もう怖くない
「お初にお目にかかります。
私の名前はコックス公爵家が長女、キャシー・コックスですわ。以後、お見知り置きを。
ビアンカ・ベート様?」
そう言ったキャシー様は、確かに一見怒っているようには聞こえない。
けれど、そのお顔を拝見していない私でさえも言いしれぬ圧を感じて思う。
(キャシー様、怒っていらっしゃるわ……)
さすがにビアンカ様も気付いたようで、一瞬怯んだ後、口を開く。
「これは、失礼致しましたわ。公爵家の方だとは存じ上げませんでしたの。
私はヘルツベルク国から参りました、ベート侯爵家が長女ビアンカ・ベートと申します。
ところで、今この廊下を通られたということは、私の妹で、辺境伯様に嫁いだティアナをご存知ですか?」
ビアンカ様の質問に、キャシー様は少し間を置いた後答える。
「……ティアナ・クレイン様のことでございますわね。えぇ、もちろん存じ上げておりますわ。私の良き友人ですもの」
ふふふ、と笑うけれど、相変わらず笑っていない。
(しかも、間違いでなければビアンカ様が“妹”と言った言葉をスルーして言い換えた……?)
どんな会話が続くのだろう、と出て行くにも行けず、ハラハラと見守っていると、ビアンカ様はキャシー様の意図には気が付かなかったようで手を叩いて言った。
「まあ! ご友人でいらっしゃいましたの!
出来の悪い妹がいつもお世話になっております」
(っ、出来の悪い……)
ビアンカ様の言葉に、脳裏に苦い思い出が蘇ってきそうになりかけたけれど。
「……出来の悪い?」
今までに聞いたことのない、キャシー様の地を這うように低い声音が耳に飛び込んできて、そちらに意識が持っていかれる。
ビアンカ様はというとやはり気付いていないようで、言葉を発した。
「えぇ、そうなのです。私の妹のティアナは、勉学や教養、どれをとっても才能がなかった挙句、自分が出来ないことを棚に上げていつも教師に八つ当たりをして、辞職に追い込んでいたのですわ」
(違う、それは私じゃない。むしろ、ビアンカ様が私を褒めてくださる先生がいると、面白くなくてやめさせていた)
その後も、ビアンカ様の口からは嘘ばかりが並べられる。
「それに、とても物分かりが悪い子で。
やりなさいと言ったことすら出来ないし、失敗したら文句を言うし、言うことは聞かない。
家族の中でも困り果てていた問題児ですから、辺境伯様にもさぞご迷惑をおかけしているに違いないと思いますわ。
キャシー様にも、ご迷惑をおかけしているのではございませんか?」
ビアンカ様の言葉に、キャシー様はまた間を置いた後、ゆっくりと言葉を告げる。
「……そうですわね、貴女の仰る通りですわ。
ティアナ様を見ていると、何だか苛立ちを覚えることはありますわ」
(……っ)
キャシー様の思いがけない返答に、胸が痛む私に反し、ビアンカ様の嬉々とした声が続く。
「そうでしょうそうでしょう! ティアナはそういう子ですもの!」
「えぇ、本当に」
(……やっぱり、キャシー様に呆れられていたのね)
それはそうだわ、こんな性格の私では……、と俯いた私の耳に、キャシー様の言葉は続く。
「私がいくら褒めちぎっても『それは言い過ぎです』と不要なところで謙虚さを出してきて全く伝わっていなくて焦りや苛立ちを覚えますけれどそれが物凄く彼女らしいと思いますし恥じらう姿もとっても可愛いですし私や辺境伯様がいくら説得しても自分の能力の高さに気が付いておらず挙げ句の果てにはあの何をお考えなのかさっぱり分からない皇帝陛下が『面白い』と仰るのですわよ? 嫉妬や苛立ちを通り越して羨ましいですわ!!」
「……は?」
(え?)
キャシー様の早口言葉のようなお言葉が、どれも何を仰っているのかよく分からなかったけれど、どうやら私を褒めてくださっている……? ようで、その剣幕にビアンカ様も怯んでいる間にキャシー様の口からはまた早口言葉が紡がれる。
「最初は幼馴染である私から見ても言動が意味不明な殿方二人を手玉に取るなんて余程の悪女に違いないから化けの皮を剥いでやろうと思っておりましたのに私の方がその可愛らしさにあてられ今ではご多忙な辺境伯様よりも彼女と過ごしている時間が長いことに心底優越感を覚えているくらいですわ何ですのあの可愛らしさ弱そうに見えて意外と根性があって努力家なところもまたギャップ萌えですわ!!」
「…………えっと」
先程までの態度とは打って変わり、キャシー様の早口言葉に気圧されたビアンカ様は、次の言葉を見失ってしまったようで。
その元凶であるキャシー様は、一つ咳払いしてから扇で口元を隠して言った。
「申し訳ございません、つい取り乱してしまいましたわ。
……とにかく、私が何を申し上げたかったかと言うと」
そう言うと、パチンと扇を閉じて告げた。
「ティアナ様の本質も良さも可愛らしさも見抜けない家族とは到底呼べない節穴部外者は引っ込んでろ大人しく国へ帰れ、ですわ」
「なっ……!?」
(キャ、キャシー様!?)
何だか分からないけどあまり良い状況とは言えない気がする……!
と今度こそ扉を開いたのと同時にビアンカ様の形相が変わったのを見て……。
―――バチンッ
「「っ!?」」
私の前後からハッと息を呑むお二人の呼吸音が耳に届く。
ビアンカ様の手がキャシー様でなく、お二人の間に身体を滑り込ませた私の頬に当たって良かった、と心の底から思いながら久しぶりに対峙するビアンカ様に向かって尋ねた。
「……お気は済みましたか、ビアンカ様」
「……っ」
ビアンカ様は意外にも私に対しても怯んでいた。
きっとそれは、私の口から飛び出た声音が、自分でも驚くほど冷え切ったものだったから。
(やはり、もう怖くない)
どうして、今まで私は彼女を恐れていたのだろう。
酷く冷静な頭でそんなことを考えながら、なおも狼狽えているビアンカ様から視線を逸らさずにいると。
「俺の妻に手を出した愚か者はお前か?」
「「!」」
そう声がした刹那、対峙していたビアンカ様の首筋に輝く銀色の刃が出現したと思えば、遮り庇うように私の視界いっぱいに大きな背中が広がった。




