第8章:聖域への旅:精霊王と命輝石の鍵(2)
エルフたちは半ば警戒しつつも、霧の森の危険を知るよしみで客人をもてなしてくれた。
といっても、豪華な歓迎というよりは最低限の食事と安眠のための藁ベッド程度だが、外で野宿するよりははるかに安全だ。
夜になると、森の上空にはうっすらと月が見える。
霧が濃いせいではっきりとは見えないが、エルフの里は独特の穏やかさに包まれていた。
レイジたちは里の中心近くの木造の小屋に案内され、簡単な夕食をとる。
シルフが作ってくれた野草スープは少し苦みがあるが、身体が温まる味。
ガロンは「意外とうめえな」とこっそり追加をもらい、リオネは「何の野草? あとで教えてくれない?」と興味津々だ。
アリシアはまだ心を休められない様子で警戒を解かず、セトはノートに記録を取るのに忙しい。
食事を終えたころ、里の哨戒エルフが慌てて駆け込んできた。
「大変だ、外の森を巡回していたら、人間の一団が近づいてきているらしい。武装した部隊だが、どうやら王国紋章と同じ騎士装備を見かけたというんだ」
アリシアは息を呑む。
ガロンが「いよいよ追っ手か……」と舌打ちし、レイジは「まずい、こんな里まで……」と青ざめる。
ユダの私兵ばかりでなく、王国側も捜索網を広げていたのだろう。
里の長リューディアは「ここは争いを避けたい。あなた方がいると知られれば、里ごと危険にさらされるかもしれない」と告げる。
アリシアは深く頭を下げ、「私たちがすぐに立ち去るべきですね。申し訳ありません」と謝罪する。
ただし夜の霧の森を下手に動き回れば、闇商人の残党か魔物に襲われる可能性が高い。
シルフは眉を寄せた。
「夜道は危ない。でも、王国の騎士団がここまで来るのもすぐかもしれない」
結局、レイジたちはエルフの里に迷惑をかけないよう、夜のうちに森を抜ける決断を下した。
王国騎士団が迫っているなら、捕縛も時間の問題だろう。少し休みたかったが、そうも言っていられない。
シルフが案内役を買って出てくれた。
里の周辺は結界が張られており、彼女の導きがなければ安全に出られないのだ。
「私が里の外れまで道案内をするわ。でも、それ以降は自力で結界の湖を見つけなきゃならない。気をつけて」
アリシアとレイジは感謝を込めて深く頭を下げ、他のエルフたちにも礼を言う。
セトは「この恩は必ず返します」と誓い、リオネは「次はもっとゆっくり歌を披露するわね」とにっこり微笑んだ。
ガロンは無言ながらも拳を軽く掲げ、力強い意志を示す。
深夜、濃い霧が漂うなか、五人とシルフは音を立てぬよう足を進めた。
エルフ特有の森の知識で、木の根や落とし穴を避けながら何とか里の結界を抜ける。
途中、森の上方を通る細道から、人間の話し声が微かに聞こえてきた。
王国兵の声だ。
「辺りを捜索しろ。あの『危険人物』が潜んでいるかもしれん」
騎士らしき声が低く響き、金属の擦れる音がした。
アリシアは思わず息を呑む。
知り合いの声ではないが、騎士団の装備を思い出すだけで心が痛む。
シルフが「森の右手に回れば気づかれない」と小声で示すが、そのルートを取ると結界の湖とは方向が違ってしまう。
どうする? とアリシアが目で問うと、セトは唇を噛みしめながら首を振る。
「遠回りは危険だ。連合軍や闇商人に遭遇するリスクが高くなる」
そこでリオネが思い切った提案をする。
「騎士団の真下を潜り抜ける形で進もう。ここは霧が深いし、崖下を這うように行けば見つからないかも。それに、騎士団がもし奥地へ入ってくれば、エルフの里を荒らす可能性も高くなる」
ガロンは腕を組み、「正面突破よりはマシか」と苦い顔。
しかしアリシアは少し迷ったのち、「わかった。私が先導する。かつて騎士団の斥候訓練で崖沿いに移動する技術を学んだことがあるから、それを試す」と決断する。
こうして一行は、騎士団の捜索隊を避けるために崖下のわずかな足場を移動するという綱渡りのような行動を取った。
上方の霧の中で騎士たちの松明が揺れ、彼らの会話が風に乗って聞こえる。
「王命は『捕縛または排除』だ。奴らを見つけたら知らせるんだぞ」
冷酷な言葉にレイジの背筋が凍る。
同時に心臓がバクバクと高鳴り、魔力が騒ぐのを感じる。
もしここで見つかったらどうなる? アリシアは仲間ごと討たれるかもしれない。
岩壁沿いの足場はわずか30センチほど。
リオネが慎重に足を動かし、「わあ……ここで転んだら終わりね」と冷や汗をかく。
ガロンが前衛で荷物を押さえ、セトとレイジが中央、アリシアが最後尾だ。
誰かがバランスを崩せば全員が落下しかねない。
そこへ突然、上方から崖の小石がバラバラと落ちてくる。
どうやら騎士の一人が足を滑らせたらしい。
小石が頭上に当たり、セトが軽く悲鳴を上げてよろめく。
ガロンが必死に支え、セトは辛くも体勢を立て直したが、レイジの足元が滑り、ほんの一瞬、身を空中に投げ出す形となってしまう。
レイジは必死に岩肌を掴もうとするが指がかからない。
そのとき、体の奥が熱を帯び、魔力が勝手にあふれだそうとするのを感じた。
『力を使えば、浮遊魔法や衝撃波で助かるかも』
そんな誘惑が脳裏をよぎる。
しかし、それは周囲の命輝石を傷つけるかもしれず、騎士団にもバレる危険がある。
刹那の葛藤の末、レイジは無意識に手を伸ばし、微弱な魔力を吹き出すように地面へ放つ。
岩壁に触れるだけのエネルギーを瞬発的に出したのだ。
結果、彼の身体は数センチほど浮き上がるように動き、足場へ戻る形に。
「うおっ……!」
体勢を崩しながらも、最終的にガロンが腕をつかんで引っ張り上げてくれた。
レイジは荒い呼吸をつき、見下ろすと深い闇が口を開けている。
まさに寸前のところで落下を免れたのだ。
「レイジ、今……」
アリシアが低い声で問いかける。
確かに今、ほのかに魔力の波動があったように感じられた。
レイジは青ざめた顔でうなずく。
「ちょっとだけ……無意識に出ちゃったんだ。ごめん……」
アリシアは安堵と不安が入り混じった表情を浮かべながら、「気をつけて」と短く言う。
今回のは仕方ないとはいえ、予期せぬ魔力放出が続けば命輝石への悪影響は免れない。
セトも冷や汗をかきながら「無事でよかった……」と胸を撫で下ろす。
どうにか崖下を這いながら進むうち、騎士団の捜索隊が遠ざかっていくのが分かった。
たいまつの光が見えなくなり、会話の声も徐々に小さくなる。
どうやら彼らは反対方向へ向かったようだ。
レイジたちは息を殺して待機し、しばらくしてから再び移動を始める。
夜の霧が一層濃くなり、足元が見えないほど暗い。
アリシアが前方で指示を出し、手探りで安全な場所を探す。
セトが結界魔法で足場を少し明るく照らすが、魔力を抑えないと大きく光って騎士団に見つかる恐れがあるため、ほんのかすかな光しか使えない。
リオネが低い声で言う。
「なんだかもう、いつ崖から滑落してもおかしくないね。正直、歌で励ます余裕もないわ」
それに応じ、ガロンが「そりゃな。まあ、無事に抜けられたら酒でもかっ喰らいたいぜ」と苦い笑みを浮かべる。
アリシアは無言のまま、必死に道を探しつつ振り返り、レイジたちを気遣う。
そんな夜の危機を超え、明け方にようやく安定した地形までたどり着いた。
湿った苔の広がる林床に倒れ込むようにして、五人は安息を求める。
「死ぬかと思った……」
レイジが息を切らしながら言うと、ガロンも「ああクソ、こんな崖っぷち移動は二度とごめんだ」と叫ぶ。
アリシアは肩で息をしつつ、「でも……王国騎士団をやり過ごせたのは大きい。追っ手もまさかこんなルートを取るとは思わないでしょうし」と冷静に判断している。
セトは疲れた表情でローブの袖を絞り、水滴を落とす。
「朝になれば、もっと遠くまで見通せるかもしれないね。ひとまず仮眠を取って、明るくなったら再出発しよう」
皆が頷きあう。
闇商人の私兵がいつ襲ってくるかは分からないが、今動くのは危険すぎる。
まだ夜明け前の薄闇のなか、レイジは仰向けに倒れ、荒い息をつきながら星空を見上げた。
霧が晴れたわけではないが、少し開けた空からわずかに星の瞬きを感じる。
仲間の温かさを感じられる今、ほんの短い仮眠でも体力を回復しておきたい。
いつまた危機が訪れるか分からないのだ。
翌朝、うっすらとした陽光が霧を染め始める頃、レイジたちは再び起き上がる。
幸い大きな襲撃はなく、全員無事だった。
ガロンが焚き火の残り火を確認し、アリシアは周囲の安全を確かめる。
セトとリオネは地図や文献を再チェックしている。
「ここから先、地形的にはあまり高低差のない湿地帯が続くらしい。エルフの里で聞いた『結界の湖』へ繋がる可能性が高い地域だ」
アリシアがしっかりと地図を見据えて言う。
レイジはそれに頷き、「じゃあ進もう。早く見つけないと、闇商人に先回りされるかもしれないし、連合軍の勢力圏に近づく恐れもある」と返す。
ガロンは大きく背伸びして「よし、やるか!」と気合を入れる。
リオネは軽くルンを弾き、「賑やかな旅になってきたわね。怖いけど、わくわくする」と微笑む。
セトは「精霊王が本当に存在するなら、命輝石の枯渇を救う糸口がある」と期待を抱きつつ、冷静なまなざしを向ける。
霧に包まれた森を抜け、さらに湿地帯へと足を踏み入れる。
その先に待つのは、『結界の湖』。
もしそこが聖域への入口なら、真実に近づく大きな一歩となるだろう。
同時に、王国騎士団の追跡、連合軍の捜索、闇商人ユダの暗躍はますます激化するはずだ。
仲間五人が力を合わせても、いつ瓦解してもおかしくない緊迫した状況。
まして、レイジの魔力暴走が最大の爆弾として抱えられたままだ。
だが、レイジの瞳には、以前より強い光が宿っていた。