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第8章:聖域への旅:精霊王と命輝石の鍵(1)

 朝焼けがまだ薄暗い空を染め始める頃、五人は馬車を置いて徒歩で岩場を登っていた。

 すでに道なき道を進むため、馬車の車輪が壊れそうになり、やむを得ず安全な場所に隠す形で放置してきたのだ。


「さて、ここからはしばらく獣道だな。馬車を引いて行ける道じゃねえから、荷物を背負っていくしかねえ」


 ガロンが筋肉の盛り上がった肩を回しながら言う。

 背中には大きな荷袋が二つ、斧を腰に提げ、顎ひげの風貌はますます荒々しく見える。


「装備が重いけど……仕方ない」


 アリシアは王都を出る際に必要最低限の騎士装備を持ち出したものの、鎧の大部分は処分して軽装に近い状態だ。

 それでも剣と小型の防具類は身につけており、騎士としての立ち居振る舞いは崩れない。


 レイジは周囲に視線を配りながら、少し戸惑った表情を浮かべる。

 山道は想像以上に急峻で、細い崖道が連なっている場所もある。


「高所はあんまり得意じゃないんだよな」


 リオネが軽い笑い声を立てる。

 彼女は吟遊詩人らしい華やかな服装を少し改造し、冒険者風に仕立て直している。


「転ばないように気をつけてね。ここで落ちたら大怪我じゃ済まないわ。セト、転倒防止の小さな結界とか貼れないかしら?」


 セトは短く首を横に振る。


「転倒防止用の小結界は理論的には可能だけど、広い範囲をカバーするには相応の魔力が必要だ。もし戦闘になったときに結界が割れると厄介だから、あまり多用はできないよ」


 そう言いながらも、セトは必要最低限のサポート魔法(足場が多少安定する程度の術)を用い、レイジの足元を淡く光るラインで覆う。

 レイジは「あ、ありがとう。これで多少安心かも」と微笑む。


 こうして5人は、一列になって崖沿いの山道をゆっくりと進んでいく。

 岩肌には苔が生え、朝露がしっとりと靴を濡らす。

 時折、遠くの獣の咆哮や鳥の鳴き声がこだまし、辺境の自然の厳しさを感じさせる。


 

 山道をしばらく歩き続けると、視界に細い渓流が現れた。

 そこは水源が山頂付近にあるらしく、透き通った水が岩の割れ目から流れ落ち、小さな滝を作っている。

 レイジが目を輝かせるが、同時に微かな殺気を覚え、アリシアも剣の柄に手をかける。


「みんな、気をつけて。山岳の魔物が潜んでいるかもしれない」


 その予感は的中した。

 滝壺の陰から突如として二体の魔物が飛び出してくる。

 体格は狼に近いが、鱗のような外骨格が生えており、口から毒々しい唾液を垂らしている。


山蛇狼(やまじゃろう)か……? こんな所に巣を作ってるなんて厄介だな」


 ガロンが斧を構え、低く構える。

 山蛇狼は群れで行動することが多いが、ここにいるのは二体だけのようだ。

 ただし、その牙には猛毒があるという。

 レイジは咄嗟に手をかざすが、アリシアから「待って!」と制止がかかる。


「私たちで片付けるから、魔力の大規模放出は避けて」


 その声に従い、レイジは深呼吸して一歩下がる。

 かわりにガロンとアリシアが前へ出て連携し、リオネは遠距離から支援の矢を放つ。

 セトは結界を展開して仲間をサポートする。


 山蛇狼は鋭い牙を剥いてアリシアに突進。

 彼女は剣を振り下ろして魔力を帯びた斬撃を繰り出し、一撃で片方の狼の脚を切り裂く。

 ガロンは大斧を大きく振り回し、もう一体を怯ませる。

 そこへリオネの矢が背後から命中し、山蛇狼は短い悲鳴を上げて倒れ込んだ。


「よし、やったな!」


 ガロンが息を吐き出す。

 アリシアも軽傷で済んだようだ。

 レイジが駆け寄って「大丈夫?」と尋ねると、アリシアは小さく微笑む。


「ええ、平気」


 レイジはほっと胸を撫で下ろすが、その一方で胸の奥がざわつく。

 自分が何もできずに仲間に頼るしかないのは、歯がゆい思いがある。

 不安を抱えつつも、いまは仲間の好意に甘えるしかない。

 アリシアらに感謝しながら、レイジは再び歩みを進める。



 山岳地帯を越えた先、標高がやや下がったあたりから、薄霧が立ち込め始めた。

 日の光はまだ高いはずなのに、木々の合間を漂う白い霧が視界を奪う。リオネは歌うように言葉を紡ぐ。


「ここが『霧の森』の入り口……噂には聞いてたけど、幻想的っていうか、不気味な感じだね」


 セトは地形図と照らし合わせながら、「どうやらここから先はほとんど未踏の地らしい。命輝石の巡りが不安定なのか、魔力干渉も強い区域だ」とつぶやく。


 レイジは霧の中を見つめて、ぞっとする。

 昔のホラー映画でも見たような光景だ。

 木々の根元に奇妙なキノコが群生し、枯れかけた草花が霧の合間にうっすらと浮かび上がる。

 魔力が歪んでいるかのように、皮膚がチクチクと感じるほどの違和感がある。


「この先、本当に進むの?」

「引き返すわけにはいかないだろ?」


 ガロンが苦笑し、斧の柄を軽く叩く。

 アリシアも剣に手を置き、周囲を警戒しながら言う。


「魔物が出ないとも限らない。現実と幻影が入り混じる場所だと聞くし、慎重に進もう」


 五人は霧の森へ足を踏み入れた。

 木々の枝が絡み合い、頭上を覆うせいで昼間でも薄暗い。

 地面は苔と落ち葉に覆われ、柔らかな踏み心地だが、滑りやすい。


 ときおり小動物の気配が走るが、姿は見えない。

 リオネが低い調子で鼻歌を歌い、霧を少しでも和らげる魔法を試みるが、「うーん、あんまり効かないわね。霧そのものが魔力を帯びている感じ」と首を傾げる。

 セトも「この辺り、結界が歪んでいるのかもしれない」と深刻そうに呟く。



 森の奥深くへ進むうちに、霧がさらに濃くなっていった。

 視界は数メートル先もおぼろげで、木々が白い影のように立ち並んでいる。

 アリシアが前を歩き、ガロンが後衛、セトとリオネが左右を警戒し、レイジは中央で足元を確かめながら進むという布陣だ。

 突然、レイジは激しい頭痛に襲われる。


「っ……またか……」


 これまで神の神殿へ引きずり込まれる前兆の頭痛と似ているが、少し違う。

 周囲の霧が奇妙に揺らぎ、視界の片隅に『神殿』のような残像がちらついた気がした。


「大丈夫か?」


 すぐにアリシアが振り返るが、レイジは返答に詰まり、霧の向こうに何か人影のようなものを見て声を上げる。


「え……あれ、誰かいる……?」


 ぼんやりと浮かぶ影――まるで高校生時代のユニフォーム姿の自分の仲間たち……?

 サッカー部のユニフォームを着た友人たちの背中のようにも見える。

 そんなはずはないのに、彼らは笑いながら「レイジ、早くこっち来いよ!」と手を振っているように思えた。


「おい、どこ行くんだ!」


 ガロンの声が響くが、レイジは幻影に引き寄せられるように数歩進む。

 すると足元の根に絡まってバランスを崩し、倒れ込みそうになる。

 咄嗟にアリシアが腕を引いて踏み止める。


「レイジ、しっかり! これは幻覚。魔力が霧に溶け込んで、幻を見せているの!」


 その言葉にはっとするレイジ。

 たしかにもう一度目を凝らすと、そこには誰もいない。

 ただの木の根元と霧が形作った影に過ぎなかった。


 意識を取り戻したレイジに、セトが近づいて短い呪文を唱える。

 彼は古代文書で見つけた『精神安定の魔法』を試し、レイジの頭痛を軽減する施術を施す。


「大丈夫か? ここでは誰しも何らかの幻を見せられる可能性がある。強い思い出やトラウマがある者ほど、引きずり込まれやすいんだ」

「ごめん、助かった……。ほんとに油断できないね」


 仲間たちも似たような幻覚を小規模に感じているらしく、リオネは「あら、昔の友達が呼んでると思ったら、白い霧の影だったわ」などと冗談めかしている。

 だが一歩間違えれば深みにはまる危険がある。

 改めて気を引き締め、五人は互いの姿を見失わないよう声を掛け合いながら進み始めた。



 霧の森を抜けきれないまま昼を迎え、いくらか日差しが強くなっても、上空を覆う樹冠と霧のせいで薄暗さは変わらない。

 風がほとんど吹かないので、湿った空気が身体にまとわりつき、じっとりと不快だ。


「そろそろ休憩したほうがいいね。あまり無理して進むと、また幻覚にはまりそうだ」


 セトが提案し、少し開けた場所に腰を下ろす。

 リオネが持参した糧食を分け合い、水を口に含む。

 それでも全員が警戒を怠ってはいない。


 すると、意外なことに、その場所へ現れたのはエルフ族の一人だった。

 長い耳を持ち、細身の体躯に木の葉や樹皮を編んだ衣装を纏っている。

 森の民と呼ばれる彼らは辺境に点在し、王国や連合軍とも距離を置いて生活していると聞く。


「あなたたち、珍しいね。人間なのに、こんな奥深くまで来るなんて」


 エルフの若い女性が警戒しつつも、ある程度の共通言語を使って話しかけてきた。

 アリシアが立ち上がり、礼儀正しく一礼する。


「私たちは旅の途中で、霧の森を越えて聖域を目指している。あなた方が住んでいる場所に迷惑をかけるつもりはない」


 エルフの女性は視線を巡らせ、特にガロンの大斧やアリシアの剣を見て身構える素振りを見せる。

 しかしリオネが柔らかな笑顔で言葉を続ける。


「私たちは闇商人でもなければ、戦乱を起こしたいわけでもないの。もしエルフの里があるなら、ほんの少しだけ休息を取らせてもらえないかしら?」


 少し沈黙が流れるが、女性エルフは一度踵を返して森の奥へ姿を消す。

 警戒したのだろうかと彼らが思い、がっかりしかけたそのとき、ほどなくして十数名のエルフが連れ立って現れた。


「私たちの長が、『様子を見るだけならいい』と言っています。あなた方が敵意を持っていないとわかったら、里へ案内しても構わない、と……」


 厳しい眼差しの中年エルフがそう告げると、五人は安堵の表情を浮かべる。

 


 エルフの集落へ足を踏み入れると、そこには樹上に作られた住居が点在していた。

 太い枝や蔦を巧みに使い、森の霧を活かしながら隠れ住んでいるようだ。

 地面には神秘的な模様が描かれた小さな祭壇があり、そこに命輝石の小欠片を祀っているのが見える。


「なんだか神秘的ですね」


 レイジが無邪気に驚嘆の声を上げると、ガロンが渋い顔で「俺もこういう場所は初めてだぜ」と呟く。

 アリシアは警戒を解かずに目を光らせつつも、里の長らしいエルフの壮年男性に軽く会釈する。


 やがて彼らは里の中央に立つ大樹の根元へ案内される。

 そこには簡素な囲炉裏があり、数名のエルフが待ち構えていた。

 その中には先ほどの若い女性エルフの姿もある。


「よく来ましたね……私はここの里の長、リューディアと申します。あなた方が何者か、まだ完全には信じていませんが、とりあえず敵意はないようで安心しました」


 リューディアと名乗るエルフは長く白髪を三つ編みにし、落ち着いた声で話す。

 セトが一歩前に進み、「私たちは世界の異変と命輝石の衰退を憂慮していて、その手掛かりを探しているのです。もし何かご存知でしたら、お力を貸していただけませんか」と腰を低くする。

 里の長は周囲のエルフと視線を交わし、やや困惑した様子を見せながら答える。


「わたしたちも、森の命輝石が少しずつ輝きを失っているのを感じています。魔物や霧の異常はその影響かもしれない……。しかし、解決策はわかりません。昔から『精霊王』という存在がこの世界の根幹を支えると伝え聞くが、実際に会ったエルフはいないのです」

 リオネが興味深そうに声を上げる。


「この森と精霊王の関係について、何か伝承はありませんか? 私たちは『聖域』と呼ばれる場所を探していて、そこに精霊王が眠っているかもしれないんです」


 すると、若い女性エルフが前へ出た。

 彼女は先ほどレイジらと最初に遭遇した者だ。

 名をシルフといい、里の戦士を兼ねる見習い巫女だという。


「わたしが記憶している限りでは、『霧の森』のさらに奥に『結界の湖』があるという言い伝えが残っています。そこが聖域への入り口かもしれない……。ただ、結界の守り手が厳重に境界を閉ざしているとも言われていて、外の者が近づけば道を閉ざされる、という話も」


 アリシアは短く息を飲む。


「結界の湖……そこに行くにはどうすれば?」


 シルフは曖昧に首を傾げ、「地図も何もないから、正確なルートは分からない。私たちの里から先は、『迷いの深淵』と呼ばれる領域で、エルフでも滅多に足を踏み入れない……」と申し訳なさそうに言う。

 里の長リューディアも苦い表情で頷いた。


 レイジの心は沈むが、シルフは続ける。


「ただ、わたしの祖母は昔、『泉に映る月の夜に精霊の歌を捧げれば、道を示す光が現れる』という伝承を口にしていました。真偽はわかりませんが、もし本当に聖域へ進む方法があるとすれば、それかもしれない……」


 その言葉にリオネが反応して大きく頷く。


「なるほど、歌……。私も吟遊詩人として、精霊に捧げる歌の文献を読んだことがあるわ。夜の泉に月が映るとき、霊的な力が活性化するという説があって……」


 セトも興味を示し、「結界魔術と歌魔法を組み合わせることで、空間の扉を開く理屈はあり得るかもしれない」と呟く。

 アリシアとガロンはまだ半信半疑だが、これが何らかの手がかりになるのは間違いない。


 こうして彼らは、エルフの里で貴重な情報を得る。

 霧の森のさらに奥、『結界の湖』を探し出し、月夜に歌を捧げれば、聖域への道が開かれるかもしれないのだった。


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