第1章:転生者、初めての戦い(2)
村の中心の広場に戻ると、いつの間にか多くの人が集まっていた。
どうやら昨日の岩狼騒動について、これから村長が説明を行うらしい。
そこへレイジも顔を出すと、人々がざわざわと彼を見やる。
「おお、来たか。『救世主様』!」
野太い声が響き、レイジはむせ返りそうになる。
村長と呼ばれた初老の男性が大げさに腕を広げて迎えるのだ。
「いや、救世主なんてそんな……」
レイジが困り果てて笑うと、村長は大真面目な顔で続けた。
「昨夜、わしは王都の出先機関に使いを出した。こんな辺境の村でも大規模な魔物被害が出たとなれば、王国騎士団や冒険者ギルドの動きもあるはずだ。あんたには是非、報奨を受け取ってもらいたい。大きな功績じゃからな」
話が大きい……とレイジは内心思う。
自分はただ、目の前の人々を助けたかっただけだ。
報奨や金品をもらうという発想はなかったし、何より「王国騎士団」などという単語を聞くと、一気にファンタジー小説のような世界観を感じざるを得ない。
だが、同時に不安が胸をよぎる。
「王国騎士団」は文字通り国の守り手だろう。
もし彼らに『奇妙な魔術師がいる』と目をつけられたらどうなるだろう。
自分の出自をどう説明すればいい?
(もしかしたら、いずれ何か大事になるんじゃ……)
そんな予感を抱きつつも、レイジは村長や人々の感謝の言葉を受け止めるしかなかった。
さらに、村長が顔を曇らせて付け加える。
「それに、どうも変な噂があるんだ。近頃、闇商人とかいう連中が暗躍しているとかで、辺境の村にまで影響が及んでいるらしい。あんたに危害を加えようと企む連中が出るかもしれんぞ」
「闇商人、ですか……?」
「ユダ・ブラッディという大物らしい。噂だが、戦乱を煽って儲けを得るとかなんとか……わしも詳しくは知らんが……」
その名を聞いて、周囲の人々も顔をしかめる。
「このあたりは普段それほど大きな被害は受けんが、岩狼が急に増えたのも何か裏があるのでは、という声もあってな。気をつけておいたほうがいい」
まだ『闇商人』という存在は、レイジにとっては縁遠い話に思える。
しかし、『異世界で突然強力な力を使った謎の人物』として注目される可能性は高い。
――王国騎士団にせよ、闇組織にせよ、厄介なことには巻き込まれたくない。
そう思うのに、どうしても逃れられないような予感もしてしまうのが不思議だ。
◇◇◇
広場での話し合いがひとまず終わると、マリアがレイジを案じたように声をかけた。
「大丈夫? すこし休んだほうがいいんじゃない?」
「うん、ちょっと疲れたかも……。少しだけ横になろうかな」
レイジは応じると、再びロレンツォの家へ向かう。
確かに頭が重く、息苦しさが増してきた気がする。
単なる疲れか、それとも魔力を消耗した影響か。
どちらにせよ、無理は禁物だ。
部屋に戻り、再び床に就こうとすると、ポケットにしまった小さな命輝石が気になった。
取り出して窓辺にかざしてみると、やはり輝きは鈍いままだ。
世界を循環する魔力の源とは言え、この欠片一つがどれほどの影響力を持つのかもわからない。
レイジはベッドに横たわりながら、次第にまぶたが重くなるのを感じる。
意識が落ちそうになる直前、頭の片隅で『実験』という言葉がちらついた。
『神の神殿』と名乗る場所で聞いた、冷たい声――。
――再び眠りに落ちると、今度はやけに不穏な夢を見た。
白い空間の奥で、誰ともつかない存在がこちらを眺めている。
わざとらしく薄笑いを浮かべ、レイジに指を差す。
「お前の魔力は、世界を壊すかもしれない……」
そんな皮肉めいた声が耳の奥に残る。
レイジは否定したいのに身体が動かず、いつまでも宙吊りのような感覚に囚われ続ける。
恐怖と焦燥がひたすら募っていき――やがて現実のまぶたが開いた。
「はぁ、はぁ……」
レイジは額に浮かんだ汗を拭う。
部屋はまだ昼過ぎの明るさだった。
どうやら長くは寝ていなかったようだが、ひどく息が荒い。
(世界を壊す……そんな馬鹿な。さっきだって、村を守るために魔力を使ったじゃないか。でも……)
不意に、枯れた草や鈍った命輝石の残像が脳裏をかすめる。
自分の力が間違っているとは思いたくないが、何か良くない影響が出ているのは確かかもしれない。
「どうすればいいんだ……」
レイジは唇を噛み、またベッドに倒れ込む。
脳裏にはサッカー部での仲間たちが一瞬よぎった。
もし今の自分を彼らが見たら、どう思うだろう。
仲間を助けるために頑張る姿を応援してくれるのか、それとも異世界に来てしまった時点で、そんな日常はもう取り戻せないのか――。
◇◇◇
夕方近くになり、レイジは少し頭痛が治まったので外の空気を吸いに出た。
マリアの家の周囲には草の茂った裏庭があり、そこから村の外れの森まで見渡せる。
見上げれば、太陽が沈みかけ、空をオレンジ色に染めていた。
日本の夕暮れと変わらないような光景だが、どこか物寂しい。
ふと、夕日に照らされた草むらに、わずかに枯れかけた部分があるのが目に入った。
岩狼が襲撃した辺りと同じ方向だ。
あれほど激しく戦ったのだから、踏み荒らされた跡など残って当然かもしれない。
けれど、何か違和感がある。
「お前さん、体調はどうじゃ?」
背後から声をかけてきたのはロレンツォだった。
杖をつきながらゆっくりと歩み寄ってくる。
「ええ、少し休んだら楽になりました。すみません、ご心配をおかけして」
レイジが頭を下げると、老人は少し笑って「若いのにそんなにかしこまらんでいい」と言い、レイジの隣に立った。
「村長がお前さんの報奨をどうするか考えているらしいが、あまり気負わんでくれ。あの人は、なんと言うか大げさだからな」
「はは、そうなんですか」
レイジも苦笑する。
確かに村長は少々オーバーリアクションだった。
ロレンツォはしばらく夕焼けを見つめていたが、急に真顔になり、低い声で語り出す。
「わしが若い頃は、魔物の被害がもっとひどかった。辺境は王都の騎士団なんぞ来ちゃくれないからな。だからわしらは自分たちで守る術を身につけなきゃならなかった。とはいえ、最近は平和だったんだが……どうもまた怪しくなってきた。世界の流れが歪んでいるように感じる」
レイジは黙って耳を傾ける。
辺境の村には辺境の苦労があるのだろう。
この世界がどれほど危ういバランスで保たれているのか、想像すらつかない。
「お前さんには力がある。わしにはわからんが、それはとてつもない力なんじゃろう。それをどう使うか……そこが肝心じゃよ」
老人の言葉はまるで、自分の胸中を見透かすかのようだ。
レイジは思わず息を呑み、「壊すために使う力じゃないと、信じたいです」と答えた。
「ならば、その信念を大切にすることじゃ。力を何のために振るうのか、それはお前さんしか決められない。ときに、世界の理がそれを許さんと言うかもしれんが、それでも人を救うと決めるなら――わしは応援する」
ロレンツォはそう言って、レイジの肩を軽く叩く。
その手のひらからは、まるで祖父のような温かさが感じられた。
夜になり、マリアやルナと夕食を囲む。
温野菜のスープやパン、それに少量の煮込み肉という質素な食卓だが、どこか懐かしい心が安まる味だ。
レイジはしみじみと思う。
――ここに来てまだ二日ほどだが、彼らが受け入れてくれたおかげで生き延びているんだな、と。
「そうそう、もうすぐ王都から騎士団の調査隊が来るかもしれないって話があったよね?」
マリアが思い出したように言う。
ロレンツォは「うむ、村長が手配したからな」と答え、ルナも軽くため息をつく。
「騎士様なんて、何年ぶりかねぇ。うちのような小さな村まで来ることは滅多にないのに……」
そしてマリアがちらりとレイジを見る。
「ねぇレイジ、騎士様が来たらあんたどうするの? 事情を説明する? それとも……」
声には心配の色が滲んでいた。
確かに、自分の正体を素直に話して理解してもらえるだろうか。
「うーん……正直、まだわからない。でも隠しごとをしても余計に疑われそうだし、どうしようかな」
レイジ自身も迷いを抱えたままだ。
日本の高校生だと言っても笑われるのがオチだし、それどころか危険人物扱いされるかもしれない。
そんな不安と葛藤を抱えつつ、夕食を終えて部屋に戻る。
窓の外を見れば、満天の星が広がっていた。
街の明かりがほとんどない分、星空はやけに鮮明だ。
ごう、と夜風が吹き、家の窓ガラスを揺らす。
外は静寂が広がっているように見えるが、レイジの胸中は静かではいられない。
その夜、レイジは再び奇妙な夢を見るのではないかと恐れていたが、幸い何もなかった。
朝を迎えると、少し肌寒さを感じながら起き出す。
そうしていつものように村の中を散歩し、軽い手伝いなどをして過ごしていると……人々のざわめきが聞こえた。
村の正面口のほうで、何かが起きたようだ。
「馬……いや、馬車か? 誰だあれ……?」
村人が言う。
視線の先には、二頭の馬が牽く立派な馬車が見える。
遠目にも質のいい装飾や紋章が確認でき、どうやら王都関係の人間が来たらしいことがわかる。
やがて馬車から降り立ったのは、銀色の甲冑を身にまとった人物――若い女性騎士だ。
その髪は白銀に近い色をしてポニーテールに結ばれ、背筋を真っ直ぐ伸ばしている。
村の人々がざわざわと目を向けるなか、彼女は一瞬だけ村長に目礼し、端正な顔を引き締めて声を発する。
「ローゼンベルグ王国騎士団所属、アリシア・ヴァイス。魔物襲撃の報せを受け、調査のために参りました」
まさに『騎士』という雰囲気を放つ女性。
流れるような所作と鋭い眼差しが目を引く。
だが、その表情にはどこか厳しさと警戒感が滲んでいた。
「レイジ、という名の者がいると聞いております。そのものが魔物を退けたとか?」
アリシアが村人たちを見渡しながら、そう問いかける。
レイジは自然と前に出た。
アリシアはレイジの姿を目に留め、鎧を小さく鳴らしながら一歩近づいてくる。
その青い瞳は、レイジを一瞥すると同時に、何かを測るような光を宿したように見えた。
「あなたが……魔物を倒したという、魔術師ですね。お話を伺いたいのですが、よろしいですか?」
硬い敬語にも感じる威圧感。
レイジは喉をゴクリと鳴らしながら、小さく頷くしかないのだった。