夜会前のひととき
乗車した際と同じように、旦那様に手を引かれて馬車を降りた先には。
「っ、わぁ……」
思わず感嘆の声を漏らしてしまうほど、大きく聳え立つ建物……、帝国城が目に飛び込んできて。
ヘルツベルク国ではもちろん、旦那様の領地にあるクレイン邸も闘技場もとても大きな建物だと思っていたけれど。
(こんなに大きな建物、見たことがない……!)
その規模の大きさに唖然としてしまっていると。
「淑女が大口を開けて、はしたないですわよ」
「!」
不意に声をかけられ目を向けると、そこには。
「っ、キャシー様!」
「ごきげんよう」
思わず名前を呼んだ私に対し、キャシー様が先に淑女の礼をしたため慌てて淑女の礼を返してから、無作法だとは分かっていても思わず言葉を続けてしまう。
「キャシー様、いつも素敵ですが本日は格別に綺麗ですね……」
「なっ!?」
思わず見惚れてしまいながら口にすると、キャシー様は慌てたように扇子で口元を覆いながら答える。
「と、当然ですわね! 淑女は所作も身嗜みもどこをとっても完璧でおりませんと」
「はい! キャシー様はどこをとってもお美しくて完璧で素敵です! 尊敬しております!」
キャシー様の言葉に全面同意すると、キャシー様は扇子でお顔を隠されてしまう。
「あ、あの、私何か無礼なことをしてしまいましたでしょうか!?
そ、そうですよね、私ばかりお話ししてしまい申し訳ございません」
「そうじゃない。面白いがそれ以上はやめてやれ、ティアナ」
なぜか肩を小刻みに震わせながら旦那様に言われ、首を傾げたけれど、旦那様はそのことには触れることなくキャシー様に向かって告げた。
「なるほど? 本日のティアナの装いはコックス嬢の着用しているものと同じデザインなのだな」
旦那様の言葉に、ティアナ様は扇子から少し顔を出し、目を細めて言う。
「えぇ、そうですわ。色違いにいたしましたの。
ティアナ様によくお似合いでしょう?」
「あぁ、とても」
キャシー様の問いかけに自然と答えた旦那様が私を見やる。
その言葉と視線に、また顔に熱が集中するのが分かって視線を逸らした私に、旦那様はクスッと笑ってからキャシー様に向かって続ける。
「君の計らいに礼を言う」
「ふふ、貸し一つということでよろしくてよ」
「君の言う“貸し”は些か重いのだが……、そうだな、ティアナのため……、我が妻のためなら安いものだな」
「!?」
わざわざ言い直したこと、それから、思ってもみない会話に顔を上げれば、旦那様が悪戯っぽく笑っていて。
それが揶揄われているのか本気なのか分からず戸惑っていると。
「やあ、随分と楽しそうだね。私も交ぜてくれるかな?」
「!」
軽く手を挙げ、そう言って現れたのは。
「皇帝陛下!」
慌てて淑女の礼をしようとドレスの裾を摘んだ私を、本日の夜会の主催者であるバルドゥル・ウィバリー皇帝陛下は制す。
「あはは、真面目だね。良いよ、親しい友人のお嫁さんなんだからそう謙遜しないで」
「い、いえ、そういうわけには」
「そうだ。馴れ馴れしいぞ、バルドゥル」
隣にいたはずなのに、なぜか私を隠すように一歩前に進み出た旦那様を見て驚いていると、皇帝陛下は苦笑いする。
「君は相変わらずだね……、いや、拍車がかかったか?」
「何とでも言え」
「あはは、機嫌が悪いねえ。どうするの?
そんな調子じゃあ会場にいる男全員殺さんばかりだけど」
「え!? どうしてですか!?」
馬車の中では機嫌が悪くなかった……、むしろ、良かったと振り返る私を見て、皇帝陛下が苦笑する。
「まあ、本人は自覚がないよね」
「それが彼女の良いところだわ」
「それもそうなんだけど、アレックスからしたら身が持たないんじゃないかなあ」
「違いないわね」
そう言って頷き合うキャシー様と皇帝陛下のやりとりはよく分からなかったけれど。
(そういえば、初めてお二人がお話ししているのを拝見した気がする)
それも、やはり幼馴染というべきか、かなり親しげに見えて。
キャシー様と皇帝陛下がご結婚される未来もあり得るのだろうなと、密かにキャシー様の恋を応援していると、皇帝陛下が手を叩いてから言う。
「さて、主催者である私がここにいては皆威圧を感じてしまうだろうし、君達には早めに来てもらったことで時間があるから、城の客室に案内しよう。
その部屋は君達の貸切としているから、夜会の空気に疲れたらいつでも使うと良い。
そうすれば、多少アレックスの苛立ちも収まるだろう」
「あぁ。遠慮なく使わせてもらう」
「……だからと言ってティアナ嬢と部屋に入り浸るのはやめてね?
この夜会が何のために主催されたものなのか。
君は大いに理解しているはずなのだから」
そう言って笑う皇帝陛下の含みのある言い方に目を瞬かせている間に、旦那様は「分かっている」と頷く。
私も、“何のために”主催される夜会なのか……、その中に自分が含まれていることを意識して、知らず知らずのうちに背筋が伸びる。
皇帝陛下は私と目を合わせて一度微笑んでから、「さて、行こうか」とキャシー様に向かって手を差し伸べた。
その手を見たキャシー様が驚いたのを見て、皇帝陛下は首を傾げる。
「今宵、貴女のパートナーを務めるのは私だろう? 部屋までエスコートするよ」
「……夜会の時だけ、という約束ではなかったかしら?」
「気が変わったんだ。それとも、私にエスコートされるのは迷惑かな?」
手を差し伸べたままの皇帝陛下を見て、キャシー様は扇子で口元を隠して言葉を発する。
「……迷惑なはずがないでしょう」
「それなら、この手を取ってくれると嬉しいな」
「柄にもないことを」
キャシー様はため息交じりに言いつつ、皇帝陛下の手を取る。
そうして見つめ合う二人を見て、何となく引っかかりを覚えていると。
「ティアナ」
不意に名を呼ばれ顔を上げれば、旦那様もまた私に手を差し出していて。
そして、柔らかな口調で言う。
「手を」
「あ……」
視線が合った瞬間、いつもの装いとは違う旦那様の姿も相まって鼓動がまた高鳴るのを感じて。ドキドキとしてしまいながら旦那様の大きな手に自分の手を重ねる。
すると、旦那様が眉を顰めた。
「……冷たいな」
「っ、ごめんなさ」
「謝罪は不要だ。……気が付いてやれなくて悪かった」
「え……、!」
旦那様はもう片方の私の手も取ると、私の両手を重ねるようにしてその大きな手でそっと包み込んだ。
「!?」
驚きを通り越して羞恥に固まる私に、旦那様はどこか得意げに笑う。
「どうだ? 俺は暑がりだから丁度良いだろう」
旦那様の言葉に私が返答する代わりに、呆れたような声が届く。
「良いわけないだろう? 両手ではエスコートなんて出来ないし、そもそもそういうことは人前ではなく部屋でやるべきだ」
「そ、そうですわ!」
至極真っ当、正論すぎるお二人の言葉に、私達は気まずさから視線と共にそっと片方の手を離す。
離した方の手から温もりが消えてしまったことを残念に思う反面、心臓に悪いから離れて良かったという矛盾した思いを抱えたまま。
今度こそ、休憩室へと向かったのだった。




