6.とんでもない事実
並んで草原をのんびりと歩きながら、セルジュが町のほうを指す。
「イグリーズの町のはずれにある屋敷が見えるか? あそこが、父のいる屋敷だ。少し歩くが、構わないな?」
「もちろんだよ。……ところで、君は領主様の息子だったのか。なら、口調を改めたほうがいいのかな?」
「いや、そのままでいい。俺は敬語を使われるのが好きじゃない。……とはいえ、民のほとんどは敬語を使ってくるんだが」
そう答えて、セルジュはため息をついている。どうやら、そうやって民に距離を置かれていることが嫌なようだ。貴族にしては変わっているな……って、私が言えたことじゃないけれど。
「と、ところでさ」
話をそらそうと、足を止める。そっと振り返ると、さっきまでいた木の舞台が遠くに見えた。楽器の音、楽しそうに騒ぐ声、誰かが歌っているのも聞こえてくる。精いっぱいに今を楽しんでいる、そんな祭りの風景だ。
「あれって、何のお祭りなのかな?」
そう問いかけると、セルジュもまた同じほうを見て不機嫌そうにつぶやいた。
「……この地には、聖女が降臨してくるという古い伝説がある。あの祭りはその伝説に基づいた、聖女を迎えるための祭りだ」
聖女を迎えるための祭り。そんなところに私が顔を出したから、あんな騒ぎになったのか。つくづく間が悪い。
「あの舞台は聖女を迎えるために、祭りの間だけ建てられる。人々の祈りが通じたなら、あの場に聖女が降臨してくると、そういう言い伝えになっている」
そこまで一気に説明して、セルジュがため息をつく。鮮やかな赤毛をくしゃくしゃと手でかき回しながら、低い声でうなった。
「だから困ったことに、みなお前が聖女だと信じてしまっている。まったく、なんてところから姿を現すんだ……」
「というか、そもそも僕は男なんだけど。聖『女』っていうからには、聖女は女性なんじゃ……」
「男の聖女がいた記録がある」
即答したセルジュに、今度は私が頭を抱えた。
「記録がある、って、まさか聖女が本当に降臨したことがあるの!?」
「過去に、何度も。最後に聖女が降臨したのは、八十年ほど前のことらしい。当時を知る者はもうろくにいないんだ」
「そっか……困ったなあ。僕は本当に聖女なんかじゃないのに」
「そこの判断は、父に任せよう」
そこまで話してから、また二人で歩き出した。イグリーズの町が、どんどん近づいてくる。
そのまま門をくぐって、町に入った。にぎやかな声にあふれた綺麗な町並みが、私たちを出迎えてくれた。
遠くから見た時も栄えた町だと思ったけれど、こうして近くで見るとさらに素敵な町だ。聖女の騒動をさっさと片付けて、しばらくイグリーズでのんびりするのも悪くないかも。
行き交う人たちはみんな幸せそうで、ルスタの町の人みたいに不安そうな顔はしていない。セルジュの姿を見かけると親しげにあいさつをしてくるし、その隣の私にも気軽に接してくれる。
「いい町だね、ここ」
そう言うと、セルジュは嬉しそうに微笑んだ。最初に見た凶悪な目つきがすっかり和らいで、驚くほど優しい雰囲気になる。
「ああ。俺もこの町が好きだ。こうしていると、父さんがみなを守ってくれているのだと実感する」
あ、さっきは『父』って言ってたのに、『父さん』になった。たぶんこっちが素なんだろうな。
ついくすりと笑ってしまったのを、セルジュに気づかれた。彼はまた眉間にしわを寄せて、不機嫌そうな顔で続けた。
「ところでお前、旅人だとか言っていたな。その洞窟とやらに入る前は、どこを旅していたんだ。あと出身はどこで、どこへ行くつもりだった」
「出身はバルニエ領ルスタ。そこの近くの山岳地帯を歩いていたんだ。そうしたら足を滑らせて、地面の裂け目か何かに落ちたんだと思う。気づいたら、洞窟の中にいた」
あわてず騒がず、涼しい顔で答える。どこかでそういったことを聞かれる可能性もあるだろうし、ちゃんと事前に考えてある。
出身地についてどう答えるかについては、少し悩んだ。
正体をはっきりと偽るためにはバルニエ領以外から来たと言ったほうがいいような気もするし、お母様がいる隣国ソナート出身だと偽るのもありかもしれないと思った。
あれこれ考えて、結局こうなった。私が知っているのはバルニエの屋敷とルスタの町、そしてその周辺の野山だけだ。余計な作り話をして、ぼろが出たら大変だから。
そしてここにやってきたいきさつについても、そこまで嘘は言っていない……とは思う。落ちたのではなく飛び降りたのだし、落ちた先も地面の裂け目ではなく湖の崖の洞窟だけど。
それにしてもイグリーズ、か。どこかで聞いたような気がする。私はここレシタル王国の地理には詳しくない。でもなぜか、聞き覚えがあるような……。
こっそりと首をかしげながら、続きの言葉を口にする。
「そして、旅の目的は……家にいづらくなったからなんだ。ちょっと、家庭の事情でね。しばらくあちこちをさまよって、新たな居場所を探そうと思ってる。あてのない旅だよ」
私は、男装には自信がある。ただ、どうしても育ちの良さだけは隠せていないようなのだ。
ルスタの町でふらふらしていた時も、どこかの坊ちゃんがこっそり遊んでいると思われていることが多かった。身なりが上等すぎないように気をつけていたというのに。
だから、言い訳はこんな感じのものになった。貴族とか豪商とかのいわゆる上流階級にありがちな、後継ぎ問題とかそういうのに巻き込まれて、生まれ育った場所にいられなくなったのだと、言外にほのめかす。
さて、この言い訳を使うのは初めてだけど、うまくいったかな。肩をすくめながら、セルジュの反応をうかがう。
「……そうか。大変だったんだな。無理に聞き出して悪かった」
彼は悲しげに目を細め、謝罪してくる。信じてもらえたのはいいんだけど、罪悪感がぐさぐさと胸を刺してくる。
また何か、違う話題を探そう。話のとっかかりを探そうと、町の中をきょろきょろと見渡す。
いつの間にか、私たちはもう町外れまでやって来ていた。門の辺りはにぎやかだったけれど、この辺りは静かだ。大きくて豪華な家が並んでいて、道行く人も少ない。
そして私たちの行く手には、大きな扉のついた門と高い柵が見えてきていた。その向こうには大きな屋敷がある。周囲の建物よりも明らかに古く大きな建物だ。
その屋敷に目をやって、セルジュが言う。
「あそこが、俺の父であるエミール・マリオットの屋敷だ」
まったく予想外のタイミングで出てきたその名前に、驚きすぎて何も言えなかった。