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優しすぎる旦那様

 嫁いでから十日程が経った朝。


「二ヶ月後に夜会が開かれることになった」


 朝食の席に着くなり旦那様から開口一番告げられた言葉に、一瞬固まってしまう。

 旦那様はそんな私をじっと見つめて話を続けた。


「まだ正式な決定ではないらしいが、俺達にはいち早く耳に入れておこうというバルドゥルの配慮らしい。

 その時に俺の妻となった君を紹介したいと」

「……つまり、私が旦那様の妻となったお披露目を兼ねて、ヘルツベルク王国がウィバリー帝国の属国に下ったことを正式に発表するんですね」

「そういうことだ。そこは君も多分理解してくれていると思う。だが、問題は」

「……ヘルツベルク王国の方々もご招待される、ということですね」


 私の言葉に、旦那様は重々しく頷く。

 思わずギュッと机の下で服の裾を握ると、旦那様にすぐに気付かれてしまう。


「無理はしなくて良い。良い思い出のない母国の連中と顔を合わせる必要はないからな。

 別の夜会でお披露目するでも良いと、バルドゥルも言っている」

「ですが、ヘルツベルク王国とウィバリー帝国が集まる場において私が赴かないとなると、両国の貴族や重鎮の方々の間に不信感が募る。

 そうなると、皇帝陛下や旦那様にご迷惑をおかけすることに」

「そんなことは考えなくて良い」

「!」


 旦那様はきっぱりと断言する。

 驚き目を見開けば、旦那様はこちらを見て言った。


「バルドゥルの命で君を妻に迎え入れたとはいえ、夫である俺が君を守る義務がある。

 ……いや、義務という言葉は相応しくないな。

 俺が君を守りたいんだ。せっかく“本当の自分”を取り戻しつつある君が、また下を向くようなことがあってほしくないからな。

 摘める芽は全て摘んでおきたいところだ」

「! 旦那様……」


(旦那様は、本当に優しい……)


 本来ならば、迷わず夜会へ参加すべきだ。

 ヘルツベルク王国を招待するということは、帝国側からしたら、正式に属国であることを周囲に知らしめる場でもあるのだから。

 もしそこに私が参加しなかった場合、両国共に互いに対する不信感が募る。

 ヘルツベルク王国側からしたら花嫁が大切に扱われていないのではないか、そして、帝国側からしたらヘルツベルク王国の元侯爵令嬢が反抗している、と。


(分かっている。こんなところで迷うべきではないと。けれど)


「……ベート侯爵家も、ご招待を受けますよね?」

「……あぁ」


(やはり、そうよね)


 ベート侯爵様は宰相。つまり、国の重鎮だ。

 となると、侯爵様と夫人の参加は絶対、そして。


「……義姉も、参加すると思います」

「義姉?」

「義姉……ビアンカ様は、第二王子殿下の婚約者にあたります。

 そのため、第二王子殿下に頼み夜会の場に必ず現れるでしょう。

 私がどんな暮らしをしているか、気になって仕方がないでしょうから」

「…………」


(ビアンカ様は、私が不幸になることを望んでいる)


 だから“悪魔辺境伯”と呼ばれる旦那様の元に嫁ぐと言ったら喜んでいた。

 だけど、ビアンカ様と私の予想に反して旦那様のお屋敷での暮らしは、温かくて穏やかなものだった。

 今こうして幸せに暮らしていることを知ったら、ビアンカ様は。


「心配するな」

「!」


 肩に訪れた温かいな重みに顔を上げれば、旦那様がいつの間にか近くにいて、私の肩に手を置いていた。

 そして、漆黒の瞳で私を見て力強く言葉を発する。


「君の話を聞いて確信した。

 やはり君を夜会に参加させるべきではない。

 この話は聞かなかったことにしてくれ」

「っ、でも」

「俺を誰だと思っている。帝国一の辺境伯だぞ。

 バルドゥルという敵なしの強い味方がいるというのに、その権力を行使せずにいつ使う。

 それに、万が一バルドゥルが反対としても、俺が力でねじ伏せるから心配するな」

「ち、力!? そ、それは駄目だと思います!」


 慌てて首を横に振った私を、旦那様は吹き出して笑う。


「まあ、それは冗談として。

 ……だが、俺は必ず夜会に参加する。

 そして、君を害した者達を決して赦しはしないだろう」

「……っ」


 そう言い切った旦那様はまるで般若の形相をしていて。

 さすがに血の気が引いてしまい、何も言えなくなってしまうと、旦那様はそんな私に気が付いたようで慌てたように言う。


「す、すまない。怖がらせるつもりはなかったんだ。

 ただ俺は、こんなにも心が美しい君の顔に陰を落とすようなことはあってはならないと思うし、決して許し難いと思う」

「……!」

「だから、君は何も気にするな。

 元はと言えば俺達が提示した条件なんだ、全ての始末は俺達で付ける。

 そんなことも出来ないようであれば、帝国の皇帝と最強の騎士を語れない。そうだろう?」

「……っ」


 旦那様の冗談めかした優しい言葉に、不意に泣きそうになり顔を歪めてしまったのを、旦那様が止めるように優しく頬を撫でてくれる。


「そんな顔をするな」

「はい……」

「とにかくこの話は忘れろ。せっかくの朝食が不味くなるからな。

 さあ、温かいうちに食べよう」

「……ありがとうございます」


 旦那様は微笑んでくれたけど、私は微笑むことも出来ずに、膝の上で拳を握りしめた。

 本当に、これで良いのかと。

 いや、良いわけがないと思うのに、言葉は出てこなくて。

 結局、旦那様との朝食の時間の間に答えは出なかったのだった。

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