旦那様との出会い
「こちらがティアナ様のお部屋となります」
バート侯爵邸とは比べ物にならないほどの規模の長い廊下を歩いた先、案内されたお部屋は。
「……わっ」
最近になってあまり驚くことはなかったけど、私の感情はまだ欠片ほどは残っていたようで、感動からか小さく鼓動が跳ねる。
そんな感情のままにローナさんに尋ねた。
「このお部屋を、私が?」
「はい。代々辺境伯夫人となるお方が使われるお部屋です。
あまりにも殺風景であったため、多少なりとも飾り付けをと使用人総出で考え、あつらえたものですがいかがでしょうか? もちろん、お気に召さなければ全部お取り替えが出来ますが」
「お取り替え!? い、いえ、そのままで大丈夫、というよりむしろ……」
(あまりにも素敵すぎるし広すぎて……)
バート侯爵邸で用意されていた部屋は、侍女と同じ部屋で、二人で使うところを一人で使っていた。
それでも暮らすのには十分だと思っていたけど、まさか私に辺境伯夫人となるお部屋を用意していただけるなんて。
(辺境伯様としては望まないことなのでは……)
「ティアナ様? やはりお気に召しませんでしたか?」
「い、いえ、違います。むしろ、このようにお部屋が近いと辺境伯様がお嫌になられるのでは」
「あぁ、それならご心配なさらず。辺境伯様は普段は執務室で寝泊まりされていらっしゃいますから」
「し、執務室で……」
それは何と言うか、その……、大丈夫なのだろうか。
気を遣われているのか、それともやはり私がお嫌なのだろうか。
その考えは表情に出さずともバレてしまったらしく、ローナさんは苦笑いして言った。
「本当に大丈夫です。辺境伯様は人間離れした体力を持つ御仁でいらっしゃいますから、野宿でもどこでも眠れるタイプの方なのです。
それよりも仕事量が多いため、寝る間も惜しんだ結果常に執務室で寝泊まりされているのです」
「……なるほど」
身体にはとても悪いけれど確かに英雄である辺境伯様の仕事は激務よね、と思わず頷いてしまえば、ローナさんは小さく笑った後言葉を返した。
「ですが、今宵はティアナ様がお越しになった日ですので、夜には顔を合わせに来られるかと。
これからその準備をいたしますので、まずはお召し物を脱いで頂き湯浴みをしましょう」
「湯浴み……」
湯浴みと言われて思わず自分の身体を見やる。
「いかがなさいました?」
ローナさんの言葉に首を横に振ってから言う。
「い、いえ、何でもありません」
(しっかりするのよ、私。何か言われたら答えましょう。余計なことは言わないで置くに越したことはないわ)
これからは侍女に湯浴みを手伝ってもらうことに慣れなければいけないのだから、と豪奢なドレスの下に隠れた、バート侯爵家で罰を受けた際に出来た傷だらけの身体を、無意識に抱きしめた。
「……ふぅ」
湯浴みの後に食事を済ませ、一人ベッドに座った私は小さく息を吐く。
(まるで、夢みたいに幸せな心地だった)
数人の次女の手を借りて湯浴みをしながらマッサージをしてもらい、私が緊張しないようにという配慮なのか女性同士だけの空間で明るい話をして。
お食事は見たことのないほど彩り豊かで豪華すぎるほど豪華で、お疲れだろうからと部屋まで運んで下さって一人戴いた食事の味は、緊張であまり味わうことは出来なかったけど、心の底から美味しいと感じた。
辺境伯様の花嫁とはいえ、命令からの敵国の侯爵令嬢相手にこんなに気を遣って頂いて恐縮してしまいながらも、その気遣いに緊張が解れていったのも確かで。
(私、本当にここに来れて良かった)
この先の生活がどうなるかは分からないし、これから続き部屋となるお部屋にいらっしゃるという辺境伯様……旦那様が、どんな方なのかはまだ分からないけど。それでも。
「……今までで一番幸せだと断言出来るわ」
一人きりの空間で呟き、旦那様が来る前に改めて自分に置かれた立場を確認する。
(旦那様にとってこの婚姻が不本意であることは確か)
でも私としては、旦那様は鳥籠のような屋敷からどんな理由であれ救い出してくれた、私にとっても英雄であるお方。
せめて粗相のないよう……、私が嫁いだことで出来ることがあれば何でも力になりたいと考えていると、静寂を破るように扉がノックされた音が耳に届いた。
慌てて身嗜みを確認してから正座し、「どうぞ」と扉に向かって返答すれば、ゆっくりと扉が開く。
その先にいた人物と目が合って……、思わず息を呑んだ。
(……綺麗)
悪魔辺境伯と呼ばれていると聞いていたから、てっきり怖い方なのかと思っていたけど、偏見は良くないと改めて感じさせられる。
黒髪に黒曜石を思わせる瞳、怜悧な顔立ち。
思わず見惚れてしまったけど、慌てて手をついて口にした。
「お初にお目にかかります。この度辺境伯様の花嫁として参りましたティアナ・バートと申します。
末長く何卒よろしくお願い申し上げます」
そう言って頭を下げたところで、目の前にいる辺境伯様から返ってきたのは。
「既に知っているのだから畏まった自己紹介など不要だ。
そんなことよりも座って良いか?」
そんなことより、という言葉にツキリと小さく胸が痛んだものの、いけないと自分を奮い立たせるように「どうぞ」と口にすれば、旦那様はベッドにドカッと座る。
それによって、ベッドのスプリングが揺れるのを感じてドキッとしたのも束の間、旦那様は口を開いて、そして……、冒頭に至る。