ウィバリー帝国・辺境伯領にて
大帝国・ウィバリー。
国王陛下のご説明によると、元々小国でありながらここ数年で一気に領土を拡大、大陸を統一する勢いで侵攻しており、現段階で10を越える王国を属国に治めているという今や脅威となる大帝国。
小国だった元々の領土とヘルツベルク王国の領土とは隣同士で、今まで侵略されなかったことが不思議なくらいだと言う。
ヘルツベルク王国とウィバリー帝国とでは、戦うまでもなく攻め入られたらこちらの敗戦は確定、多くの犠牲が出る。
そう考えた国王陛下は、ウィバリー帝国が矛先をヘルツベルクに向けたことで降伏したところ、ウィバリー帝国から、王族を殺さない代わりに属国に下ることと帝国の英雄と呼ばれる辺境伯に花嫁をという二つの条件を提示されたらしい。
(懸命な判断ね。私一人でこの国の多くの国民が犠牲にならなくて済むもの)
しかし宰相であるベート侯爵様は、最初は反対だったのだとか。
きっと属国に下ることで自分の立場が危うくなることを危惧したのだろう。
国王陛下がそんな宰相の言いなりにならなくて良かったと思いつつ、国王陛下が降伏を宣言しウィバリー帝国が花嫁を所望した時点で、ここぞとばかりに私を押したのでしょうね、という結論に至り、思わず嘆息した。
まあもう終わったことだしあのまま屋敷にいるよりはずっと良いわ、と考えることをやめ、代わりに窓の外の流れる景色を見ながら、今日私が嫁ぐことになる旦那様……、英雄であると同時に悪魔辺境伯と呼ばれる方がどんな方なのかに思いを馳せた。
帝国と王国の境界には、堅牢な壁が聳え立っている。
そのため、いくつか存在する関門で身分証明と入国審査を通らなければならないということは、事前に聞いていた。
無事に入国が許されるかどうか少しだけ不安だったけど、私が辺境伯様の花嫁であることは皇帝陛下から伝わっていたらしく、窓から少し顔を覗かせた程度で門兵から許可が下りたことに安堵した。
同様に、辺境伯様のお屋敷に辿り着いた時も無事に身分確認が済み許可が下りたところで、馬車はこれまた堅牢で高い門を潜り抜け、少し走ったところで停車する。
最近では全く履いていなかったヒールを履いたこととサイズが窮屈であったせいで、足は既にいくつか靴擦れが起きているようだけど、その程度の痛みは何ともないため、御者の手を借りてゆっくりと馬車を下りる。
そして、顔を上げたところで思わず息を呑んだ。
(……わあ)
これが、小国を大帝国にした英雄である辺境伯様のお屋敷なのね、と一瞬にして圧倒されてしまう。
(お屋敷というよりはお城、いえ、要塞と呼ぶべきかしら……)
大抵のことには驚かないつもりだったけど、さすがにこのお城のようなお屋敷にこれから住むと思うと、やはり花嫁が私なんかで良かったのかという不安が募ってしまい、気が引けていると。
「ようこそお越しくださいました。
貴女様が辺境伯様の花嫁としてお越しくださったティアナ・ベート様ですね?」
声をかけてきたのは、歳を重ねている温和そうなおじい様だった。
着ている服がお仕着せであることと年齢からして、このお屋敷の家令なのだろう。
私は頷き、こういう時でも微動だにしない表情筋を誤魔化すように頭を少し垂れ、淑女の礼をして言葉を発した。
「はい。この度ヘルツベルク王国代表として辺境伯様の花嫁になるため参りました、ティアナ・ベートと申します。
不束者ですが、どうぞよろしくお願い申し上げます」
私の挨拶に家令である男性は僅かばかり目を見開いた後、人の良さそうな笑みを浮かべて口にした。
「ご丁寧にありがとうございます。ですが、そう固くなさらずに。
私は代々この家にお仕えしております、家令のネイトと申します。
私共使用人一同、花嫁様をお待ち申し上げておりました。
……ただし、お一方を除いて、ではありますが」
お一方、という言葉と表情からして、やはりという気持ちにはなったものの、おくびにも出さずに迷うことなく言葉を返す。
「存じ上げております。この婚姻は、辺境伯様のご意志に関係なく、或いはご意志に反するものであり、あくまでヘルツベルクを属国として扱う条件の一つであると。
皇帝陛下の御命令で私を花嫁として迎え入れて下さっただけでも身に余る光栄です。
お忙しく帝国の英雄と呼ばれる辺境伯様のお手を煩わせるわけには参りませんから」
「……ティアナ様」
家令は何か言いたげだったけれど、こういう扱いには慣れている。
むしろ、家令や後ろに控えている大勢の侍従の皆さんが、好奇や侮蔑ではなく、戸惑ったようにこちらを見ているだけで十分だ。
そう考え、笑うことの出来ない代わりに、家令に向かってなるべく柔らかくなるように告げる。
「こちらに置いていただけるだけで私は嬉しいのです。
辺境伯様のお荷物やお邪魔にならないように努めますから、どうかお気になさらないでください」
そう口にすれば、家令はやはり何か言いたげだったけど、「かしこまりました」とそれ以上踏み込むようなことはせず、代わりに後ろに控えていた同世代と思われる女性の侍女を紹介してくれる。
「こちらがティアナ様の身の回りのお世話を務めさせていただく侍女・ローナとなります。
私の孫にあたり、ティアナ様と同じ歳のため、気兼ねなくお話が出来るかと思います。
まだまだ未熟で至らぬ点があるかと思いますが、大目に見ていただけますと幸いです」
「ちょっとおじい……、ネイトさん! 自分のことは自分で紹介しますから、ティアナ様に初対面でそういうことを言うのはやめてください!」
ローナは小声でネイトさんに文句を言ってから、一つ咳払いをしてにこりと可愛らしい笑みを浮かべて言う。
「お初にお目にかかります。ただいまご紹介に与りました、ティアナ様付きの侍女を務めさせていただくローナと申します。
ネイトさんの言う通り未熟な点等あるかと思いますが、その都度仰っていただけましたら改善致しますので、どうぞよろしくお願いいたします」
頭を下げてから、もう一度笑みを浮かべてくれるローナさんの姿に、心の底から安堵する。
(良かった、悪印象は持たれていないみたい)
何よりネイトさんに似て人柄が良さそう、と表情筋が動かない私とは違い、可愛らしい笑みを浮かべるローナさんを少し羨ましく思ってしまいながら、この際に伝えておこうと思っていたことを話す。
「こちらこそ、色々とご迷惑をおかけするかもしれませんがよろしくお願いいたします。
それと、念のためお伝えしておきたいのですが、私はつまらない人間で、この通り表情筋が全く動きません」
「「……え?」」
どういう意味だろう、と顔を見合わせるネイトさんとローナさんに申し訳なく思いながら補足する。
「自分の気持ちを表現することに慣れていない、と言えば伝わるでしょうか。
なるべく言葉にすることを心がけておりますが、無表情のために上手く伝わらなかったり、逆に威圧を与えてしまうことがあったりしたら申し訳ございません。
私も、少しでも表情に変化をつけられるように努力いたしますね」
「「…………」」
補足しても伝わらなかったのか、それとも伝わっているから困惑しているのか。
困ったような顔で固まってしまったお二人を見て居た堪れなくなったため、助け舟を出すように口を開く。
「そろそろお部屋にご案内していただけますと助かります」
私の言葉に気持ちが切り替わったようで、慌てたようにネイトさんがローナさんにお部屋へ案内するよう言ったのだった。
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