉にレイジは思わず目を見開く。
自分がこのまま力を乱用すれば、最悪の場合、世界全体を滅ぼす引き金を引いてしまうかもしれない。
「じゃあ、俺はどうすれば……! 助けられる人がいても、力を使わないほうがいいんですか……?」
焦りを含んだ声で尋ねると、セトは微妙に言いにくそうな顔をして口を開く。
「それを判断するのは君自身だ。でも、何も手を打たずに放置するのは危険だね。封印術を施すか、あるいは力をコントロールする別の手段を探るか。どちらにしても簡単じゃない」
レイジは言葉を失った。
命輝石との連動を断つために、封印されるかもしれない――そんな未来を想像すると胸が苦しくなる。
一方で、封印を逃れた結果、世界崩壊を招くリスクもあるのだ。
レイジの沈黙を見かねて、長老が厳かに声を発する。
「わしら学院としては、まず『封印』を検討せざるを得んと思っておる。おぬしの力は大きすぎる。最悪の場合、災厄をもたらす存在になりかねんからな」
封印。
その言葉は重く、レイジの心を鉛のように沈ませる。
もし封印されたら、自分の意思とは関係なく、ただ生き延びるだけの存在になるのだろうか。
すると、セトが横から補足する。
「ただし、完全封印だけが選択肢じゃない。レイジが制御術を身につけて『力の使い方』を限りなく正確に運用できるなら、世界を救う可能性だってある。実際、そのための研究も進めたいんだ」
「研究……?」
レイジが聞き返すと、セトは少し熱を帯びた目つきで頷く。
「君の魔力には『命輝石に干渉する性質』がある。けれど、逆に言えば『衰退しかけた命輝石に活力を与えられる』可能性もゼロじゃないはずなんだ。今は吸収するだけの形だけれど、うまく魔力を循環させられたら……命輝石を再生させたり、世界のバランスを保ったり、そんな夢物語だってあり得る」
その言葉に、レイジの心はわずかに希望を見出す。
もしそんな制御法があるなら、自分の力を人助けに使えるかもしれない。
「そ、そんなことができたら、最高ですね……。でも、そんな方法があるんですか?」
「正直、道のりは遠い。だが、世界には古来から精霊や命輝石の核心を利用する術があるとされる。あるいは『精霊王の伝承』や、聖域の存在――それらの情報がまだ解明されていないからね」
そこで長老が静かに咳払いし、二人の会話に割り込む。
「希望を語るのは自由じゃが、実現の難易度は計り知れん。わしら学院も全力を尽くすが、王国や連合軍、さらには闇の組織も黙ってはおるまい。多くの争いが起きる可能性もある……。レイジよ、おぬしを封印するか、それとも協力して制御法を探すか。いずれ決断の時が来よう」
レイジは固唾を呑む。
いわば二択だ。
一方は確実に世界を守れるかもしれないが、自分は何もできなくなる。
もう一方は危険を伴うが、世界を救うために『力を使いこなす』道――。
どちらを選ぶのが正解なのか、今はまだわからない。
迷いが深まるばかりだった。