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53.ようやく聞けた言葉

 二人一緒に離れに入り、居間のソファに並んで腰を下ろす。というか、崩れ落ちる。


 そうしてセルジュと同時に、深々とため息をついた。


 女のなりをしていることにもお構いなく、いつものリュシアンの口調で愚痴をこぼす。


「…………ああ、疲れた。父さんがいるなんて聞いてないよ。レシタル軍を無傷で追い払えていい気分だったのに、台無し。ほんと、台無し」


「……バルニエ伯爵か。お前にしては、ずいぶんと辛らつな口調で相手していたな。俺と父さんも決して仲のいい親子とは言えないが、さすがにあれは……」


 気まずそうに、セルジュは言葉を濁した。それも仕方ないか。


 私からすると、セルジュとエミールは結構仲のいい親子に見える。セルジュがちょっぴり意地っ張りで、エミールがちょっぴり言葉足らずなだけで。


 たぶんもう何年かしたら、二人で静かに酒を酌み交わすようになるんじゃないかな。その姿がありありと想像できる。


 そんなことを思いつつ、うんと大きく伸びをする。そのまま、ソファの背もたれによりかかった。


「あの人が過去にしたことを思うと、ちょっとね。謝罪されたからって、はい分かりました許しますとはとても言えなくて。もう十年くらいしたら、考えも変わるかもしれないけど」


 ところで、といいながら顔だけをセルジュのほうに向ける。このままいつもみたいに他愛のない話をしていたいな、という思いを押し込めて。


 たぶん今聞いておかないと、またしばらく先延ばしになってしまうから。今しかない、そんな気がするから。


「……あの、さ。そろそろ……聞いてもいいかな」


「何をだ?」


「……もう、僕の口から言わせる気?」


 ソナートへ向かう途中に、彼は愛を告げてきた。そして屋敷に戻ったら、願いを聞いてほしいと言っていた。


 私は女性を口説くのは得意だし、女性に惚れられたこともあるけれど、男性に愛の告白をされたことはない。多少なりともそれらしいことを言ってきたのは、セルジュが初めてだ。


 それからずっと、私は彼の気持ちを聞きたいという思いを、ずっと押し込めてきた。日に日に強くなる思いを、一生懸命に。


 ティグリスおじさんによれば、こうやって待っていればいつか、ちゃんと答えがもらえるはずだから。


 けれどさっき、レシタル軍の上空にいた時のこと。セルジュはやけに挙動不審だった。そして、戻ったら説明すると、そう言った。


 きっとこちらの説明とやらも、前の告白と、前の願いと関係しているのだろう。そう感じてしまったら、もう止まれなかった。


「君、僕に何かお願いがあるって前に言ってなかった? それに、さっき様子がおかしかった理由も説明してくれるって……ほら、一緒に空を飛んだ時」


 覚悟を決めて、そう真正面から切り出してみる。もしはぐらかされるようなら、あきらめてもうちょっと待つしかないのだろうなと、そう思いながら。


 セルジュは濃い緑の目を真ん丸にして、それから観念したように深く息を吐いている。頬をほんのりと染めて、すっと明後日の方向を見た。


「……そうだな。確かに、いい加減話すべきか…………すまないが、俺が話している間はこちらを見ないでいてほしい。そうでないと、最後まで話せそうにない」


「うん」


 特に異論はなかったし、見た目によらず繊細な彼を刺激する気もなかった。普段は軽口を叩き合っているけれど、これから始まるのは真剣な話だと分かっていたから。


 私の返事を聞いたセルジュは、ためらってためらって、それからぽつりとつぶやいた。


「…………あの時のことを、覚えているか。忘れていてくれると助かるんだが」


「あの時って?」


「……カナールとの国境近く、ティグリス殿が現れる直前のことだ」


「ごめん、全部覚えてる」


 素直にそう答えると、セルジュが深々とため息をつく音が聞こえた。


「……だろうな。お前は記憶力はいい。……いや、記憶力も、か。優れた知能、ちょっと変わってはいるが朗らかな人柄、本当にお前は……興味深いよ」


 そのまま、彼は黙り込む。こっちを見ないでくれというお願いを律義に聞いているせいで、私はソファの背もたれによりかかったまま、ただ待つことしかできなかった。


 離れの窓の外には、丁寧に手入れされた林が見えている。鮮やかな夏の花が、美しく林を彩っていた。


 私が初めてここに来た時は、冬の終わりの花が散っていた。そうか、私はここにきてまだ半年にもならないんだ。


 その間に、色んなことがあったなあ。セルジュとイグリーズの町をふらふらして、それから聖女の悩み相談を始めた。変装して町に出たら、カゲロウの若者たちに出会った。


 王宮の使者が来て、聖女の力を使って、そうしてマリオットが独立することになった。ソナートとの同盟のために国境を越えて、戻ってきたら今度はレシタル軍が押し寄せてきて。


 ……何だかとっても、目まぐるしい日々だった。でもとても刺激的で、充実していたし、不安に思うことはなかった。


 きっとそれは、いつもセルジュがそばにいてくれたからだと思う。


 ぼんやりとそんなことを思い出していたら、セルジュが静かにつぶやくのが聞こえた。いつになく弱々しい、かすかに震えた声だった。


「……イグリーズの町に、アルモニカ連合国に平和が戻ってきたら。……お前が、聖女としてあちこち駆けずり回らなくて済むようになったら」


 彼はそこで、言葉を途切れさせた。身動き一つせずに、黙ったまま次の言葉を待つ。


「…………お前に、俺の妻になってほしい。そう、頼むつもりだった」


 たったそれだけの言葉が、頭の中いっぱいに鳴り響く。少し遅れて、その意味を理解した。そのとたん、心がふわりと舞い上がる。


 やっと、やっと聞けた。でも、恋心を打ち明けたと思ったら、もう妻になってくれって。ちょっと間が飛びすぎな気がする。


 でも、何というか実直で不器用なセルジュらしい。それにとっても嬉しい。もちろん、私の答えは『はい』だった。


 ただ一つだけ、ちょっとだけ不満があるにはある。くすりと笑いながら反論した。リュシアンとしての口調ではなく、本来の私の言葉で。


「私、そんなに待たないといけないの? アルモニカが落ち着くのって、たぶん結構先だと思うわ」


 と、セルジュがはっと息をのむ気配がした。きちんと座り直して、横目でちらりとセルジュのほうをうかがう。案の定、彼の顔は真っ赤だった。


 彼はきちんと約束を守って、私の問いに答えてくれた。こんなにも真っ赤になりながら。それが何とも愛おしい。


「……あなたばっかり白状するのも不公平だし、私も話しておくべきよね。……いえ、そうじゃないわ。あなたに聞いてほしいの」


 彼のその誠実さに応えたい。そんな思いに突き動かされるように、口を開いた。


「前に話したと思うけど、私はバルニエの家にいた頃、見合いをかたっぱしからつぶしていたの。……まあ、そもそも見合い相手がどれもこれもひどかったのもあるけれど」


 あれからまだ一年も経っていないのに、ずいぶんと昔のことのように思える。


「父があんなだから、私は恋愛にも結婚にも夢を持っていなかった。ティグリスおじさんに教わった技術を駆使して、しょっちゅう屋敷を脱走してはリュシアンとして過ごしていた。楽しかったわ」


 ずっと自分の胸の奥にしまいこんでいた、誰にも話したことのない本当の思いを、そっと言葉に乗せていった。


「……私がか弱い伯爵家の令嬢でしかないこと、いつか誰かのもとに嫁ぎ、その家を栄えさせるために子供を産むためにいること。そのことから、ずっと目をそむけていたの」


 貴族の令嬢は、一生誰かに守られ続け、子供を生んで血をつなぐ存在。そんな定めに、私は逆らいたくてたまらなかった。逆らいようもないと分かっていても。


「……お前はか弱くもないし、それに……人間として、とても魅力的だ。決して、子供を産むためだけの存在ではない」


 セルジュがつっかえつっかえ、そんな言葉を返してきた。そうやって擁護してくれるのが嬉しくて、ふふっと小声で笑う。


「ありがとう、セルジュ。けれど私は、とんでもない運命のいたずらでここイグリーズにやってきて、あなたと一緒に行動するようになった。とっても楽しかった。一人でルスタの町をふらふらしていた頃より、ずっと」


「……俺もだ。お前と過ごすのは、その……楽しかった。これまでにないくらい」


 彼もようやく落ち着きを取り戻してきたのか、穏やかな声でそう返してきた。


「そう思ってくれて、嬉しいわ。うっかり私が女だってばれちゃってからも、あなたはそれまでとだいたい同じ感じで接してくれたし。……女性慣れしてなさすぎて、びっくりしたけど」


「あいにくと、女性は昔から苦手なんだ。何もかもが、俺とは違いすぎていて……どう接していいか分からん」


「じゃあ、私がリュシアンとしてあなたと出会ったことは幸運だったのね」


「そう思う」


 もう一度横目で様子をうかがうと、おかしそうに笑っているセルジュと目が合った。


「……それから、町の若者たちを鍛えたり、聖女としての力を使うはめになったり。そうこうしているうちに、レシタル王国からマリオットが独立してしまったし」


「改めて列挙してみると、かなりめちゃくちゃだな」


「ほんと、そうよね。あなたと一緒に、本当に色々なことをした。普通の令嬢なら、いいえ、普通の人間なら、まず体験しないようなことばっかり」


 そこで、一度言葉を切る。ちょっと緊張するのを感じながら、また話し始めた。


「そうしてあの国境近くの森の中で、あなたのあの言葉を聞いた。勝手に死を覚悟しないでよ、まだあきらめるには早いわよって思いながら、でも……すごく嬉しかった。そう感じる自分にも驚いたけど、でもやっぱり、嬉しくてたまらなかった」


 恋心がどうとかこうとか、普段のセルジュなら口が裂けても言えないだろう。あの非常事態のおかげで、彼はあの言葉を口に出せたのだ。


「でもそれから、あなたはずっと何事もなかったかのような顔をしてたし……あれは夢だったのかもしれないって思い始めてた」


 彼は私に恋をしていると、あの時確かに聞いた。しかしそれにしては、それ以降のセルジュの態度がいつも通り過ぎたのだ。


 彼は演技なんてできないだろうし、あの告白は私の勘違いだったか白昼夢だったのかもしれないと、そう思いそうになるくらいに。


 ティグリスおじさんは、大丈夫だからそのまま待っていればいいと太鼓判を押してくれたけれど、でもやっぱり不安だった。


 女性らしい格好をしてセルジュに迫って、無理にでも聞き出したい。そんな考えが浮かんだのも、一度や二度のことではなかった。


 体ごとセルジュに向き直って、にっこりと笑いかける。真っ赤になったその顔を愛おしいと思いながら、一番言いたかった言葉をつむいだ。


「だから、あなたの口からちゃんと聞けて嬉しいわ。プロポーズ、ありがとう」

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