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48.いちかばちか、私たちの作戦

 それから十日ほど後、私たちは例の砦にいた。遠眼鏡で見てみると、北側の草原に兵士たちが整列しているのが分かる。あの旗の色は、あの鎧は、レシタル王国の軍だ。


 こちらの総大将はセルジュ。エミールの代理という形だ。エミールはエミールで、アルモニカ連合国に参加した他の貴族たちとの駆け引きやら調整やらに忙しくて、イグリーズを離れることができない。


 そして、ティグリスおじさんもここに来ていた。おじさんは今回も、聖女の奇跡の力により虎へと変じるとか何とか、そんな演技をする気満々だ。


 さらにグノー伯爵も、私たちと一緒に砦にやってきていた。我が配下のみを戦場に出し、己は安全なところで高みの見物などできる訳がないと、彼はそう言い切っていた。かっこいい。


 しかも身長が高くて筋骨隆々な彼は、いかめしい鎧を着こみ、私の身の丈ほどもある大きな戦斧をたずさえている。虎になったティグリスおじさんと並んだら、ものすごい威圧感だろう。


 私は私で、ちょっといつもとは違う格好をしていた。リュシアンとしての男物の服に、小ぶりのリュック。中には、聖女の衣装がひとそろい。


「では、手はず通りに動いてくれ。あとは頼んだ」


 セルジュの言葉に、ティグリスおじさんとグノー伯爵が力強くうなずく。それからセルジュは、私のほうを見た。


「よし、俺たちも行こう」




「ちょ、ちょっと待って、セルジュ、僕、もう腕が震えてきて」


 それから少し後、私とセルジュは砦の東にある山をえっちらおっちら登っていた。数人の偵察兵だけを連れて、こっそりと。


 あの後私とセルジュは、いったん砦の屋上に姿を現し、レシタル軍にしっかりと存在を見せつけた。それからこそこそと砦を抜け出して、レシタル軍の死角になるところから山を登り始めたのだ。


 エミールが思いついて、みんなで練り上げたこの作戦では、山の上に行く必要があるのは私だけだ。


 でもセルジュは、どうしてもと言い張ってついてきた。俺はリュシアンを守りたいんだと、そう言って。


 彼の立場を考えると少々子供っぽい主張ではあるけれど、彼が一緒に来てくれることは嬉しかったし、心強かった。


 そういった訳で、砦には影武者を置いてある。ちなみに私の影武者は、小柄な男性が務めてくれている。


 見た目を再現するだけなら女性のほうが楽なのだけれど、こんなところで堂々としていられる女性は、そうそういないし。


 ともあれ、私は両軍が戦いを始めてしまう前に山を登り、作戦にぴったりな場所を探さなくてはならない。


 その思いに突き動かされるようにして必死に登っていたのだけれど……さすがに、ちょっと限界だ。


 だいたいこれは山登りというよりも、崖登りといったほうが正しい。先行する偵察兵たちがロープを張ってくれているので、進むこと自体はできた。でもこんなに長い間、ロープだけで崖を上った経験はない。


「仕方ないな。少しだけ休むぞ。だが、見ての通りあまり時間はない」


「うん、分かってる」


 手短に答えて、崖の途中、小さなテラスのようになっているところに腰を下ろす。


 こわばった手をほぐしながら、下に目をやった。崖の斜面に生えた木々の向こうに、砦とその周囲の光景がちらちらと見えている。


 砦のすぐ南側には、アルモニカ連合国……というか、マリオットとグノーの兵士たちが並んでいる。


 さらにその後ろには、お母様とルイが派遣してくれたソナートの兵士たち。数は少ないけれど、今回の作戦に向いた人を厳選してもらった。


 砦の北側、そこの草原に集まっているはずのレシタル軍は、崖に隠れてほとんど見えない。


 まだ両軍はにらみ合っているだけで、戦いは始まっていないようだった。でもいつまでも、この状態が続くとは限らない。


「セルジュ様、先の道を見つけてきました。おそらく、じきに好適な場所にたどり着けるかと」


「この辺りには敵の姿もありません。今のうちに、急いでください」


 そうしていたら、先行していた兵士たちがそんなことを言いながら戻ってきた。みな本職だけあって、ものすごく身のこなしが軽い。


「……リュシアン。もう行けるか?」


 心配そうにこちらをのぞきこんでくるセルジュにうなずきかけて、もう一度ロープをつかむ。本当はまだ腕が震えているけれど、今は少しでも急がないと。


 それからもう少し進んだところで、彼らの言う『好適な場所』にたどり着けた。


 そこはちょっとした小屋くらいなら建てられそうな広さの草地になっていて、先に来ていた偵察兵たちが私たちを出迎えてくれた。


「ここまで案内、ありがとう。……ここからは、私の仕事ですね」


 聖女の衣装をまとい、口調を改めると、それだけで背筋が伸びるような気がする。アミュレットをしっかり握りしめて、聖女の力を使う。


 そうして私は、大きな、それは大きな虹を、空に打ち上げた。それも三つも。


 これは、下にいる味方への合図だ。あとはただ、待つしかない。目を閉じて祈りの形に手を組み合わせ、意識を集中する。


 今まで、何度も聖女の力を使ってきた。その場所に残された人々の祈りが、そのまま私の力になる。それを実感してきた。


 そうしているうちに、実際にそこに足を運べば分かるようになっていた。その場所が、聖女の力を使える場所なのか、そうでないのか。


 この辺りからは、そんな思いを感じ取れない。今の私に使えるのは、アミュレットを介したささやかな力だけだ。


 どうか、私たちの作戦がうまくいきますように。目の前に広がる虹を見つめて、ただひたすらに祈った。



 砦のすぐ北に、二人の男が立っていた。


 男の一人は、威厳に満ちあふれた頑強そのものの壮年の男性。


 普通の人間では持ち上げることすら困難な長柄の大斧を片手で持ち、離れたところに布陣しているレシタル軍をじっと見すえていた。


 もう一人の男は、優しい顔の老人。


 ふわふわの白い髪とひげをそよ風になびかせながら、穏やかな表情でレシタル軍を眺めていた。底知れぬ泉を思わせるその水色の目は、清浄でありながら見る者をおじけづかせるような光をたたえていた。


 男たちか、レシタル軍。そのどちらかが動けば、たちまちここは戦場になっただろう。


 しかし男たちの気迫に押されたように、レシタル軍は動けずにいた。最前線の兵士などは、あからさまに不安そうな顔をしていた。


 そうして、どれだけの間にらみ合っていたのだろうか。ふと老人が、顔を上げた。


「……来ましたな」


 その言葉を合図にしたかのように、空に大きな虹がかかった。それも、三つも。現実にはあり得ないその光景に、レシタル軍からどよめきが上がる。


「聞くがいい、兵士たちよ!」


 壮年の男性が、声を張り上げた。多くの者の心をまとめ、率いることに慣れた、貫禄のある声だった。


「あの虹は、我らアルモニカに聖女様が力を貸してくださっている、その証拠だ!」


 たったそれだけの言葉に、レシタル軍がどよめいた。空にかかる雄大な虹は、それだけ幻想的で神秘的だったのだ。


「お前たちも聞いたことがあるだろう! 聖女様がもたらした、数々の奇跡を! 敵を眠らせ、味方を癒す、その偉大なる力を!」


 前方の兵士たちはうろたえ、互いに顔を見合わせていた。


 後ろのほうにいる隊長たちが、静まれと怒鳴っているが、それも効果がないようだった。


 次第にざわめきは大きくなり、軍全体に広がっていく。もうすっかり、レシタル軍は浮き足立ってしまっていた。


 それをのんびりと眺めていた老人が、静かに口を開く。奇妙なことに、この騒がしい中でも彼の声はよく響き渡っていた。


「聖女様は慈悲深いお方じゃ。しかし、必要とあらば神の裁きをも容赦なく下す。わしは、そのために遣わされたしもべなのじゃよ」


 老人が微笑んだ次の瞬間、その姿が大きな白い虎に変わった。既に戦意を喪失しつつあった最前線の兵士たちが、情けない悲鳴を上げてひれ伏した。


「落ち着くがいい、兵士たちよ! 聖女様は、血が流れることを望んではおられない! 諸君らがおとなしく剣を引き祈りを捧げるのであれば、裁きが下ることもない!」


 おかしなことに、上官であるはずのレシタルの隊長たちよりも、敵であるはずの壮年の男性の言葉のほうが、レシタルの兵士たちの心をつかんでいるようだった。


 壮年の男性が兵士たちをなだめ、兵士たちは感謝しながらひざまずき、祈りを捧げ始めた。その顔からは、最初の頃の不安感は薄れている。


「さて、今頃砦の中と南側でも、みなが祈っておる頃じゃろうなあ……」


 白い虎が悠然と振り向きながら、口の中だけでつぶやいた。



 聖女の衣装をまとったまま、山の上でひたすらに祈る。それはほんの数分のことのようでもあり、数時間以上も経っているようにも思えた。


 と、空気が変わったのを感じた。


 ふわりと温かい、優しい空気が私を包む。肌では感じ取れない風のようなものが、ふわりと私の頬をなでた。人々の思いが、祈りが集まってくるのを感じる。


 今なら。今なら、できる。


 目を開けて、顔を上げた。自然と、笑みが浮かんでいた。

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