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第5章:王国と連合軍、闇商人ユダの思惑(1)

 王都ローゼンベルグの朝。

 大通りには露店や職人が立ち並び、行き交う人々の活気が感じられる。

 その一方で、城壁の内側では騎士団による警備が強化され、街角の巡回兵が以前より増え始めていた。

 最近、王都でも魔物出没の噂や闇商人の暗躍が頻繁に囁かれ、民衆の間にはわずかな緊張感が漂っているのだ。


 一方、王宮に隣接する重厚な建物『王国騎士団本部』の執務室――。

 そこでは若い国王、ローゼンベルグ王が地図を眺めながら厳しい表情を浮かべていた。

 金茶色の髪を短く整え、30代前半にして威厳のある面差しを持つ『若き獅子王』と呼ばれる人物である。

 王冠やマントは身につけていないが、その立ち姿は鋭い眼光を感じさせる。


「近隣の連合軍がざわつき始めているそうだな。魔力異常や命輝石の衰退、まったく落ち着かん時代だ……」

 

 王は低い声で呟く。

 執務机の前には、王国騎士団の幹部らが控え、その中にはアリシア・ヴァイスもいる。

 彼女はいつもの銀色の鎧姿で、緊張を湛えた面持ちを崩さない。


「陛下、連合軍の使者が二日後に到着するとの報せがあります。彼らは『魔力異常の原因を王国が秘匿しているのでは』と疑念を抱いているとか。会談の場を設けるべきかと……」


 騎士団幹部の一人が進言すると、王は眉を顰めるように顔を歪めた。


「連合軍め……。あれだけ協定を結んでおきながら、こちらに責任を押し付けようというのか? だが、無用な戦端を開くわけにもいかない。やむを得ん、会談を受け入れよう」


 そう言いつつ、王は机の上の書類に目を通す。

 その書類の端には『神崎レイジ』という名が記されていた。


「こちらも厄介な案件を抱えている。例の少年――レイジ、とか言ったな。そいつが魔力異常の一因になりかねないと聞くが、真相はどうなのだ?」


 問いかけを受けた幹部たちは互いに目を伏せ合い、最後にアリシアが一歩前に進む。


「陛下、レイジの魔力は確かに規格外で、命輝石に悪影響を及ぼす危険があります。ただ、本人は自分の力を好んで使うわけではなく、むしろ世界を守りたいと願っている様子です。先日の賢者学院の解析によれば、制御次第では救世主にもなり得ると……」


 言葉尻が弱まるアリシア。

 王の瞳には冷静な光が宿り、その声はやや非情な響きを帯びる。


「制御次第で救世主、か。だが、万一制御を誤れば破滅を招くというわけだな。王国としては、最悪の場合『排除』をも辞さない態度が必要となる。アリシア、お前は彼を連れてきた張本人であり、監視役でもあるが……その覚悟はあるのか?」


 アリシアは気圧されつつも、騎士として背筋を伸ばす。


「はい。もし彼が世界にとって脅威となるならば、やむを得ず排除の道を選ぶこともあるでしょう。ただ、私の個人的見解としては、可能性を信じたい……」


 そう言いかけて、彼女は言葉を止める。

 国王に向けて『彼を助けたい』という個人的な思いを迂闊に口にすれば、職務上の忠誠を疑われるかもしれないからだ。

 王はあくまで冷静にうなずくと、再び地図に視線を落とした。


「わかった。連合軍や他国の動向次第では、レイジとやらを国防に利用する手もある。だが、その危険性を知れば、連合軍が黙っていないだろうし、場合によっては闇商人どもがそれに乗じて混乱を拡大する恐れもある……。つまり、我々に残された猶予は多くない」


 王は地図の上の辺境地帯を指し示す。

 そこには最近、魔物の出現頻度が増しているという報告が集中していた。

 命輝石の枯渇が始まっている可能性が高い。


 「このままでは国土が崩壊に向かう。王国としては、レイジの扱いを早急に決めねばならん。近々、私が直接謁見して、その意思を確かめよう。その結果如何では……」


 誰もが、その先に続く言葉を想像する。

 『排除』か、『封印』か――。

 アリシアは静かに拳を握り、苦い思いを押し殺す。


 ◇◇◇


 王都の一角。

 街道からやや外れた古い建物の地下――かつての貴族の離宮が廃屋となり、今は闇商人ユダ・ブラッディの隠れ家として利用されていた。

 そこには黒い礼服をまとい、細身の体躯で優雅に笑う男がいる。

 漆黒の髪に、どこか妖艶ささえ感じさせる面立ち。

 その名をユダ・ブラッディという。

 周囲には数名の私兵が控え、まるでユダを崇拝するように佇んでいた。


「王都の警備が強化されるとは、面倒なことになったものだね。だが、その警備を維持するためには国費が要るし、騎士団が辺境に派遣されれば防衛が手薄になる部分も出てくる。混沌が深まれば深まるほど、私の商売は潤うというわけだ」


 ユダは手にしたワイングラスを揺らしながら、私兵の一人に問いかける。


「で、学院への襲撃は失敗したと聞いたが……?」


 私兵の男はひどく恐縮した様子で頭を下げる。


「はっ、申し訳ございません、ユダ様。深層解析区画へ侵入するも、王国側の警備と、あのレイジの魔力によって撃退されました。捕縛された仲間もいるようです……」

「ふうん、レイジ本人が力を使ったのか。なるほど……彼もそう易々とは我らに屈しない、ということだな」


 ユダは微笑を浮かべ、グラスのワインを一口飲む。

 その振る舞いはまるで貴族のサロンにでもいるかのようだが、彼の目は笑っていない。


「まあいい。今回の襲撃は、あくまで『試し』に過ぎない。彼が本当に世界を破壊しうる魔力を持っているなら、いずれ王国も連合軍も動揺する。うまくあおれば、戦乱に近い混乱を引き起こせるかもしれない。そうなれば、我らの利潤は果てしなく膨らむのだよ」


 ユダは軽く指を鳴らし、別の私兵を呼び寄せる。


「近々、連合軍との密談を取り付けるのだ。彼らもまた『レイジ』に興味を持っているはずだ。王国がレイジを独り占めするならば、連合軍としては面白くあるまい。そこをあおるのだよ、いいね?」


「はっ、かしこまりました」


 私兵は顔を曇らせながらも従うしかない。

 ユダのやり方は常に強引で、一寸の油断も許さない冷酷さを漂わせている。

 部下が去ったあと、ユダはグラスを置き、ゆっくりと椅子に腰掛ける。


「レイジ……その少年を手に入れれば、命輝石すら商品として売り捌けるかもしれない。世界が滅びようと、金の流れは止まらないさ……」


 唇に浮かぶ笑みはぞっとするほど冷たく、彼が何を企んでいるのかは、まだ誰にも正確に掴めていない。

 しかし、その闇が王都の深部へじわじわと浸透しているのは間違いなかった。


 ◇◇◇


 同日の午後、賢者学院の一角では、セト・ノースフィールドが古い巻物を手にしながら難しい顔をしていた。


「封印術に関する記録はあるが、肝心の『精霊王の力を使った命輝石の再生』については、やはり資料が断片的だな。いつかはこれをレイジに伝えたいんだが……」


 彼は学院の図書庫で、大量の古文書に目を通しつつ、レイジの魔力制御に活かせそうなヒントを探っている。

 賊の襲撃で機材の一部が破損し、しばらく大規模な解析はできない状況だから、こうして文献調査に時間を割いているのだ。

 すると、学院のスタッフがあわただしく駆け込んできた。


「セト先生、大変です! 連合軍の一部代表が急遽、学院を訪問したいとの申し出が……。学院長老はまだ対応に迷っておられますが……」

「連合軍が、こんなタイミングで? 何の用件だろう?」


 セトは眉をひそめる。

 賊の襲撃直後、学院の警備は強化されているというのに、連合軍の動きが早すぎる。

 彼らが本当に学院の学術的興味を持っているのか、それとも『レイジ』を巡る情報を探りにきたのか。


「まさか、闇商人ユダが裏で手を回しているのかもしれない。どこまで波紋を広げるつもりなんだ……」


 セトは頭を抱える。

 王国と連合軍の間に緊張が走れば、賢者学院はその板挟みになる可能性が高い。

 まして、レイジの研究を続けるには王国の許可も必要であり、連合軍を安易に敵に回すわけにもいかない。


「とにかく、連合軍の訪問を受けるかどうかは長老が判断するだろう。僕はレイジの研究を急ぐ……この世界を救う手がかりがあるなら、早く見つけなくては」


 セトは巻物を再び読み返し、古代文字を解読しながら呟く。

 頭のどこかには、レイジが抱える『不安げな表情』が焼き付いていた。

 彼の力が世界を壊すのか、救うのか――時間はそう多くない。


 ◇◇◇ 


 その日の夕暮れ。

 王国騎士団の詰所に与えられた一室で、レイジは机に頬杖をつきながら窓の外を見つめていた。


 (封印されるか、制御するか……。今のままだと、騎士団や学院の連中も心配しっぱなしだろうし。もし封印されたら、俺はただの囚人になるのかな……)


 頭を抱えるようにして、大きく息を吐く。

 かつてはただの高校生だった自分が、こんな大きな責任を負わされる立場にあるなど想像すらしなかった。

 ノックの音がして、リカルドが顔を出す。


「レイジ、ちょっといいか? アリシア隊長がお前に話があるって。隣の執務室で待ってる」

「アリシアさんが? わかった。今行くよ」


 レイジは立ち上がり、心の中のモヤモヤを振り払うように軽く首を回す。

 アリシアは最近あまり顔を合わせていない。

 彼女自身、王宮や騎士団の会議に駆け回って多忙そうだし、レイジも学院の調査や襲撃事件の後始末でバタバタしていたからだ。


 執務室のドアを開けると、アリシアは窓辺で外を眺めていた。

 銀色の髪をポニーテールに結い、鎧は外しているが、深緑の騎士服をきっちり着こなしている。


「来たか……」


 彼女の声は硬いが、いつものような厳しさだけではなく、どこか迷いを含んだ響きを帯びている。

 レイジは素直に椅子に腰を下ろした。

 アリシアは机を挟んで向かい合うように座ると、短く息を整えて口を開く。


「まず、結論から言おう。三日後、陛下との謁見が正式に決まりました。あなたが持つ魔力について、直接あなた自身の言葉で説明してほしい、と……」


 レイジはやはり、という表情を浮かべ、額に手をやる。


「そうか……やっぱり、王様に会う時が来たんだね。どんな話をすればいいのかな。正直に『世界を壊すかもしれない力』を持ってるって言えば、すぐに処分されてもおかしくない……」


 その一言にアリシアは険しい顔つきになる。


「処分、なんて簡単に言わないで。確かに国益を考えれば、王が『封印』や『排除』を選ぶ可能性はある。でも、私は……あなたが世界を救う道を模索できると信じたい。王も、命輝石の崩壊を望んではいないはずだから、話し方次第では可能性があると思う」


 言葉の端々には、微かな感情が混じる。

 王命への忠誠と、レイジへの思い――どちらを優先すべきか、彼女自身も揺れ動いているのだろう。


「アリシアさんは、どうしたい……? 騎士としては、俺を排除する選択肢もあり得るってわかってるんだよね……でも、あなたがどう考えてるのか、教えてほしい」


 静かな問いかけに、アリシアは数秒迷った末、視線をレイジに合わせた。

 騎士らしい厳粛さを保ちながらも、微かに頬を緩める。


「私は……騎士として国と陛下を守る義務がある。でも、あなたを最初に見たときから、『ただの危険人物じゃない』と思っている。村を守り、学院でも必死に力の制御を学ぼうとしている。そんな人を、私は……」


 そこまで言ってアリシアは口をつぐんだ。

 『助けたい』という言葉を飲み込むように。

 あまりにも個人的な感情を口にすれば、騎士としての立場が揺らぐ。

 レイジもそれを察し、苦笑交じりにうなずく。


「ありがとう。少し救われる気がする。三日後、俺なりに真実を話してみるよ。王の判断次第だけど、少しでも世界を守る方法を探したい……」


 ふと、アリシアは何か思い立ったように立ち上がり、傍らに置いていた布袋から一冊の古書を取り出す。


「これは騎士団の書庫にあった書物だけれど、命輝石の歴史と、過去に『神の実験』と呼ばれる現象が起きた際の記録が載っている。一部しか残っていないが、参考になるかもしれない。あなたが読めそうなら……」


 レイジは礼を言い、その書物を受け取る。

 神の実験――自分が『神の神殿』で聞かされた言葉と同じだ。


「ありがとう。読んでみるよ。時間はもうあまりないけど、何かヒントがあるかもしれないし……」


 もしこの資料を読み解けば、少しは謎が解けるかもしれないのだった。





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