決別
婚約者。
皇帝陛下からキャシー様に向かって紡がれた言葉と、キャシー様の手の甲に口付けを落としたお二人の姿は、まるで昔読んだ物語に出てくる王子様とお姫様のように素敵で……って。
「キャ、キャシー様と皇帝陛下って、婚約されていたんですか……!?」
「知らん。俺も初耳だ」
小声で旦那様に尋ねてみたけれど、どうやら旦那様も動揺しているらしく短い言葉で返ってきたため、私達は唖然としたままお二人のご様子を見守る。
とは言う“婚約者”と告げられたキャシー様ご本人も驚いているようで……。
「なっ……!? なぜここでバラすの!?」
「気が変わった。君を守るためには私と距離を取るのが一番かなと思っていたけど……、今回の件を通して、やはり私が守るべきだと思って」
キャシー様に対して言葉を発しているため口調は優しいけれど、ビアンカ様に目を向けたその表情は、笑っているようで笑っていない、遠目で見ても背筋が凍るもので。
その視線を受けたビアンカ様は、今度こそ硬直してしまう。
(……や、やはり皇帝陛下は、敵に回してはいけない人だわ)
なんて思ってしまうほど、場の空気が一変する。
それでもキャシー様は混乱しているようで言葉を続けた。
「そ、そんなの聞いていないわ!」
「言っていないからね? 言ったら面白くないでしょう?」
「お、面白さなんて求めて……っ」
キャシー様の言葉はそこで潰える。
それは……。
「っ、っ……!?」
「あいつは公衆の面前で何を考えているんだ……」
動揺してしまう私と隣で呆れたように呟く旦那様。
無理もない、皇帝陛下が何の前触れもなくキャシー様に突然キスをしたのだから。
それに対し、観客から沸き起こった黄色い歓声と絶叫に近い悲鳴とが交じり合い、会場中に響き渡る。
そうしてキスをされたキャシー様も、呆然と皇帝陛下を見上げる中、皇帝陛下はキャシー様の頭を撫でて言った。
「質問と抗議は、後でいくらでも受け付けるから。ちょっと待っていてね?」
そう言って微笑まれたキャシー様は、呟くように何かを言って拳を握り、皇帝陛下のお腹に軽く押し付ける。
その拳を見て皇帝陛下が見たこともないほど優しい笑顔を一瞬浮かべてから、受けた拳を優しく握り顔を上げた。
そして、彼らを見据えた顔は、口角を上げていてもキャシー様に見せていた表情とは、同じ笑顔でも全然違っていて……。
「……さて、もうお分かりだね?
彼女は紛れもない私の婚約者であり、キャシー・コックスこそが次期皇妃となる立場にある。
私のものに手を出そうとした罪は、とても重いと思うんだ。それ相応の罪を償ってもらわないと」
「き、聞いていないわ! そんなの、聞いていない……!」
ビアンカ様は相当パニックに陥っているのだろう、皇帝陛下に対して不敬となる発言であり、彼女が言葉を口にすればするほど罪は重くなっていく。
だから皇帝陛下が纏うオーラも、少しずつ悪化していく一方だ。
「……ほう? 君の言い分では、もしキャシーが仮に私の婚約者だと分かっていたならば、手を上げることはなかった、と言っているのかな?」
「……っ」
さすがのビアンカ様も失言したことに気付いたらしい。
視線を逸らそうとするのを逃さないとばかりに、今度は皇帝陛下が私を見て言った。
「そしてその手は、キャシーではなくクレイン夫人の頬に当たった。
それは、この場にいる彼女の頬に出来た傷が何よりの証拠」
そう口にした皇帝陛下の言葉に、皆が一斉に私を見る。
一気にこちらに向けられた視線に一瞬息を呑んだけれど、ここで逃げてはいけないと皇帝陛下を真っ直ぐと見つめた。
すると、ビアンカ様はわなわなと肩を震わせて……。
「……せいよ」
小さく呟くと、今度こそ血走ったような目で、拘束している騎士達の制止を振り払うように暴れて叫んだ。
「全部貴女のせいよ! 聞き分けが悪くて、愚図で!
妹なんだから私の言うことを聞きなさいよ!
妹に会おうとしたことの何がいけないの!?」
般若の形相で喚くビアンカ様。
その姿を見て、思った。
(……やはり私が逃げていたから、こうなってしまった)
逃げてはいけない。ビアンカ様にはしっかりと、現実を受け止めていただかなくては。
そんな思いで、私を庇うように前に進み出ようとしてくれた旦那様を制する。
旦那様は驚き、心配するように私に目を向けてくれたため、私は微笑み頷いてみせた。
(大丈夫。私はもう、笑みを浮かべられる)
旦那様や皇帝陛下、キャシー様。ウィバリー帝国に来て色々な人と出会えたことで、彼らに怯えていたあの頃とは、別人になれたのだから。
迷いはない。
私は息を深く吸うと、旦那様のように、会場に響く声で言葉を発した。
「私は、貴女の妹ではございません」
「え……?」
思いがけない発言だったのだろう、ビアンカ様は驚き固まる。
それを良いことに言葉を続けた。
「後ろにいらっしゃるベート侯爵家の方々も同じです。
私が、娘として認められたことは一瞬たりともありませんでした。
代わりに与えられたのは、娘ではなく侍女としての仕事。
……いえ、侍女だけでなく、ストレスの捌け口として暴力を振るわれる、奴隷同然の生活でした」
「「「なっ……!?」」」
私が発言するとは思ってもみなかったのだろう、侯爵家の三人が三人とも同じ表情をするものだから、一周回って笑えてきてしまう。
けれど、そんな顔はおくびにも出さずに、どういうことだとざわめきこちらに向けられた視線を一身に受けながら、淡々と事実を述べる。
「証拠として、この身体には今でも無数の傷痕が残っています。
何より、彼らは私が“お父様”や“お母様”、“お姉様”と呼ぶことを許しませんでした。
そんな彼らと私とでは、家族と呼ぶことは出来ないでしょう」
私がわざわざ、この話を蒸し返すのには訳がある。
どうか、皇帝陛下に意図を汲み取っていただけますようにと願いながら、最後にこう締め括った。
「……ビアンカ様、侯爵様、夫人。
これからはどうぞ、一生誠心誠意罪を償って生きてください」
そう言って、ベート侯爵家の面々に向かって頭を下げる。
私が選んだ、家族との決別。
それだけで、スーッと胸の内でつかえていた靄が、晴れていくような気がした。




