第3章:王都での歓迎と英雄視の裏(1)
草原と森が交互に広がる道を数日かけて進み、馬車や騎士団の行列がようやく視界を抜けた先――そこに、巨大な石壁に囲まれた都市が姿を現した。
高さ十数メートルはあろうかという堅牢な城壁が、はるか遠方まで延びている。
その壁の内側には、白く輝く建造物が幾重にも重なり合っていた。
そびえ立つ尖塔や城郭、整然と並ぶ屋根の群れ。
それらが見渡す限りの範囲に詰まっている。
「あれが王都、ローゼンベルグ……」
馬車の窓から顔を出した神崎レイジは、思わず言葉を失う。
自分が住んでいた日本の都市とはまったく違う、中世ファンタジーの世界そのものだ。
けれど、高層ビルはない代わりに教会の塔や城壁が壮大さを演出しており、むしろ近代都市にも負けない威圧感を放っている。
「見えてきたね。あれが俺たちの王都さ」
騎士リカルドが少し得意気な口調で窓越しに教えてくれる。
これまで数日の道中、レイジはこのリカルドに何度も話を聞いていたが、彼曰くローゼンベルグ王国は大陸中央部に位置し、豊かな領土を有する大国なのだという。
「すごい規模だな……。こんな壁、一体どうやって建てたんだろう」
レイジが素直に感嘆を漏らすと、リカルドは笑いながら答える。
「古代の時代から増改築されてるけど、要所には強力な魔術が使われているって話だよ。 賢者学院や王家の術式のおかげで、攻城戦でも滅多に破られないらしい」
なるほど、とレイジはうなずきつつも、『魔術』という概念を改めて意識する。
今のところ自分はそれを制御できていない。
そんな未知の力が、国を築き、防衛し、人々の生活を支えている世界なのだ。
◇◇◇
市街に近づくにつれ、道幅は広がり、行き交う旅人や商隊の数が急激に増えた。
重い荷馬車を牽く商人や、各地の訛りを持つ人々、さらには異種族の姿らしき集団も見える。
二足歩行の獣耳を持つ者や、森の精霊を祀る衣装を纏った者など、レイジにとってはまるでお祭りのような賑わいだ。
「わぁ……」
思わず声を上げると、外を警戒している騎士が薄く笑みを浮かべる。
「初めて来たなら驚くだろうね。辺境の村とはまるで違う。商業区は人種や身分問わず集まるからな。王都の門を抜ければ、さらに賑やかになるぞ」
そして、視線を前方へ移すと、正門の大きな扉が見えてきた。
石造りの門は開放されているものの、衛兵が十数名ほど配置され、行き来する人々を厳しく監視している。
アリシアが先頭を行く馬上で通行許可の書類を掲示すると、衛兵たちはビシッと敬礼の姿勢をとる。
「お疲れ様です、アリシア隊長」
「ご苦労。留守中に変わった様子は?」
「特に大きな混乱はありませんが……最近、闇商人絡みの噂が増えているようで、巡回兵も忙しいとのことです」
アリシアは小さく眉をひそめたが、「わかった」とだけ返事をして馬を進めた。
馬車もその後に続く。
門をくぐった瞬間、レイジの眼前に広がったのは、まさに『大都市』の喧騒だった。
石畳の道が四方八方へ伸び、大勢の人々が行き交っている。
建物の密集具合も村とは比べものにならず、二階建てや三階建ての家々がずらりと並ぶ通りには、露店が溢れ、商売人の呼び声がどこからともなく聞こえてきた。
「すごい……本当にファンタジーの世界だ」
レイジは思わず感嘆する。
馬車が石畳の上をガタガタと進む振動と、活気に満ちた人々の喧騒が、彼の五感に鮮やかな刺激を与える。
王都に入って早々、アリシアの騎士団行列が通る道端には、ちらほらと人が集まり始めた。
鎧をまとった騎士たちの帰還は、日常の風景ではないのだろう。
好奇心から覗きに来る子どもや商人、さらには冒険者風の若者など、いろんな服装の人々が道を縁取っている。
「おや、騎士団が戻ってきたぞ」
「誰か有名な人が乗ってるのか?」
そんな声が聞こえるなか、いつしかレイジに視線が集まる場面もあった。
見慣れない服装で馬車に乗っている上、騎士らが彼を護送しているように見えるのだから、通行人の興味を引いて当然だ。
すると、どこからともなく聞こえてきた囁きがレイジの耳に届く。
「聞いたか? 辺境の村を魔物から救った大英雄がいるんだってさ」
「ああ、たしか若い男が岩狼を一掃したとか……」
それを聞いて、レイジは急に気まずさを覚える。
あれだけの目撃者がいるのだから、噂が広まるのは当然かもしれないが、『大英雄』などと呼ばれるのは居心地が悪い。
自分はもともとただの高校生で、しかも、あの力は制御できるかどうかすら怪しいのだ。
「ほんとに英雄視されてるのか、俺」
レイジが馬車の窓越しに呟くと、傍らのリカルドが声を落として苦笑する。
「騎士団がそんな情報を流したわけじゃないけど、辺境の人たちの噂話は意外と早いからな。旅の商人が喋りながら王都に戻ってきたら、あっという間に噂は広まる」
レイジは微妙に苦い表情を浮かべる。
自分を称賛する声を聞くと同時に、『世界を破壊する』という不吉な可能性が脳裏をよぎるからだ。
王都の中心部へ近づくほど、建物はより洗練され、道幅も広くなる。
貴族風の衣服を纏った人々や、高級そうな馬車も増え、路地には衛兵の姿が目立つようになる。
アリシアは周囲の状況を確認しながら、王宮にほど近い大通りへと進路をとった。
彼女の所属する騎士団の詰所は王宮の外郭付近にあり、まずはそこに寄って書類や報告をまとめるのだという。
「王都は広いから、あなたも迷わないよう気をつけるように」
馬上からアリシアがレイジに向かって言う。
実際、この都市規模で一人きりになったら迷いかねないし、それ以前に自分の立場もよくわかっていない。
アリシアの方針に従うしか道はないだろう。
だが、そこで突然、通りの先に人だかりが生じた。
何やら看板や旗を掲げた集団がいて、その向こう側は騒がしくざわめいている。
「なんだ……?」
騎士の一人が目を細める。
アリシアはすぐさま手綱を引き、部下に指示を出す。
「リカルド、様子を見に行って」
リカルドは「了解」と答え、馬を走らせて人だかりへ向かう。
レイジは馬車の窓から身を乗り出し、興味深そうに見守る。
しばらくしてリカルドが戻ってきた。
困惑した表情で報告する。
「どうやら、『英雄さん』を出迎えようと集まった人たちがいるようです」
アリシアは頭を抱えるように小さく溜息をつく。
「まったく……余計な混乱を招く。私たちが情報を伏せようとしても、民間の噂話は止められないわね……。とにかく、こちらの通行の邪魔になるようなら制止するしかない」
馬車がさらに近づくと、『英雄様バンザイ!』などと書かれた手作りの布が見えた。
子どもや若者だけでなく、妙齢の女性まで興奮ぎみに声を上げている。
『救世主殿を拝みたい!』などと叫ぶ者もいて、その盛り上がり方はちょっとした祭りのようだ。
レイジは馬車の中で固まる。
まさかこんな形で人目にさらされるとは思っていなかった。
「す、すごいな……」
本人が望む望まないに関わらず、『魔物討伐の英雄』としての噂がどれだけ先行しているかがよくわかる。
騎士たちが制止の呼びかけをし、通りを確保しようとするが、群集はなかなか退かない。
その場で足止めを食らう馬車。
レイジはどうするべきか迷っていると、アリシアが苛立ったように声をあげた。
「仕方ない……私が前に立って追い払う。それか、一時的に馬車から降りて民衆の前に姿を見せて、さっさと退いてもらうのも手かもしれない」
「え、俺が降りるんですか……?」
戸惑うレイジに対し、アリシアは目を逸らしながら言った。
「彼らはあなたを一目見たいと言ってる。ここで騎士団が強引に排除するより、あなたが少し顔を見せて『ごめんね、また今度』とでも言えば、落ち着くかもしれないでしょう」
確かにそれが最も穏便な解決策かもしれない。
レイジは内心でため息をつきつつ、馬車を降りる覚悟を決める。
「わかりました。変に刺激しないように短く挨拶するだけでいいですよね」
「ええ。私も側に立ちますから」
そうしてレイジは騎士の護衛を受けながら群集の前へ出た。
道の真ん中には熱気を帯びた人々が詰めかけており、最前列では子どもが目を輝かせて声を上げる。
(こんなにも感謝してもらえるって、どういう気持ちで受け止めればいいんだろう)
レイジは少しオロオロしながらも、「ありがとうございます。みなさんの応援は励みになります……」とだけ言葉を返す。
すると、ワッと歓声が起こった。
一部の若い女性たちが何事か叫んでいる。
まるでアイドルのファンのような熱狂ぶりに、彼は顔が赤くなる。
アリシアもそんな様子を見て目を丸くしていたが、すぐに威厳ある声で群衆に呼びかける。
「皆さん、ありがとうございます。ですが彼はこれから王都で大切な用務がありますので、長居はできません。どうかご理解いただきたい」
騎士団の威圧もあってか、やがて人々は少しずつ道を開けていった。
去り際に「頑張れよ、英雄さん!」「応援してるから!」といった声が飛び、それに応えるようにレイジは小さく手を振るしかなかった。
ようやく通りの混雑を抜けた馬車は、王宮の外郭近くにある騎士団詰所へ到着した。
そこには衛兵や事務官が待機しており、アリシアは下馬するとすぐに書類の山へ取りかかる。
部下たちも荷物を片付けつつ、各部署に報告を入れ始めた。
「レイジ、あなたはしばらくここにいて。詰所内の部屋を一つ使えるように手配するから」
アリシアがそう告げると、レイジは「はい」と答える。
慣れない王都のど真ん中を一人で歩き回るのは不安なので、彼も大人しく従うつもりだった。
やがて詰所の一角に案内されたレイジは、質素ではあるが清潔感のある個室を与えられる。
ベッドや簡易机がある程度だが、泊まるには十分だ。
「私は報告書の提出や上官への面談があります。あなたへの対応については、さらに上層部と協議することになるでしょうから、勝手に外出しないように」
アリシアは念を押すように言い置き、部下の一人――女性騎士のジェナと名乗った――に「彼を監視しておいて」と指示した。
レイジは苦笑交じりに頷く。
(まるで囚人扱いだな……まぁ仕方ないか)
それでも移動の疲れを休めるにはちょうどいい。
レイジはベッドに腰掛け、しばらく目を閉じる。
王都に着いた安堵と、先程の人々の歓迎の熱量を思い出して、なんとも言えない気分になる。
自分が本当に『英雄』なのか、それとも『破壊者』なのか。
周囲の扱いも、人々の期待も、まだ自分にとってあまりに大きすぎるのだった。