伝えたい想いを行動で
夜。
「ティアナ」
「!」
ノック音の後に顔を出し、名前を呼んでくださった旦那様を見て顔を上げる。
目が合った旦那様は「遅くなってすまない」と言うと、私の隣に腰掛けた。
隣といっても、私から少し離れた端の方に座る旦那様に向かって首を横に振り、素直な言葉を口にする。
「いえ、お忙しい中来てくださってとても嬉しいです」
そう言って微笑んでから、あ、と声を上げる。
「お疲れですよね。寒くはありませんか? 何かかけるものを」
「いや、大丈夫だ。むしろ暑いくらいだし、それを言うなら君の方が薄着に見える」
旦那様は立ち上がると、近くに置いてあったブランケットを持ってきて私の背後に周り、肩にかけてくれる。
「あ、ありがとうございます……」
「……いや」
旦那様の優しさに胸が温かくなったのと同時に、今更ながらこの空間に二人きりでいられることが不謹慎にも嬉しくて、頬が熱くなる。
旦那様にもそれがバレてしまったのか、妙な沈黙が流れたけれど、旦那様は徐に口を開いた。
「……いつから」
「え?」
「いつから、鍛えるようになったんだ?」
旦那様の言葉に、朝勝負を持ち込んだ私が旦那様に話した会話の内容を思い出し、答える。
「闘技場を訪れた後からです」
「!? それはまだ嫁いだばかりのことじゃなかったか? つまり三ヶ月程も前から君は鍛えていたというのか?」
「はい、そうなりますね。あ、でも木剣を振れるようになったのは一か月ほど前からです。
それまではひたすら体力と必要な筋力をつけることに専念しておりました」
旦那様は驚いたようにポカンと口を開けたまま私を見つめる。
居た堪れなくなった私は、思わず膝の上で拳を握り俯き気味に言った。
「……えっと。やっぱりやめた方がよかったでしょうか?
ローナには止められたのですが、どうしてもと私がお願いして……、『それなら秘密で特訓して辺境伯様を驚かせましょう!』となりまして……、私も日々鍛錬して、旦那様にお披露目出来ることを楽しみにしていたのですが」
「それが“勝負”になったと」
「そ、それは咄嗟の思いつきで……、それに、旦那様に勝てるとは全く思って挑んでいないです。本当に、これは私のただの自己満足であり、けじめだと割り切っていたので……」
「……つまり君は、最初から俺に負けるつもりだったと?」
「っ!」
旦那様に指摘され、ビクリと肩が跳ねる。
それを肯定と捉えた旦那様は、ハーッと長く息を吐いた後、ガシガシと頭を乱暴に掻く。
「あ、あの、申し訳ございませ」
「謝るな。……そもそも、元はと言えば君を避けていた俺が悪いのだから」
「!」
旦那様の言葉に顔を上げる。
旦那様の方こそ、申し訳なさそうな見たことのない表情で言った。
「確かに仕事は忙しかったが、君との時間を疎かにするほど忙しかったわけではない。
時間を作ろうと思えば作れた。
だが……、怖かったんだ」
「え……」
旦那様は私の手を恐る恐ると言ったふうに握る。
その大きな固い手に心臓が大きく跳ねるけれど、同時に安心感を覚える。
そんな私をよそに、旦那様は消え入りそうな声で続けた。
「……君が、怖い」
放たれた言葉に目をパチリと瞬かせながら尋ねる。
「私が怖い、ですか?」
「……あぁ。小さくて、細くて、触れたら壊れてしまいそうで怖い」
「……!!」
思いがけない言葉に目を瞠る。
さらに旦那様は、今まで堰き止めていたのか、次々と言葉を続けた。
「君と向き合うことが、怖かった。今は君が俺のことを好きでいてくれても、いつか本当のことを知ったら君が離れていってしまうのではないかと」
「本当のこと……?」
「……“悪魔辺境伯”」
「っ、そんなこと」
ない、と言おうとしたけれど、その前に唇に指先を当てられ、続きを言うことを阻まれてしまう。
そして旦那様は、力なく首を横に振り答えた。
「本当のことだ。俺は“悪魔”だ。
だって俺は前辺境伯……、つまり、父親同然だった人をこの手で殺したのだから」
「…………!?」
驚き目を瞠る。
(旦那様が、前辺境伯様を殺した? でも、父親“同然”って……)
グルグルと一瞬考え込みそうになったけど、私を映す真っ黒な旦那様の瞳が揺れているのを見て、静かに口を開く。
「……“何か”、あったのですよね」
「え…………」
旦那様が小さく声を漏らし、目を見開く。
私は意を決して口を開いた。
「旦那様は、優しい人です。それは嫁いできてあまり日が経っていない私でも感じたことであり、皇帝陛下やキャシー様も分かっておいでです。
だから、前辺境伯様に手をかけたのには何か事情があった。理由が、あったのではないですか」
「……!」
「そしてそれを話してしまったら、私が離れていくと旦那様は思っている。
……それなら私にも、考えがあります」
そう言うと、私は自ら夜着の前を留めていたボタンに手をかけ、一つずつ外していく。
「お、おい、何を……」
大きく狼狽える旦那様をよそにボタンをおへそのあたりまで外し、旦那様に背中を向け、両腕まで夜着をはだけさせる。
そうすることで、下着を身につけていない状態の、夜着の下に隠れていた素肌が露わになった。……傷だらけの、醜い身体が。
「……っ!!」
旦那様が息を呑んだのが分かる。
私も寒さからではない震える身体と声を叱咤し、努めて明るく口にする。
「今夜こそ、見せようと思っていたのです。
私が生きることに必死だった時の傷を……、侯爵家にいた時に出来た傷を。
私は、旦那様が思っているよりもずっと、図太く逞しく生きてきたんです。
むしろ、こんな傷だらけの身体の持ち主である私の方が、旦那様に似合わな」
「ティアナ!!!」
「ひゃっ!?」
後ろから、勢いよく抱きつかれる。
背中に触れた感触と震える旦那様の大きな手に握られているのが、先ほどまで私が使っていたブランケットだと分かり、その優しさが胸に沁みて耐えきれず涙がこぼれ落ちる。
それでも伝えなければと、震えている旦那様の手に自分の手を重ねて口にした。
「ありがとうございます。旦那様は、やっぱりお優しいです」
「っ、違う、こんなのは普通だ……」
「旦那様にとっては普通で、私にとって優しいなら、それは間違いなく優しいということです」
「ティアナ……」
「はい」
旦那様が私の名を呼ぶ。
それに対して返事をしながら、旦那様の腕の中にいるのだと嬉しくて、またその手を離したくなくて重ねていたけれど、旦那様は私から身体を離し、目を逸らして言う。
「……その格好でいたら風邪を引く。まずは服を整えて、ブランケットを羽織っていると良い。
そうしたら……、俺の話を聞いてくれるか」
「! ……はい」
旦那様が私を思い遣ってくれているのが、表情や言葉から読み取れて。
頬を歌い落ちる涙をそっと拭って、ブランケットの中で身だしなみを整えてから、後ろを向いてくださっていた旦那様に声をかける。
「終わりました」
旦那様は振り返ると、なぜだか少しホッとしたような顔をしてから、また悲しげな表情に戻ると、私と向き合うようにして座り直してから言った。
「……では、聞いてくれるか。俺の、過去の話を。
聞いていて楽しい話でも面白い話でもない……、むしろ、重苦しい話になってしまうが」
(やっぱり旦那様は優しい。言葉の一つ一つに、私を思い遣ってくれているのが伝わってくる)
「聞きたいです。旦那様がお嫌でなければ、聞かせてください」
そう自分の気持ちを素直に吐露すると、旦那様は「ありがとう」と口にしてから、静かに話を始めたのだった。




