それぞれの思い
休憩室へと戻ると、旦那様は予め部屋に備えられていた救急箱を取り出してきて、ビアンカ様に打たれた私の頬を消毒してくれた。
消毒、というのも、ビアンカ様の長い爪が運悪く当たり、擦り傷となって血が出てしまっていたらしい。
「痛むだろう? すまない、助けるのが遅くなって……」
旦那様が手当してくださった傷に手を添えながら首を横に振り答える。
「いえ、痛くありません。そんなことよりも、旦那様が助けに来てくださったことが何より嬉しかったです。ありがとうございました」
そう言って頭を下げようとした私のおでこを旦那様が軽く押す。
「だから、夫として君を守ることは当たり前なのだから、頭を下げる必要はない。
……というよりも、こんな傷を負わせてしまったんだ、君に合わせる顔がない……」
「旦那様」
「!」
先程から一向に目が合わない旦那様と視線を合わせるため、旦那様の両頬を押さえるように向かせると、笑って言った。
「先程は確かに泣いてしまいましたが、痛みや怖さで泣いたのではなく、本当に嬉しくて泣いてしまったんですよ?
旦那様が一緒にいてくださるから、ビアンカ様と向き合うことが出来た。
旦那様と出会わなかったら、あんな風に自らお二人の間に割って入ることも出来ませんでした。
だから、ありがとうございます。私に、勇気をくださって」
「……ティアナ」
旦那様が目を見開く。
そんな旦那様にもう一度大丈夫、というように笑みを浮かべてみせると、立ち上がって言った。
「旦那様に手当てしていただいたのでもう大丈夫です! 会場へ戻りましょう」
「待て! 君も一緒に行くのか!? それは危険だ!」
私の手を引き止めた旦那様の言葉に、私はじっと旦那様を見つめて言葉を返す。
「いえ、私も一緒に連れて行ってください。……侯爵家では居場所がなかったとしても、血縁関係がある以上私は彼らの家族です。
以前も申し上げた通り、皆様にご迷惑をおかけするようなことになってしまったのは、私が彼らと向き合わず逃げていた責任でもあります。
だから、きちんと見届けたいです。それに……」
私は再度、旦那様が手当してくださった頬を示して言う。
「この傷がある方が、ビアンカ様が言い逃れることは出来ないと思いますので。
私が庇わなければ、キャシー様にお怪我を負わせるところだったその罪は、きちんと償っていただきたいです」
「……!」
この気持ちが揺らぐことはない、と旦那様の目をじっと見つめると。
「……全く、君は」
「!?」
旦那様はガシガシと頭を乱暴にかくと、整えられていた髪がいつもの旦那様のお髪に戻る。
そうして旦那様は困ったように笑った。
「大人しく守られてはくれないな。
今も原動力は、自分のためではなくコックス嬢のためときた。
お人好しも良いところだ」
「……呆れましたか?」
旦那様に嫌われたくない、と恐る恐る尋ねると、旦那様は「いや」と首を横に振って言った。
「むしろ、君のそういうところが俺は好きだ」
「へ……っ!?」
旦那様の言葉と行動に、間の抜けた声が出る。
無理もない、だって。
「っ、だ、旦那様!? 私、自分で歩けます!」
先程と同様、旦那様に横抱きにされてしまった私が慌てて下りようとするのに対し、膝裏や背中に回った力強い腕がそれを許してはくれなくて。
「大人しくしていろ。会場へ一緒に行くというのなら、このままが条件だ」
「な……!? なぜですか!?」
そんなやりとりをしている間にも、旦那様は長い足で颯爽と部屋を出て廊下を歩き始める。
そして、私を見て少し口角を上げて言った。
「俺の妻に手を挙げた罪は重いという証拠だ」
「〜〜〜!?」
(で、では、この態勢ってそれを示すためのもの、ということ!?)
ひぃ、と声にならない情けない悲鳴を上げた私に、旦那様は機嫌が良さそうに笑った。
旦那様との距離感にドキドキが優っていた私は、家族と向き合うことへの恐怖心なんて考える間もなく、旦那様に抱えられたまま混沌とした会場へと着く。そして……。
「何かの間違いですわ! キャシー様に手を挙げるなんて、私がするはずがありませんもの!」
そんなビアンカ様の声が耳に届き、思わず旦那様の服を握る手に力が籠る。
それに気付いた旦那様は、私といる時とは別人かと思ってしまうほどの低い声音で、空気を震わせた。
「証人ならばここにいる」
そう言葉を発した旦那様の声に、皆が一斉にこちらを見上げる。
そうして皆が一斉に目を瞠ったのは、私の頬が赤く腫れて傷があるからか、はたまた旦那様に横抱きにされた状態で登場したことに驚いているからか。
どちらにせよ、私達に注目が集まり会場がシンと静まり返ったのを良いことに、旦那様は颯爽と階段を降りながら言葉を続けた。
「良い度胸だ。私の妻を侮辱し傷を負わせただけでなく、我が国の公爵令嬢であるコックス嬢に虚偽の罪を着せようとするとは。
……よほど死に急ぎたいようだ」
「ひっ」
先程旦那様のお怒りを受けたビアンカ様は、短く悲鳴を上げる。
自分が誰を敵に回してしまったのか、ようやく理解したのだろう。
まだ素直に罪を認め、謝罪をすれば、多少の罪は軽くなったかもしれないのに。
両脇に騎士がおり、縄で拘束されているビアンカ様に憐れみの目を向けていると、旦那様の呟きが耳に届く。
「……バルドゥルがいない」
私にしか聞こえないほどの旦那様の呟きに会場を見渡せば、確かにビアンカ様やキャシー様のお姿があっても皇帝陛下のお姿だけがなくて。
それは想定外のことだったようで、旦那様は舌打ちをした後私をそっと下ろし、次の言葉を考えるように間を置いた、その時。
「ごめんごめん、アレックス。私ならばここにいるよ」
旦那様の呟きが遠くにいた皇帝陛下には聞こえるはずがないのに、そう言って人混みをかき分けるように歩いてきたのは、紛れもなく皇帝陛下だけど……。
「「えっ!?」」
思わず私とキャシー様は声を上げてしまう。
それは、皇帝陛下が先程とは違う装い……、それも、旦那様と同じデザインであり、キャシー様と対で作られたような色合いの服に身を包んでいたから。
そうして目を丸くするキャシー様を見て、皇帝陛下は愉快そうに笑い近付くと、不意にキャシー様の手を取り身を屈め、その手の甲に口付けを落とした。
「遅くなってごめんね? 我が愛しの婚約者殿」
「「「……は!?!?」」」
(こ、婚約者!?!?)
皇帝陛下のお言葉に驚いたのは、私だけではなくここにいる皆だったらしい。
旦那様、それから、婚約者と言われた本人であるキャシー様でさえも、取り繕うことを忘れて見たことのない驚いたような表情で皇帝陛下を見つめたのだった。




