初めてのダンスレッスン
二ヶ月後の夜会が行われるまで、毎日のように淑女教育という名のお茶会、お洋服の仕立て、準備等で目まぐるしく日々は過ぎていく。
そうして気が付けば、夜会まで二週間を切っていた。
「さて」
キャシー先生は一つ手を叩いてから切り出す。
「ようやくお忙しい辺境伯様のお時間が取れたところで、今日からダンスレッスンを開始いたしますわ!」
「……明らかに俺への嫌味じゃないか?」
私の隣にいた旦那様の呟きを聞き逃さなかったキャシー先生が怒ったように口にした。
「嫌味に決まっていますわ! ティアナ様の自信をつけるためにも慣れるのが一番とお伝えしておりましたのに、今日という日までダンスレッスンが出来ないなんて……、初日に心配で見にいらっしゃった方と同じ方だとは思えませんわ」
「仕方がないだろう。最近は辺境伯としての仕事があって忙しいだけだ。まるでティアナに嫌がらせをしているような言い方はやめろ、人聞きの悪い」
そうしてバチバチと見えない火花を散らすお二人を見て、慌てて声をかける。
「キャシー先生、旦那様。お忙しい中お時間を作っていただきありがとうございます。
本日はご指導よろしくお願いします」
そう言って改めて頭を下げると、キャシー先生は「だから」と少し怒ったように言う。
「“先生”はやめてと言ったでしょう?
これからは、キャシー“様”と呼ぶようにと」
それは二週間ほど前、キャシー先生から言われたこと。
『“先生”という呼び方、悪くはないけれど夜会において目立って仕方がないですわ。
……そうね、特別に私の名前を呼ぶことを許可いたします』
確かに、そうキャシー先生にご許可を頂いたものの。
「……やはり、私には難しくて」
「えっ?」
キャシー先生が驚いたように目を丸くしたのを見て恐る恐る口にする。
「キャシー先生を“様”とお呼びするのは、馴れ馴れしい気がして恐れ多くて……。
出来れば、もう少し慣れるためにお時間を頂けたら嬉しいです……」
そう言った私に、キャシー先生……キャシー様は、息を呑んだかと思うと。
「っ、ま、まあ、この私にオーラがあるのだから仕方がなくてよ。
ただし、夜会までには私のことを“キャシー様”と呼べるようにすること! 良いですわね?」
「はい」
私が頷けば、隣で聞いていた旦那様が「なるほど」と小さく呟いたのが聞こえてきて首を傾げたけれど、キャシーせ、ではなくキャシー様の拍手を合図に話は切り上げられ、ダンスのレッスンが始まる。
「はい、ではまずはお二人のダンスの様子を見せてくださいませ。
お二人はまだ一度も一緒に踊られたことがないのでしょう?」
キャシー様の言葉に旦那様と顔を見合わせ揃って頷けば、キャシー様は「話はそれからですわね」と告げると、私達にダンスを踊るよう促す。
まずは、曲は流さずキャシー様による手拍子のリズムだけで踊ることになり、旦那様と向かい合って立つと。
(っ、わ、わぁ……)
それだけで心臓がドキドキと脈打つ。
ダンスは習ってはいたけれど、一度も日の目を見ることなく終わっていたため、今まで男性と踊るということ自体がなかった。
そのため、今正面に旦那様がいて、これから旦那様の手を取って一緒に踊ると思うと、緊張で身体が強張る。
でもそれは、旦那様も同じなようで……。
「お二人とも、ダンス以前に表情が固いですわよ」
「「!」」
口出しはしないと言っていたキャシー様が見かねたように指摘したことで、お互いにハッと気が付き柔らかな表情をしてみようとするけれど、旦那様はぎこちなく、対して私もいつものことながら口角は上がらなくて。
それでも、気を取り直すようにお互いにそれぞれお辞儀をし、旦那様に差し伸べられた手を取ったのを合図に、キャシー様の紡ぐリズムに合わせて踊ろうとしたけれど。
「!?」
グルンッと勢いよく視界が揺れる。
それは、旦那様の力強い腕にエスコートされたからで。
(わわわっ)
男性と踊るのってこんなに力強くて速いのね、と鼓動が更に忙しなく鳴るのを感じながら慌ててついていこうと必死になっていると。
「お互いの顔を見て!」
キャシー様の鋭い指摘に、反射的に顔を上げると……。
「「っ!?」」
思わず同時に息を呑む。
それは、旦那様の顔が吐息が触れるほど近くにいたからで。
(ち、近っ……!)
「そのまま! 顔を逸らさない!」
まるで心を読んだかのようなキャシー様の言葉に、何とか踏み止まり旦那様のお顔を見上げるけれど、心臓はバクバクと高鳴り、手は汗ばみ、顔は見えないけれど多分、火を噴きそうなほど真っ赤だと思う。
(だ、だめ、頑張らないと……! 旦那様の足を引っ張るわけにはいかない!)
込み上げる羞恥を何とか堪え、旦那様から視線を逸らさずに見上げていると。
「……ティアナ」
「はっ、はい!」
不意に名を呼ばれ、声がひっくり返る。
いつもなら私の反応に旦那様は「緊張しすぎだ」と言って笑ってくれるのだけど、やはり旦那様もいつもと違うようで……。
「……その顔は、ちょっと」
「え?」
旦那様はそこで言葉を切ってから、意を決したように口にする。
「心臓に、悪すぎるんだが」
「心臓に悪い……?」
どんな顔だろう、と首を傾げる私に、旦那様がボソリと呟く。
「……可愛いという意味だ」
「可愛い?」
旦那様の言葉を読み込むのに十数秒という時間を要した後……。
「っ、へっっっ!?」
「あ、おい!」
動揺から足がもつれてしまって。
咄嗟に受け止めようとしてくれた旦那様を巻き込む形で、床に倒れ込んでしまう。
「だ、大丈夫か!?」
「わ、私は大丈夫、です……」
頭と腰を咄嗟に守ってくれた旦那様のおかげで、転倒による怪我は免れたけれど……。
「……前途多難ですわね」
ごもっともすぎるキャシー様の呟きが、はっきりと耳に届いたのだった。




