様子のおかしい旦那様
旦那様にエスコートされ、階段を下りている間も会場にいる大勢の人々の視線を感じる。
けれど、もう迷いはなく、今自分にあるのは、気を引き締めるための良い緊張感と、エスコートされている手から伝わる旦那様の温もり。
そうして階段を下りて壇上を見上げると、そこには皇帝陛下とパートナーを務めるキャシー様のお姿があって。
皇帝陛下は私達を見てにこりと笑うと、シンと静まり返った会場に凛とした声を響かせた。
「今宵はお集まりいただきありがとう。
私の良き友であるアレックス・クレイン辺境伯とヘルツベルク王国のご令嬢、ティアナ嬢の結婚を祝し、今宵の宴がウィバリー帝国とヘルツベルク王国の新たな関係を築く節目の日となるよう、両国の民同士交友を深め、楽しんでほしい」
皇帝陛下はご挨拶を簡潔に、短い言葉で締めくくったのと同時に、楽団の演奏が厳かに会場に響く。
それを合図に、旦那様が私に声をかけた。
「行くぞ、ティアナ」
「はい」
その目をしっかりと見て頷けば、旦那様は微笑みを浮かべてから、私をエスコートしダンスホールとなる場所までゆっくりと歩みを進める。
今宵のファーストダンスは、旦那様と私が主役であるため、二人きりで踊るように、と予め皇帝陛下に伝えられていたため、最初の一曲は私と旦那様がダンスホールを独占する形となる。
そんな私達を見ようと、周囲に人が集まってきたところで、私と旦那様は互いにお辞儀をしてから互いの手を取り踊り出す。
やはり緊張はしているけれど、とてもふわふわとした心地がして。
今もなお慣れていないけれど、慣れるよう特訓して何とか羞恥に堪えられるようになった旦那様のお顔を見つめて踊っていると。
「今日は目を逸らさないし、足も踏まないんだな」
「!?」
不意に口にした聞き捨てならない旦那様の言葉に驚き目を見開けば、旦那様の口角が少し上がっていて。
私は少し膨れて小声で抗議する。
「最近は失敗しておりません」
「ついこの前まで……、それも五日前からだな」
「っ……」
そう言って悪戯っぽく笑う旦那様のお顔が相変わらず近く、カッと頬に熱が集中するのが分かって。
旦那様はそれを見てまた笑いながら言う。
「目、逸らしたら駄目だからな?」
(……また揶揄われてる)
しかも、こんな面前であり逃げられない場所だと分かってやっているのだから、文句を言いたくなってしまうのも当然のことで。
「……旦那様は、意地悪です」
「……っ」
本当に心臓に悪い、と今にも爆発しそうなくらい速い自身の鼓動の音を聞きながら怒ってみせると。
「だから、それは反則だろう」
「え……、!」
刹那、グルンと視界が回ったのは突然のこと。
旦那様が手を上に上げ、私をその場で一回転させたのだ。
周囲からはどよめくけれど、私は慌ててしまう。
「だ、旦那様! 一回転はリスクがあるからやらないようにとキャシー様にも言われて」
「そう言いながらも出来たじゃないか。君なら出来ると信じていた」
「……っ」
ほら、また。すぐそういうことを言う、と周囲には気付かれないよう少しだけ視線を逸らした私に、旦那様の呟きが聞こえる。
「……君とのこの距離感は、やはり心臓に悪すぎる」
「え……」
再び旦那様を見やれば、旦那様と至近距離で視線が交わって。
その瞳の奥に宿る熱に、これ以上は速くならないと思っていた鼓動が、更に速さを増す。
そして、気が付いた。
「……旦那様、お顔が赤」
「それ以上言うな」
旦那様は一瞬目を逸らしてから、「いや、視線を逸らしては駄目だった」と呟きもう一度私に視線を戻す。
その目を見つめ返しながら、もう一つ、気が付く。
(……旦那様の鼓動、私と同じくらい速い……)
繋いだ手から伝わる、速い鼓動と熱いくらいの体温に、私の中で淡い期待が芽生える。
(もしかして、旦那様もまた、私のこと……)
いえ、それはありえないわ、と淡い期待を打ち消そうとするけれど、やはり会場の熱気と旦那様の体温が相まっているのか、私はのぼせたように、旦那様と踊っているという現実がいつまでも続いて欲しいと。
そう願わずにはいられなかったのだった。
そして、ファーストダンスを終えた私達を待ち受けていたのは。
「……何も、ありませんね?」
思わず旦那様を見上げてそう小声で尋ねると、旦那様は腕組みをしたまま壁にもたれかかって答える。
「そうだな。ちなみに、俺としてはこれはいつものことだ」
「そ、そうなんですね」
「あぁ。俺は何せ“悪魔辺境伯”などという異名を持つ男だからな」
「あ、悪魔だなんて」
思いがけない言葉に否定しようとした私に、旦那様は会場を見渡して言う。
「別に、否定しなくて良い。そう呼ばれてもおかしくはないことをした自覚はあるからな」
「…………」
そう言った旦那様の目には何も宿していなくて。
何があったのか尋ねることも、気がきく言葉も上手く口に出来ず、ただ黙って旦那様と同じように賑わう会場に目を向ける。
ファーストダンスを踊った私と旦那様はその後、皇帝陛下に改めてご挨拶をしてからは会場の壁と同化していた。
というのも、私の予想に反してどなたからも声をかけられないのだ。
「とはいう俺も、驚いてはいる。君のことを尋ねてくる輩は大勢いると思っていたからな」
「確かに、視線は感じます」
「……それ、本当の意味では分かっていないだろう」
「え?」
本当の意味とは? と首を傾げる私に、旦那様は「いや、分かっていないならその方が良い」と口にした後言う。
「まあ、話しかけられないくらいが丁度良い。
これもコックス嬢の計らいだからな」
「キャシー様の?」
旦那様の口から飛び出たキャシー様のお名前に驚けば、旦那様は私のドレスを見やって言った。
「そのドレスをコックス嬢があえて揃いのものにしたのは、君がコックス嬢の親しい友人であるという証拠を周りに知らしめるためだ」
「! そ、そうだったのですか!?」
「あぁ。もちろん、君と揃いにしたいという気持ちもあるとは思うが。
コックス嬢は筆頭公爵家の令嬢という立場から、社交界では一目置かれた存在だ。
バルドゥルの婚約者最有力候補とも呼ばれている彼女は、ご令嬢の間では高嶺の花と言われているらしい。
尤も、本人はそれに気付かず、友人がいないと思っているようだが、君という親しい仲の友人が出来たことを心底喜んでいることだろう。
だから、君を守るためにあえてそのドレスを選んだ、というわけだ」
つまり害虫除けだな、と締め括った旦那様に自分のドレスを改めて見つめる。
(キャシー様はそこまで考えてくださっていたのね。
私ったら、お揃いのものだと浮かれていただけだから……、改めてまた何かお礼をしなくては)
旦那様にもご相談しようと口を開くよりも先に旦那様が焦ったように言う。
「が、害虫除けは語弊があったな。すまない、そのドレスは君によく似合っている、とても。
可愛いと思うし、逆に俺としては誰の目にも触れないように隠しておきたいほどで」
「だ、旦那様!? どうなさいました?
ワインで酔われてしまいましたでしょうか?」
大変! と慌てて旦那様の手を引くと、会場から外へ出る。
「ティ、ティアナ? 今どこへ向かっているんだ?」
「先ほどの休憩室です! 酔い覚ましにゆっくり休んで、お水を飲まれた方が良いかと」
「だ、大丈夫……、いや、そうだな。酔ってしまったんだ、俺は……、そう、酔った」
(大変! これは重症だわ)
先ほどとは逆に旦那様の手を引きながら歩く私を、旦那様が赤い顔で見つめていることになんて、私が気が付くことはなかった。




