第2章:王国騎士・アリシアとの出会い(2)
レイジが荷造りを終えて村の宿屋(兼集会所のような建物)に向かうと、アリシアが建物の外で部下に指示を出している姿を見かけた。
彼女は厳かな立ち振る舞いで、周囲の騎士らを手際よく動かす。
明らかに若いが、部下たちから敬意を払われているのがわかる。
「王都に戻るまでのルートを再確認しておいて。あちこちに魔物が出没しているらしいから、今夜は警戒を怠らないように」
「了解しました」
部下の騎士が敬礼すると、アリシアは軽く頷いて宿屋の扉を開ける。
すると、レイジがこちらを見ているのに気づいたようで、軽くまぶしそうに目を細めた。
「貴方も支度は済んだのですか?」
「あ、はい。明日には出発するんですよね?」
「そのつもりです。調査報告をまとめ次第、早ければ明日の朝には出立しますので、遅れないようにしてもらえますか」
アリシアの声には、やや刺々しい響きがある。
上官と部下のように、必要最低限の言葉しか発していない感じだ。
レイジは多少居心地の悪さを覚えながら、宿屋の外壁にもたれて彼女に話しかける。
「あの、アリシアさん。俺、協力するって決めたからには、色々とちゃんと知りたいんです。どうしてそこまで俺の力を警戒するんですか?」
彼女は一瞬黙った。
部下たちがいる前で話すのは、はばかられるのか、視線を周囲に巡らせ、やや離れた位置へレイジを促す。
そこは宿屋の裏手で、日没前のオレンジ色の光が壁面を照らしていた。
「私たち王国騎士団は、国民を守る義務があります。そのためには脅威を未然に防ぐことが最重要なのです。あなたの力は、人を助けるかもしれないが、同時に世界を壊す可能性もある――そう判定されれば、私たちはそれを止めなければなりません」
「世界を壊す、って……」
レイジの心がぎくりと反応する。
まさに夢の中で言われた内容と重なるからだ。
アリシアは冷たい口調を崩さず続ける。
「もちろん、あなたがそうする意思があるとは考えていません。しかし、意思だけでは防ぎきれないこともあります」
レイジは唇を噛みしめるようにして、俯いた。
そして小さく頷く。
彼女が言っていることは正論だ。
むしろ、今の状況を放置すれば、さらなる被害が出るかもしれない。
「わかりました。俺もそういう不安を感じてます。だから、協力します。自分の力の正体を知りたいし、もし本当に危険があるなら何とかしたいから」
アリシアはその言葉を聞いて、すこしだけ表情を和らげたように見えた。
しかし、すぐに面差しを引き締める。
「賢明ですね。明日出発するので、それまでしっかりと休養をとってください。長い道のりになりますから」
そう言うと、彼女は踵を返して宿屋の中へと消えていった。
レイジはあとに残された夕刻の風を感じながら、胸の中のざわめきを抑えようと深呼吸した。
◇◇◇
夜になると、村の宿屋では簡単な酒場営業が行われており、騎士たちが酒ではなく軽食や温かい飲み物を注文していた。
村人も数名は集まっていて、それぞれ談笑したり情報を交換したりしている。
レイジは一人、静かにテーブルに座ってスープをすすっていた。
アリシアの部下である騎士たちがちらちらと彼を見ているのを感じる。
どうも『危険人物』と見られている節があるようだ。
「そこの……レイジ、だったか?」
不意に声がかかり、顔を上げると、若い男性騎士が声をかけてきた。
まだ二十代前半くらいだろうか。
厳つい雰囲気ではなく、どこか人懐こさを感じる面立ちをしている。
「アリシア隊長が言ってたよ。『彼は危険であるかもしれないが、今は保護対象でもある』ってさ。俺たちはあんたを敵扱いするつもりはないから安心してくれ」
その騎士の言葉に、レイジは少し救われた気持ちになる。
敵対感情むき出しではなく、あくまで任務の一環として警戒しているだけなのだ。
「ありがとうございます。俺も、余計なトラブルを起こしたいわけじゃないですし、協力は惜しまないつもりですよ」
「そりゃ助かる……隊長は厳格なとこあるけど、根は悪い人じゃない。彼女は若くして『白銀の剣姫』と呼ばれるほどの腕前だから、国でも期待されているんだ。だからこそ、責任感が強いというか……」
その騎士は少し言いにくそうに口を噤んだが、なんとなくアリシアの性格を推し量るには十分な話だった。
若くしてエリートになれば、それだけ重圧も大きいのだろう。
レイジは湯気の立つスープを飲み下しながら、自分とはまったく違う道を歩んでいるアリシアの姿を想像する。
(王国騎士という肩書きだけで大変そうなのに、更に『エリート』ともなれば、失敗が許されない立場にいるんだろうな……)
彼女が冷静かつ厳格に振る舞うのも、その責任感の表れなのかもしれない。
そんなことを考えると、少しだけ気が楽になった。
その夜は、ロレンツォの家に最後の宿泊をさせてもらうことになった。
村の人々も、レイジが王都へ向かうと聞いて何人かは名残惜しんでいたが、彼ら自身も『この力を放置するのは怖い』というジレンマがあるのだろう。
レイジはふと目を覚まし、夜中に目が冴えてしまったので外の空気を吸おうと裏庭へ出た。
星がきらきらと瞬く夜空が広がり、辺境の静寂が心を和ませる。
しかし、その安らぎも束の間、頭の片隅には『神の神殿』という得体の知れない空間がちらつく。
あの冷たい声、実験体と呼ばれた違和感――思い出すだけで、背筋がぞわりとした。
(王都に行ったら、何か手がかりがあるのかな……。俺のこの力が世界にどう影響するのか、神という存在は一体なんなのか……)
自問自答しても答えは出ない。
だが、行動しなければ何も始まらない。
レイジは空に向かって大きく息を吐き、『自分はできる限りのことをやる』と心に言い聞かせた。
◇◇◇
翌朝、王国騎士団の馬車と護衛騎士たちが村の広場に集結する。
アリシアは馬上に乗り、手綱をしっかり握っている。
レイジは最低限の荷物を肩にかけ、村人たちに別れの挨拶を交わしていた。
ロレンツォは穏やかな笑みで「元気でな」と見送る。
マリアは最後まで離れがたそうだったが、レイジを信じて送り出してくれる様子だ。
「王都ってすごく大きい街なんでしょ? 色んなお店があって、冒険者ギルドも賢者学院もあるって……そう聞くと、なんか羨ましいかも」
マリアは無理に笑おうとする。
レイジも「そうだね、きっとすごい都市なんだろうな……」と苦笑するしかない。
「レイジ、くれぐれも気をつけて」
「うん……ありがとう。絶対また会いに来るから。そのときは、あのスープの作り方を教えてくれよ」
「もちろん!」
マリアは笑顔のまま大きく手を振る。
別れ際、彼女の目が潤んでいたのをレイジは見逃さなかったが、あえて何も言わずに微笑み返した。
アリシアが出発を告げる。
「それでは村の皆さん、調査協力に感謝します。今後も魔物被害があれば騎士団へ通報を……レイジ、行きますよ」
レイジは少し緊張した面持ちで馬車の後部へ乗り込む。
本来なら囚人や荷物を運ぶスペースに近いが、護送の意味合いが強いのだろう。
アリシアの厳格な態度を見るに、彼を『自由な協力者』というより『危険をはらむ同行者』として扱っていることが伝わる。
護衛の騎士たちが散開し、馬車の前後を固める。
馬の嘶きが朝の澄んだ空気を切り裂いた。
レイジは窓からちらりと村を見やる。
ロレンツォやマリアの姿が小さくなるまで、手を振り続ける。
こうして、レイジは王国騎士団に同行する形で村を離れることになった。
異世界で初めての『旅』。
その行く先には、想像もつかない試練が待ち受けているのだろう。
◇◇◇
朝霧が晴れると、道は森と草原に囲まれた緩やかな風景を映し出す。
馬車はゆっくりと揺れながら、整備されていない村の外れの道を進む。
レイジは初めて馬車に乗る経験だが、揺れがかなり激しく、しばらくすると酔いそうになってきた。
日本の車や電車とは比べものにならない荒さだ。
「大丈夫か? 気分が悪そうだな」
横に座っているのは、先日レイジに声をかけたあの若い騎士――名前はリカルドと言ったはずだ。
彼が心配そうに声をかける。
「うっ……、ちょっと慣れないだけで……」
レイジは引きつった笑顔を作る。
どこまでも続きそうな長旅に、早くも不安を覚えた。
一方で、アリシアは馬上から全体を見渡し、定期的に合図を出している。
隊列の乱れや地形の変化を把握しながら、警戒すべきポイントを指示するのだ。
「左手に小さな崖があります。足元に気をつけて。前衛はもう少し間隔を広げてください」
町娘や貴族の令嬢というイメージからはほど遠いが、それがまた『白銀の剣姫』と呼ばれる所以なのかもしれない。
(やっぱりすごい人なんだな……)
レイジはわずかに尊敬を覚えつつも、彼女の頑なさにはどう接したらいいのかわからない。
彼女自身が『国を守る』という使命を背負っているせいか、笑顔を見せないからだ。
馬車は順調に進んでいるように見えたが、道中、いくつかの小さな集落や街道沿いの商人から「この辺りで魔物の被害が増えている」という話を耳にする。
アリシアたちはその都度記録を取り、必要に応じて救援要請の手はずを整えていた。
レイジはその様子を見ながら、やはりこの世界に深刻な問題が起きているのだと感じる。
(『闇商人』とかいう話もあったな……。ユダ・ブラッディだったか。そういう連中も絡んでるんだろうか)
思い浮かぶのは、先日村長から聞かされた名前。
破滅を煽って利益を得るという闇商人。
だが今は、何より自分の力をどう制御するか、そこが最優先だ。
レイジは不安を噛み殺しながら、馬車の揺れに耐え続ける。
近くにいるリカルドや他の騎士と雑談を交わすことで、少しでも気を紛らわせた。
そんな道中、アリシアとの会話はほとんどない。
彼女は警戒に集中している様子だ。
ときおり視線を投げられるが、その瞳にはまだ疑念が宿っているようにも感じられた。
レイジは自嘲混じりにため息をつく。
事故に遭った自分が、異世界でこんな重荷を背負うことになるとは、誰が想像できただろう。
やがて日が暮れ始め、騎士団は街道沿いの安全な宿場町を目指す。王都まではまだ何日かかかる。
その先で、レイジの運命がどう転ぶのか。
今はまだ、暗い不安と一縷の希望を胸に、ただ進むしかないのだった。