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第7章:逃亡と仲間の衝突(1)

 王都ローゼンベルグを発った翌日、神崎レイジとアリシアは馬車を乗り継ぎ、ひたすら辺境へ向かう街道を進んでいた。

 乾いた風が荒野の砂を巻き上げ、所々に点在する小さな集落の屋根や木立が視界にちらつく。

 かつては平和だったというこの地方も、いまは連合軍や闇商人の勢力が入り乱れ、治安が落ちているとの噂が絶えない。


 アリシアは王命によって「レイジを辺境まで連行し、状況次第では封印か、あるいは最悪の場合は排除も辞さず」という重責を背負っている。

 レイジは「王都追放に近い形での退去」を強いられ、またしても逃亡者の身となった。

 しかし、ふたりとも複雑な思いを胸に秘めつつ、この旅路にいったん踏み出すしかなかった。



 朝焼けに染まる空を背に、二頭の馬が引く簡素な馬車がカラカラと車輪をきしませながら走っていく。

 アリシアは御者台に座り、手綱を握る姿勢のままほとんど口を開かない。

 銀色の髪をポニーテールにまとめ、騎士の鎧を脱いで軽装になっているが、その瞳には迷いと覚悟が混在していた。


 一方、レイジは馬車の車内から外を見つめている。

 かつて王都を旅立ったときは「学院の調査に行く」という名目があったが、いまは立場がまるで違う。

 いつ騎士団の追手が来てもおかしくなく、闇商人や連合軍の刺客が襲ってきても不思議ではない。

 それを思うと、背筋に冷たい汗が流れる。


 朝から昼にかけて日差しはますます強くなり、荒野特有の乾燥した風が砂を巻き上げる。

 喉が渇き、唇がひび割れそうになるたび、レイジは少しずつ水筒の水を口に含んでいた。

 

 馬たちも焦げくさい地面を踏みしめながら、時折大きく鼻息を鳴らす。

 アリシアが軽く手綱を引いて速度を緩める。


「先に、あの小集落で休んでいきましょう。馬も限界だし、水と食料を補給しないと」


 低い声ながら、彼女なりの気遣いが滲んでいるようにも感じられ、レイジは静かにうなずいた。

 荒野のど真ん中にあるその集落は、十数軒の家が小さくまとまっているだけの寒村だった。

 井戸は一つしかなく、周囲には枯れかけた畑が広がる。

 魔物か盗賊の被害を警戒してか、木製の柵が敷地を囲っているのが見えた。


 二人が馬車を止めていると、集落の長老らしき老人が出てきて挨拶をしてくる。

 顔には深い皺が刻まれ、腰の曲がった身体を杖で支えていた。


「旅人はめったに来ないが……まぁ、水ぐらいなら分けてやれんことはない。この辺りは危険が増してきたから、早めに通り過ぎたほうがいいぞい」


 彼の声には切実さが混じっていた。

 アリシアは防水用の皮袋を持ち出し、丁寧に礼を言いつつ水を補給させてもらう。


 一方、レイジは村の様子が妙に荒廃していることに気づいていた。

 柵のあちこちが壊れ、家屋は修繕の跡が目立つ。


「ここ、最近に何かあったんですか? 魔物とか盗賊に襲われたような痕跡が……」


 老人はうつむいて苦い顔をする。


「ええ、魔物が増えたのもあるが、一番困ったのは闇商人だ。ユダとかいう男の手先がこの辺りまで来て、私らに『怪しい薬』を押し付けようとしたり、逆らえば盗賊を差し向けるぞと脅してきたり。若い連中は戦う気を見せたが、結局どうにもならん。もうみんな疲弊しとるよ」


 レイジは胸を痛める。

 この村が受けた被害は、まさにユダ・ブラッディの暗躍の証拠だ。

 彼はどこにでも手を回し、弱者を脅して利益を吸い上げる。

 もしユダがレイジの魔力を本格的に狙うなら、こうした村も巻き込まれかねない。


 老人の案内で村の端にある空き家に通され、一時的に馬車を休ませることができた。

 アリシアは馬の足を確認しながら、軽く命輝石の欠片を取り出して魔力を灯す。

 ごく小さな光だが、疲れを癒やす簡易魔術の効果があるらしい。


 ◇◇◇


 静かな村の空き家で休息をとり始めた夕刻、外の広場からガヤガヤと騒がしい声が聞こえてきた。

 どうやら旅の冒険者が到着したようだ。

 アリシアは警戒して剣に手を伸ばし、レイジも胸の奥で魔力がざわつくのを感じつつ外へ出る。


 そこにいたのは、屈強な体躯を誇る大男――ガロン・ウルグだった。

 以前、王都近郊で出会い、その後は別行動を取っていた『荒野の鬼斧』の二つ名を持つ冒険者だ。

 

「おおっ、レイジ!……って、アリシアもいんのか?こんな辺境で何やってんだよ」


 ガロンは目を丸くしながらも、腕を組んで不思議そうにこちらを見つめる。

 レイジは戸惑いつつ、「いろいろあって、王都を出たんだ。ガロンこそ、どうしてこんな場所に?」と返す。

 ガロンは苦笑しながら、村長らしき老人と話していたらしく、集落の被害状況を調査しにきたという。


「俺はギルドのクエストで辺境の治安を確かめてる最中さ。魔物がやたら増えてるし、盗賊もばっこしてるって話だからな。ひょっとして闇商人絡みかと思って来てみたら、案の定ここの村もひどい有様だ。で、まさかお前らと鉢合わせるとはな……」


 アリシアは険しい表情を崩さないまま、口を開く。


「正直、私たちは『追われる立場』になった。王都でいろいろあって……。ガロン、あなたは冒険者として自由に動けるでしょうけど、私たちは今、辺境に身を潜めるしかない状況なのだ」


 ガロンはそれを聞き、まじまじとレイジの顔を見る。

 少し前に会ったときよりもどこかやつれ、気負いと不安が入り混じった目をしている。


「へえ、追われる身ねぇ……。ま、王国騎士が一緒に『逃げ』ときたら、相当ヤバい事態なんだろうな」


 その大きな腕を組み直すと、ガロンはふっと笑う。


「なら、俺も一緒に行くか。お前たちがどこへ行くか知らんが、どうせ闇商人連中を放っとくわけにもいかねえし、お前が危ない橋を渡ってんなら、力になりたいからな」


 意外な申し出に、レイジは驚きと嬉しさを覚える。

 アリシアも「あなたまで巻き込むわけには……」と躊躇うが、ガロンは豪快に手を振る。


「バカ言え。俺は『力こそが人を守る』って信じてここまで生きてきたんだ。それに、レイジがもし暴走しそうになっても、俺が殴って正気に戻してやるさ」


 ちょっとした冗談めかした言葉だが、ガロンの真っ直ぐな瞳には仲間を想う気持ちが宿っていた。


「ありがとう、ガロン。正直、心細かったから助かる」


 レイジがそう答えると、アリシアも微かに笑みを浮かべる。


 ◇◇◇


 翌朝、村を出発する準備を進めながら、アリシア・レイジ・ガロンの三人は地図を広げていた。

 荒野の街道をさらに北西へ行けば、連合軍の支配地域へ入ってしまう。


 一方、南東に下れば山岳地帯を経由して海側へ抜けるルートもあるが、そこは『闇商人の勢力圏』と言われている。

 アリシアは指先で地図をなぞりながら、低い声で提案する。


「私は、まず山岳地帯を越えて海辺のほうへ出ようと思う。連合軍の地域に近づけば、絶対に見つかってしまうし、闇商人がいても、辺境のほうが逃げ道は多いはず」


 だがガロンは首を振る。


「そこは闇商人が牛耳ってる港町があると聞くぜ? もしユダの手の者に捕まったら、レイジを連れ去られる危険が高いんじゃないか」


 レイジは困惑顔で二人のやり取りを見守る。

 ガロンは闘争慣れしていて、力押しもいとわないが、アリシアは極力争いを回避したい。

 一方で連合軍領に行けば即座に『確保』される恐れがある。

 結局、どちらも危険なルートだ。


「でも、連合軍領よりはマシだと思う。連合軍は王国に猛抗議していたし、私たちを見つけたら即座に拘束される可能性が高い。闇商人の支配領域は厄介だが、彼らもまだ私たちを拠点近くで待ち構えているとは限らない」


 アリシアがそう力説すると、ガロンは腕を組み「ふむ……」と唸る。


「なるほどな。でも、海辺には港町があって、そこに向かう船や異種族も出入りしてる。もしユダの配下が入り込んでたら、スパイだらけだぞ? 力ずくで突破するしかなくなるかもな」


 その言葉にアリシアは一瞬言葉を失う。

 もともと彼女は騎士として正面衝突を避けながらも、人を守りたいと思ってきた。

 しかし今は、下手に争えばレイジの魔力暴走を誘発し、逆に戦闘を避けすぎれば追っ手に捕まる可能性も高まる。

 選択肢がどれも厳しい。


 苛立ち混じりにアリシアがマントを翻すと、ガロンも「どうすんだ?」と彼女を見やる。

 結局は、リーダーとして行動方針を決めるのはアリシアの役割と言えなくもないが、その重責が彼女を苦しめているようだった。


「わかった。とにかく東の山岳ルートを迂回して、辺境の集落を渡り歩きつつ南東へ向かう。そこから海辺には行かず、さらに砂漠寄りに迂回する形で連合軍領を避ける……かなり遠回りになるけど、そのほうが安全かもしれない」


 少し無理のあるルートだが、今は一か八かに賭けるしかない。

 ガロンは「お前が決めたんなら、俺は従うさ。面倒になったら力押しでいいんだろ?」と笑う。

 レイジは心中で(本当にそれでいいのか?)と焦りを抱きながらも、二人に合わせて進むことを決意する。



 こうして三人は村を出た。

 馬は一頭だけを用い、ガロンが荷物を担いで徒歩で並走する形だ。

 山岳方面への獣道を選んだため、整備された街道とは違い、岩や急坂が連続している。

 馬車の走行は厳しく、ところどころで降りて押さねばならないことも多かった。


 何度か険しい崖道を越えるうちに、日は傾き、やがて夕暮れが迫ってくる。

 もし早めに宿を取らなければ、夜間の危険な獣や魔物に遭遇するリスクが高まる。

 ガロンは苛立ち混じりに息を吐く。


「こんな遠回り、正直言って効率が悪すぎるぜ。いっそ連合軍の国境付近をちょっと通り抜ければ、距離はずっと短いのに……」


 それに対し、アリシアは「連合軍が見張っている可能性を考えれば、突っ切るのは自殺行為だ。捕まってレイジを引き渡せと迫られたら、あなたはどうする?」と突き放すように答える。


 ふたりの会話を聞きながら、レイジは気まずさを覚える。

 だが、ガロンが見逃さずに彼を振り返る。


「レイジ、お前はどう思う? 本当はなんとかして封印じゃなく、制御を目指したいんだろ? なら王都や賢者学院に未練があるんじゃねえのか?」


 その問いに、アリシアの表情が暗くなる。


「王都へは戻れない。排除命令が解除される保証もないし、賢者学院だって今は動きづらい。あなたがそう簡単に戻れるなら、苦労しない」

「わ、わかってるよ……」


 レイジは少しうつむいて言葉を絞り出す。

 それがさらにガロンの苛立ちを煽るようだ。


「だったら、この『世界を救う』とか言う話はどうなる? お前があまりにも危なっかしいから、みんなビビってんじゃないか。実際、いつ暴走するか分からないんだろう?」


 声には棘がある。

 だが、ガロンとしてはレイジを大切な仲間と見ているからこそ、歯がゆさをぶつけているようにも見えた。

 荒野の夕焼けに染まる岩肌が、不穏なオレンジ色を放つ。

 アリシアも感情を抑えきれず、きつい口調で反論する。


「だからこそ、遠回りになっても安全なルートを探している。連合軍の監視網や闇商人の待ち伏せに突っ込んで、レイジが捕まったらどうする? 死ぬだけじゃなく、世界を滅ぼす引き金になるかもしれない!」


 ガロンは拳を握りしめ、「そんなこと分かってる!」と低く吠える。

 夕日の陰で、大柄な体がさらに大きく見える。


「だが、それでいつまで逃げ回る気だ? いずれ連合軍だろうが王国騎士団だろうが、いくらでも追ってくる。だったらむしろ、こっちから仕掛けて一網打尽に……」

「それこそ無謀だ。あなたは力があるかもしれないけど、レイジが魔力を使えば命輝石を傷つけるリスクがある!」


 言い合いが激しくなっていく。

 レイジは二人の狭間で立ち尽くし、どうしたらいいか分からない。

 自分を中心にして衝突しているのが余計に辛い。


「やめようよ。争っても仕方ない」


 そう呟くが、声は小さくかき消されそうだ。

 ガロンとアリシアの意見は噛み合わない。

 彼らなりにレイジを案じているが、アプローチが全く異なるのだ。


 最終的にガロンが「クソっ!」と悪態をつきながら歩き去る。

 アリシアも黙ったまま馬車のほうへ戻っていく。

 残されたレイジは岩の上で呆然と空を見上げるしかなかった。



 日が沈みかける頃、三人は岩陰に野営の準備を整える。

 アリシアはテントの設営に集中し、ガロンは火を起こして簡単な夕食の用意をする。

 レイジはふとした拍子で、かつてアリシアから渡された古代文書(命輝石と神の実験に関する断片)を思い出し、バッグから取り出して読んでみることにした。


 ページをめくると、『精霊王』という単語が再三にわたって登場する。

 この世界における最も原初的な精霊の頂点であり、命輝石と深く結びついている存在らしい。

 説によれば『精霊王を眠りから呼び覚ませば、世界に再び命が満ちる』とあるが、その具体的な方法は書かれていない。


 もしかしたら、自分が追うべき道は『精霊王との接触』なのではないか――。

 ただ、問題はその聖域とやらがどこにあるのかも分からないこと。

 下手をすれば伝承だけの幻想かもしれない。

 それでも、何もない闇よりは希望を感じられた。



 夜の闇が深まり、火の照り返しが岩壁にゆらゆらと影を映す。

 夕食を済ませると、アリシアが少しだけ言葉を交わしてきた。


「すまない、さっきは声を荒らげてしまって」

「いや、ガロンも同じくらい熱くなってたし……。俺こそ何も言えなかった」


 沈黙が続く。

 ガロンは少し離れた場所で腕を組み、星空を見上げている。

 どうやらまだ気持ちの整理がつかないようだ。

 意を決したように、レイジが古代文書をアリシアに見せる。


「ここに『精霊王』のことが書いてあった。もしかしたら、この伝承を辿れば制御の糸口があるかも。セトも、精霊王と命輝石の深い結びつきを言ってたし……」


 アリシアはページをめくり、「これは王国の古文書庫にあった書物ね」と頷く。

 しかし、その表情は半信半疑だ。


「でも、精霊王の伝承は曖昧なものが多い。そもそも誰も実在を確認していないし、場所だって不明だ。世界樹とか聖域とか言われる場所は、辺境や異種族の領域に点在するというが……」


 けれどレイジは必死に食い下がる。


「そうだけど、何か手がかりがあるなら、俺は試してみたい。世界がどうにかなっちゃう前に、何とか力を正しく使える方法を……。封印されるだけじゃ嫌だし、ただの道具にされるのも嫌だ」


 その声には切実さが滲んでいた。

 アリシアは軽く眉を下げ、そっとレイジの肩に手を置く。


「あなたの気持ちはわかる。でも現実問題として、精霊王の情報を探すには、さらに辺境奥地の調査が必要だ。私たちだけで踏み込めるかどうか……」


 そこで二人はガロンのほうへ視線を向ける。

 もしかしたら彼の荒野知識や冒険者としての経験が役に立つかもしれない。

 だが、さっきの衝突がある以上、どう切り出せばいいのか躊躇してしまうのだった。


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