辺境伯アレックス・クレイン
アレックス・クレイン辺境伯。
齢16にして戦を治めてからその実力を発揮し、皇帝陛下の右腕として今まで戦場を駆け、力を振るってきた英雄。
辺境伯家当主となったのも16歳であり、なぜ“悪魔辺境伯”と呼ばれるようになったのかは不明。
そんなお方の花嫁として嫁いできたけど……。
「あの、何かお気に障るようなことをしてしまいましたでしょうか?」
喉に突きつけられた鋭利な刃を見て口にすると、旦那様は苛立ったように眼光鋭く口にする。
「あぁ、不快なことばかりだ。君は一体何を考えている」
「何を……」
「そうやって気を引きたいからと、惑わそうとしても無駄だぞ。何せ俺は、“悪魔辺境伯”と呼ばれる男だからな」
(ご存知だったのね)
まさか自ら名乗るとは思わなかったけど、と思いながら、喉に突きつけられているのが剣先だと分かっていても、頭の中は酷く冷静で。
(だって私は)
「構いません」
「は?」
俯き加減で発した言葉は、旦那様の耳には届かなかったらしい。
だから今度は、しっかりと旦那様の黒曜石色の瞳を見て答えた。
「気に食わなければ殺していただいても構いません」
「……!?」
「本気です。この命も身体も、あなた様に捧げると誓ってここへ参りました」
全ては、私を救ってくれた旦那様のために。
(何も持っていない私に出来ることは、これくらいしか)
「はっ、お国のためにということか? 大した忠誠心だな」
目の前にいる旦那様が鼻で笑いながら告げたお国のため、という言葉に、正直に自分の気持ちを話す。
「確かに、お国のためと言われればそれもあるかもしれません。私の身一つで国が救えるのなら、役立たずの私にも価値があるのだと思えますので。
ですが、それよりも感謝すべきは、旦那様がどういう理由であれ私に居場所を与えてくださったことです」
旦那様の瞳が僅かばかり見開かれる。
私はそれでも、旦那様の瞳から目を逸らすことなく告げた。
「旦那様の手で死ぬことが出来るのなら本望です」
「……!」
嘘偽りのない言葉を述べれば、旦那様は肩を震わせたかと思うと……。
「……馬鹿らしい!」
「!?」
剣を収め、私をギロリと睨むと吐き捨てるように言った。
「そう易々と人質である花嫁を殺すわけがないだろう。
君が命を失えば余計な面倒事が増えるのは俺と皇帝陛下だ」
「では、旦那様のために必ず生き延びてみせます」
「そういうことを言っているんじゃない!」
「っ」
ガシッと両肩を強い力で掴まれる。
痛みには強いと思っていたけど、その力強さに顔を顰めてしまったらしく、旦那様はハッとしたように私の肩から手を離し、咳払いして言った。
「〜〜〜とにかく! 俺が誰彼構わず殺すと思われているのが不愉快だ。それから」
「!」
目の前で人差し指を指され息を呑めば、旦那様は至近距離でじっと私を見つめて地を這うような声音で言った。
「俺は簡単に命を手放そうとする奴が大嫌いだ。
良いか、二度とそのような言葉を口にするな。
分かったか」
簡単に命を手放そうとする奴。
旦那様から発せられた言葉に、どうして旦那様が私に向かって怒ったのか、ようやく自分がしでかしたことの重大さに気付く。
(確かに、私の考えが浅はかだった)
旦那様のためになるならと口にしてしまったけど、旦那様はその命を賭けて戦場に立たれているお方。
戦場という死と隣り合わせの場所に立ち、誰よりも命の重さを分かっているからこそ、私の発言はあまりにも愚かだった。
「……申し訳、ございませんでした」
事の重大さに気付き胸が苦しくなって口にした謝罪は、弱々しいものになってしまって。
謝罪が旦那様の耳に届いたかどうかは分からないけど、旦那様は怒ったように部屋を出て行ってしまった。
(……旦那様に花嫁として認めて頂くことはおろか、間違いなく嫌われたわ)
「……あれ」
頬を伝う感触に恐る恐る指先で頬に触れれば、確かに指先が濡れていて。
「私、泣いているの?」
近頃は罰を受けても、何をしても涙の一滴も流れたことはなかったのに。
(私ったら、やはりこの結婚に望みをかけていたのね)
本物の家族になれるかも、なんて。
「馬鹿みたい……」
こんな私では、愛されるどころか、たった今嫌われたばかりだものね……。
そんな自分を鼻で笑ってしまいながら、耐えきれなくなり枕に顔を埋めると、声を押し殺して泣いてしまったのだった。
こうして旦那様との初めての顔合わせは、失敗どころか最悪の結末から始まることとなった。