【前編】 老婆
(見られた。面倒な事になったな)
薄汚い路地裏、殺し屋としての仕事をこなした場面を老婆に目撃されていた。舌打ちをし、地面を這いずる虫達を構わず踏み潰しながら彼女は老婆を追いかけ始めた。ターゲットを殺した場面を見られるなど、あってはならない事だ。
慌てて逃げようとする老婆を彼女はすぐに取り押さえて馬乗りになった。傍らに捨てられていた酒の空き瓶や缶がなぎ倒され、中の液体の腐った臭いが鼻につく。
老婆と思っていた女は近づくと50歳を超えた程度だと分かった。ろくに運動をしていない、どころではなく不摂生でだらしなく膨らんだ身体は、遠くない将来にまともに歩けなくなるだろう事は想像できた。
息も絶え絶えの女が必死にある言葉を絞り出した。その言葉は彼女には全く予想外だった。
「マリ?」
女は、ずっと昔に生き別れた彼女の母だった。
黒いクマの出ている目元、艶のない髪の毛。その姿は流れた年月を感じさせるが、彼女のイメージの中の母と概ね一致した。彼女のおぼろげな記憶から想定される年齢とも大きく乖離していなかった。
同時に彼女は思い出した。アルコールに浸った女により行われた身体的、精神的な虐待の数々を。