淡い期待と嫁入り道具
次の日、私が起きたのはまだ日も昇っていない朝の早い時間だった。
いつも一緒に働いていた侍女達が、物も言わずにまるでビアンカ様に行っているように髪や身体を洗われ、髪を乾かされ、見たことのないドレスを着せられ、お化粧を施され、髪を結われ。
あれよあれよという間に仕上がり、鏡を見た自分を見て思ったことは。
(あぁ、私、これから敵国に嫁ぐのね)
良かった、昨日のことは夢などではなく現実だったのねと心の中で安堵したところで、ガチャリと扉が開く。
振り返れば、そこには見たことのない顔をした三人の姿……、侯爵様と奥様、ビアンカ様の姿があって。
私は挨拶をと、三人に向かって会釈ではなく、いつしか習った淑女の礼をして言う。
「おはようございます、侯爵様、奥様、ビアンカ様。
私のために、このようなことをして頂きありがとうございます。
おかげさまで、お仕着せを着て隣国へ嫁ぐという、旦那様に対して失礼になるという事態を未然に防ぐことが出来ました」
私の言葉に奥様とビアンカ様のお顔が怒りの色に染まる。
何か悪いことを言ったかしら、と首を傾げた私に、侯爵様が告げる。
「……馬子にも衣装だな。婚礼の祝いはそれだ。受け取ると良い」
「ありがとうございます」
「これからお前には、国王陛下へ挨拶をするために王城へ向かう。その後は王族専用の馬車を使って辺境伯家と向かうことになっている。分かったか」
侯爵様の言葉に頷こうとしたけど、私よりも先にビアンカ様が声を上げる。
「えー、ずるい! 第二王子殿下の婚約者である私でも王族専用の馬車には乗ったことがないのにぃ」
「ビアンカはいずれ乗ることになるだろうから、それまで待っていなさい」
侯爵様がビアンカ様に向けてそう宥めながら、小さく笑ったのを見て軽く瞠目すれば、奥様はなおも機嫌が悪そうに手で振り払う真似をする。
「早くお行き。お前の顔なんて二度と見たくないわ」
「お母様、それは可哀想よ。だってお姉さまは死にに行くようなものだもの」
これに対しては何と返答すれば正解か。
迷っていた私に、侯爵様は無表情で告げる。
「今までこの邸で生活させてもらったんだ、挨拶をしなさい」
生活させてもらった、という部分に若干の違和感を覚えながらも、まあそうなるわよねとどこか諦めに似た感情を密かに抱きながら、お二人に向かって頭を下げる。
「お世話になりました」
「……もっと何か言葉はないのか」
侯爵様の言葉にこれ以上何を言えば良いのか分からず首を傾げれば、「やはりお前は愛想がない上に融通が効かない」と言われた。
馬車に乗り込むや否や、侯爵様から注意事項を聞かされる。
曰く、国王陛下の前で粗相がないように、とのこと。
(とはいえ、私の覚えている行儀作法は12歳の時まで……つまり、6年前の記憶にかかっている)
物心がついた時から12歳までは私も、淑女教育というものを受けていた。
けれど、ビアンカ様が私が淑女教育を受けることを快く思わなかったそうで、ビアンカ様の一言で私の淑女教育は呆気なく終了した。
(いつか必要とされた時のためにと、忘れないように毎日時間がある時に練習を重ねていたけれど……、まさかこんなところで役立つとは)
帝国にその作法が通用するかは別だけど、と息を吐いた私に、侯爵様が眉間に皺を寄せて尋ねる。
「おい、聞いているのか」
その言葉に間髪を容れず頷き返す。
「はい、聞いております。国王陛下の御前では“お父様”とお呼びします」
「……間違えるんじゃないぞ」
「はい」
“お父様”と呼ぶことを許されるのは、人目がある時だけだということは常に言い聞かされている。
奥様やビアンカ様のこともそう。
私はあくまで“家族”ではなく“居候”であると。
(……だから、認められていない私は、彼らと“家族”ではない)
ということは、結婚したら旦那様とたとえ血が繋がることはないといえど、“家族”にはなれるのではないか。
そんな淡い期待に、久しぶりに心が高鳴った気がした。
「……ふぅ」
王城へ向かった時とは比べ物にならないほど座り心地が良く、何より一人きりという心置きなく休める空間に、知らず知らずのうちに張り詰めていた緊張が幾分解れていくのが分かる。
(……既に疲れたわ)
国王陛下と宰相である侯爵様の話から知った“病弱”設定の私は、屋敷の外に出たことはない。
だからなのだろうか、国王陛下という国で最も偉いお方に平身低頭に謝罪され、心配されてしまい、またそれは“病弱”ではない私からしたら恐縮で。
つい、「この通り元気ですからご安心ください」と口にしてしまった私は、侯爵様から睨まれてしまった。
もし今日このまま屋敷へ戻っていたら、後で奥様方からお叱りと鞭打ちなどの罰が下っていたと思うと、辺境伯様の元へそのまま嫁げて良かったと思う。
それに。
(……王族の中に王女様がいない代わりに私が嫁ぐことで負担をかけさせてしまうからと、国王陛下から衣装を沢山いただいてしまった……)
国王陛下は素敵な方だ。こんな私のために、嫁入り道具を沢山用意してくださるなんて。
帝国の領土を一気に拡大したとされる辺境伯様の元へ嫁ぐには分不相応な私だけれど、これである程度の体裁は保てるはずだ。
(侯爵様の眼光が鋭かったのは、きっとビアンカ様にお渡ししたいと思ったからよね)
だけど私としては、国王陛下からこんなに沢山いただくわけにはいかないから、時期を見計らってお返しするのが最善よね、と一、二着あまり高価そうでない物を選んで後は手を付けないようにしようと、固く心に誓った。
こうして、私と国王陛下からの贈り物を載せた数台に渡る豪奢な馬車の列は、隣国・ウィバリー帝国へと向かうのだった。