第1章:転生者、初めての戦い(1)
目を覚ましたとき、神崎レイジは自分が柔らかな布団の上にいることに気づいた。
頭がまだぼんやりしている。
金属製の何かが触れ合う音や、人々のざわめきが遠くから聞こえてきた。
「ここは……?」
周囲を見回すと、そこは木造の小屋のような質素な部屋だった。
壁に取り付けられた燭台には薄汚れたろうそくがはめ込まれ、ぼんやりと明かりを落としている。
窓の外にはまだ朝日が昇ったばかりのようで、かすかに光が差し込んでいた。
日本の病院とも自宅とも違う。
むしろ昔の時代劇で見るような古い家屋に近い雰囲気だ。
レイジは首筋の痛みと倦怠感を自覚しながら、どうにか身体を起こそうとする。
するとドアの向こうから誰かが入ってきた。
薄茶色の髪をした少女――と言っても十代後半くらいだろうか。
やや日に焼けた肌が健康的で、粗末なワンピースのような服装をしている。
「よかった……! 起きたんだね?」
その少女はレイジを見て、一気に表情を明るくした。
慌てて部屋の外に声をかける。
「おじいちゃん! この人、目が覚めたよ!」
しばらくして、杖をついた老人と、やや年配の女性が部屋に入ってきた。
老人は白い眉毛を盛大に動かしながら、レイジの顔を覗き込む。
「これはこれは……若いの、怪我もないのに、ずいぶん苦しげに倒れておったからなぁ。安宿じゃ落ち着かんかと思って、わしらの家に運び込ませてもらったんじゃ」
老人はそう言いながら、レイジの肩に手を当てる。
少しゴツゴツした手だが、その眼差しは優しい。
「ありがとうございます……助かりました」
レイジは何とかお礼を返すが、頭が追いつかない。
そもそも自分がここに来るまでの経緯を、まだ全て思い出せていないのだ。
――思い返せば、サッカー部の練習後、買い物帰りに大きな交通事故に遭った。
そして意識を失った。
次に目覚めたときには見知らぬ草原で、訳もわからず魔物と戦う羽目になった。
「あ……そうだ、岩のような化け物……大丈夫でしたか!?」
レイジは急に身体を起こし、慌てたように言う。
あのとき、岩狼と呼ぶべき怪物に村人たちが襲われていたはずだ。
「おぉ、あれはすごかった。村人たちの話じゃ、一瞬であの群れを蹴散らしたそうじゃな。わしはその場にはいなかったが……本当によくぞやってくれた」
老人は深々と頭を下げる。
「でも、あれは……俺自身もよくわかってなくて……」
レイジは正直に言葉を濁す。
自分が魔法を使ったという事実は、まだ信じられないほどだ。
彼を支えようとする少女――マリアと名乗った――がレイジに水の入ったコップを差し出す。
「まずはこれを飲んで休んで。あんた、しばらく気を失ってたんだよ」
「え……どれくらい?」
「えーと、昨日の夕方からだから、半日以上は寝てたことになるかな」
レイジは息を呑む。
そんなに長い時間、意識を失っていたのか。
老人はゆっくりと椅子に腰を下ろし、杖を立てかける。
「わしの名はロレンツォ。隣にいるのが孫のマリア、それとそっちがうちの婆さんのルナじゃ。あんたは『レイジ』とか言ったな。どこから来たかは知らんが、とにかくゆっくり休むがいい。ここはわしらの村の一角……ま、宿屋兼、酒場みたいなもんじゃ」
そう言って老人は微笑む。
マリアやルナも、にこりと笑ってレイジを安心させようとしてくれているようだ。
レイジは礼を述べつつ、なおも疑問が頭を回る。
――ここがどんな世界なのか、この村はどこなのか。
そもそも言葉が通じていること自体がおかしい気がするが、不思議と自然に会話ができてしまっている。
「おじいちゃん、この人、日本語とかいう妙な言葉を時々口にしてたんだって。でも話はちゃんと通じるんだよね」
マリアが楽しそうに言う。
するとレイジはハッとした。
自分は確かに『日本語』で話しているつもりだが、相手にはどう認識されているのだろう。
老人ロレンツォは笑い交じりに答える。
「この国じゃ『アルヴァ語』が共通語じゃが、不思議なもんだ。ひとえに……何かしらの『加護』ってやつがあるのかもしれんのう」
レイジは頭がぐるぐるする。
どうにも説明がつかないことだらけだが、ひとまずはこの親切な一家に助けられたらしい。
恩に報いたいと思いつつ、現実感が湧かないままだ。
◇◇◇
それからしばらく、レイジはロレンツォの家で身体を休めることになった。
ベッドから起き上がれるようになった翌朝。
村の外では子どもたちの声や家畜の鳴き声が聞こえ、より『異世界の日常』を実感するようになる。
マリアは朝食を用意してくれていた。
パンのような生地を薄く焼いたものと、ハーブ入りのスープ。
それに干し肉を少し添えた簡素な食事だが、味は悪くない。
「ごめんね、大したもんじゃなくて」
「いや、すごく助かります……ほんと、ありがとうございます」
レイジは異世界の料理に少し戸惑ったが、腹が減っていたこともあり、すぐに慣れた。
塩気の効いたスープが意外と美味しく、パンも噛めば噛むほど味が出る。
なにより、この世界の暮らしぶりを身近に感じられて、興味が湧いてきた。
食事を終えると、レイジは外へ出て村の様子を見て回ることにした。
ロレンツォやマリアたちに「無理はするなよ」と言われたが、やはり自分の置かれた状況を知りたい。
それに、昨日襲撃してきた岩狼の残党がいないか心配でもある。
扉を開けると、そこは穏やかな朝の風景だった。
村というよりは小さな集落で、木造や石造りの簡素な家が十数軒ほど集まっている。
中心の広場らしき空間には、井戸があり、数名が水を汲んでいたり、馬車の修理をしていたりする。
人々はレイジを見ると「あの魔術師だ」「おかげで助かった」と噂話を交わしているようだ。
照れ臭い反面、『魔術師』と呼ばれるのはやはり違和感がある。
「お兄ちゃん、すごい魔法使いなんだってね!」
子どもたちが駆け寄ってきた。
目を輝かせながらレイジの服を引っ張ってくる。
彼らの服は質素で、袖や裾に継ぎはぎが見えるが、その笑顔は生き生きとしている。
「魔法、見せてよ!」
「わたし、炎の魔法って見たことないんだ!」
子どもたちの期待に満ちた瞳に、レイジは戸惑った。
自分は意図して魔法を使ったわけではない。
むしろどうやって発動したのか、まったく理解できていない。
「えっと……ごめん、今はちょっと……」
そう濁すと、子どもたちは「そっかぁ」とややがっかりした様子になったものの、それ以上は強要してこない。
「あんまり焦ると危ないんじゃないか?」
不意に声をかけてきたのは、井戸から水を汲んでいた中年の男だった。
顔や腕に日焼けと汗が刻まれており、どうやらこの村の農作業を担う労働者の一人のようだ。
「焦って使ったら、あんた自身がまた倒れるかもしれないだろう。昨日のあの威力じゃ、何か大きな反動でもあるんじゃないかって、村の連中も心配してるよ」
「あ……はい、そうですね……」
レイジは言いづらそうに頷く。
実際、昨日は魔法を使ったあと、激しい倦怠感と頭痛に襲われた。
そして結局、意識を失ったのだ。
安易にもう一度試すのは、確かに危険かもしれない。
◇◇◇
村をひと回りして戻る途中、レイジは気になる光景に出くわした。
村はずれの森の入口付近に、岩狼の死骸がいくつか残されている。
それらを数人の男たちが解体し、肉や革を回収していた。
「あ、あれ……」
レイジは思わず声を上げる。
近づくと、独特の臭いが鼻を突くが、それ以上に目が行くのはその身体の硬質化した部分だ。
外骨格が岩のようになっている。
彼らの会話を聞くに、「特殊な素材」として売れる可能性があるらしい。
だが、レイジがさらに目を凝らすと、そこには小さな結晶のようなものが落ちていた。
深い青い色を放ち、陽光を受けて微かにきらめいている。
「これは……?」
思わず拾い上げようとすると、解体作業をしていた壮年の男が「おいおい、気をつけな。怪我しても知らんぞ」と警告した。
「えっ、すいません……」
レイジがそっと手に取ると、それはほんのかすかな温度を持っているように感じた。
大きさは親指の先ほどしかないが、その存在感は妙に大きい。
すると、一人の作業員が言う。
「そりゃ『小型の命輝石』じゃないか? ああいう魔物は、まれに命輝石の欠片を体内に取り込んで成長するんだ。岩狼は硬い外骨格を作るために、そうした結晶を自分の魔力源にしてるって話だ。だけど……」
彼はそこで言葉を濁した。
「どうしたんですか?」
レイジが尋ねると、男は少し首を傾げる。
「なんだか、その石の光が弱いような気がするんだよな……。普通はもうちょいピカピカしてるもんなんだが。死骸から取り出したばかりにしては、やけに輝きが鈍い気がする」
「輝きが……」
レイジは自分の手のひらの上で、青く濁った小さな結晶をまじまじと見つめる。
どこか、一度その光を損なった痕跡があるように見えた。
「命輝石って、いったい何なんですか?」
レイジが作業員に尋ねると、彼は少し驚いた表情を浮かべた。
「え? あんた、そんなことも知らずに魔法を? 命輝石は世界を循環する魔力の源って言われてる。あちこちに大小いろんなのがあって、王都や賢者学院が管理してるんだそうだ。でかい奴は国の礎みたいに祭られてるし、小さいのはこうやって魔物が食っちまうこともある。それが魔物の強さの源なんだよ」
「ありがとうございます……あの、これ、もらってもいいですか?」
「別に構わねえが、くれぐれも扱いに気をつけなよ。呪われてるとか、そんな言い伝えもあるぐらいだからな」
男は軽く肩をすくめる。
レイジは礼を言って、小さな命輝石をそっとポケットにしまい込んだ。
その後、レイジはマリアの案内で村の生活環境をざっと見せてもらった。
穀物畑や放牧地、それに家畜小屋もある。
どれも古めかしいが、人々はたくましく日々を営んでいる。
レイジの服装はまだ日本の学生制服のまま。
村人たちから「その服、変わった素材だな」「貴族の出なのか?」と尋ねられるが、答え方に困ってしまう。
「なんと説明すればいいのか……俺は、えーっと、遠い国から来たと思ってもらえれば」
正直に「日本」という異世界から来たと言っても、誰も信じないだろうし、自分も半信半疑だ。
マリアはクスクス笑いながら「確かに珍しい格好だよね。でも動きやすそう」と言う。
レイジは襟付きのシャツとスラックスという組み合わせにまるで愛着を感じなくなりつつも、妙な懐かしさを覚えるのだった。
井戸の脇では女性たちが洗濯をしており、川のほうでは子どもたちが魚を獲ろうと網を張っているらしい。
電気はおろかガスや水道といった近代インフラは見当たらない。
「うわ……大変そうだな」
レイジがつぶやくと、マリアは首をかしげる。
「何が? 水汲みのこと?」
「いや、そう……だってシャワーもないでしょ? 電気もないんだよね……?」
マリアはきょとんとした表情になり、「シャワー? でんき?」とわからなそうに首を横に振る。
レイジはそこでハッとする。
この世界ではそれが当たり前で、逆に自分が彼女たちの生活を『遅れている』なんて思うのはお門違いだ。
「ごめん、こっちの事情を知らなくて……そうか、そうだよな」
自分も一からこの世界のやり方に適応するしかない。
そう悟ると、レイジは言いようのない不安と同時に、妙な決意のようなものを感じはじめるのだった。




