47.そうして、事態は動き出す
無事にグノー伯爵を説得し、私たちのアルモニカ連合国は最初の一歩を踏み出した。
とはいえ、全てが順調とはいかない訳で。
「神は嘆いておられます。どうぞ、深き眠りの中で己の行いと向き合ってください」
仰々しくそう言って、手をまっすぐ前に突き出す。私の手からは、緑色の光の柱がほとばしった。丸太ほどもあるそれに当たった兵士が、ふらふらと崩れ落ちて眠りについた。
これもまた、聖女の力の一つだった。私は訓練の末、新たな暴れ方……じゃなくて、戦い方……というか、相手を無力化する方法を手に入れたのだった。
教会や聖地など、人の祈りや思いの集まった場所でしか聖女は力を使えない。それが原則だけれど、一つだけ例外がある。
長い時を経た物品、それもたくさんの人の手に渡り、大切にされ続けてきた物品を介することで、ほんのちょっとだけ聖女の力を使うことができるのだ。どうやら、物品に強い思いが込められていればいいらしい。
もっともそうやって物品を介して力を使うのはかなり難しくて、さんざん練習してようやっと使いこなせるようになったのだ。
ソナートに向かう時に使えるようになっていれば、あんな恐ろしい目にはあわなかったのに。そう思うと、ちょっと悔しくもあった。
それはそうとして今、私は右手で古いアミュレットを握りしめ、左手で光の柱を撃ちまくっている。触れた敵を眠らせる、そんな光の柱だ。
こんな事態になっているのには、ちゃんと訳があった。
グノー伯爵を引き入れることに成功したことで、さらに数人の貴族がこちらについた。ようやっと、アルモニカは連合国らしくなってきた。
それからも私たちは、あちこちの貴族を訪ねては話し合いを続けていた。そこそこ順調ではあったけれど、五人目の子爵のところで思いっきり交渉決裂した。
その子爵は長いものに巻かれがちな人物で、レシクル王ににらまれるのを心底恐れているようだった。レシクル王と私たち、どちらを敵に回すか悩んでいたようだったけれど、結局あちらにつくことにしたらしい。
話し合いを終えて子爵の屋敷を一歩出たとたん、彼の配下の兵士たちが一斉に襲いかかってきた。なので、正々堂々と迎え撃つことにしたのだ。
子爵が長いものに巻かれるのなら、力を見せてやればいい。私たちのほうが長いのだと思わせればいい。簡単な話だ。
とはいえ、暴れているのは私一人だ。
セルジュと兵士たちは剣も抜かずに私のそばに堂々と控えているし、ティグリスおじさんに至っては「聖女の奇跡を見よ!」などとわざとらしく叫びながら虎の姿に変わり、見事な巨体を見せつけて子爵の配下たちを怖がらせている。
獣人族はとても珍しく、そもそも人前で変身することはまずない。そして、おじさんほど大きくて立派な獣に姿を変える獣人族はめったにいないのだそうだ。
だから、この変身を聖女の奇跡だと言い切ってもまず嘘がばれることはないらしい。それはそうとして、おじさんは妙に楽しんでしまっている。
私はそう長くかかることもなく、相手方の兵士をあらかた黙らせることに成功した。
子爵の屋敷の周囲の草原に、幸せそうに身を寄せ合って眠る兵士たち。戦いは回避できたけれど、ちょっと奇妙な光景かもしれない。
そのありさまを見た子爵は、あっさりとこちらに寝返った。こんなとんでもない力を持つ存在が守ってくれるのなら、レシクル王の顔色をうかがってびくびくしている必要もないと判断したらしい。
こうして、今回の目的も達成した。ただ、一つだけ気になっていることがあった。
「……でも、僕が借りて良かったのかな、このアミュレット。聖女の力の媒介になるだけあって、かなりの年代物なんだよね?」
マリオットの領地に戻る途中、セルジュにささやく。手の中で輝くアミュレットを見つめながら。
それは手の中にすっぽり収まってしまうくらいの銀の円盤で、大きな緑色の石がはめこまれている。どことなく聖女印の紋様に似た草花の模様が浮き彫りにされた、とても美しい品だ。
さらに円盤の端には小さな穴が空けられていて、そこに絹の紐が通されている。首にかけられるようになっているのだ。
「ああ。それはうちの家にずっと前から……三百年くらいか? 伝わっているものだ。母さんが亡くなってからは、ずっとしまいこまれていたが。お前に貸すのなら、母さんたちも快く許してくれるだろう」
セルジュによればこのアミュレットは、マリオットの当主の妻が代々引き継いできたものなのだそうだ。日々このアミュレットを握りしめ、聖女に祈りを捧げる。そういうならわしらしい。
たくさんの祈りが込められたこの品なら、きっと聖女の力を引き出してくれるでしょう。そう言って、エミールは私にこのアミュレットを貸してくれたのだ。
本当は、君にそれを差し上げてもいいのですがね。彼はやけに意味ありげに、そうも言っていた。
どこかで見たような表情だなと記憶をたどり、唐突に思い出す。
あれは、婚礼衣装と共に身に着けていた、借り物の首飾りを返しますとエミールに申し出た時のことだった。
二度手間になりますし、そのまま君が持っていてください。確か彼は、そんな感じのことを言っていた。
結局、彼は何を言いたかったのだろう。というか、一体何が二度手間なのだろう。
相変わらず、彼の考えることはよく分からない。まあいいか。今はそれよりも、任務の成功を喜ぼう。
行きとは打って変わって和やかな雰囲気の中、あれこれとおしゃべりをしながら、私たちは意気揚々とイグリーズへと戻っていったのだった。
そんな感じで、私たちのアルモニカ連合国には、どんどん貴族たちが加入していった。
そうしてレシタルの五分の一くらいの貴族が連合国に参加した頃、とうとう事態が大きく動き出した。
マリオットの領地、イグリーズにある屋敷。そこの一室、エミールの執務室の奥の部屋に、私たちはいつもと同じように集まっていた。もっとも、空気はいつもよりもずっと張りつめているけれど。
「さて、とうとうレシタル王国が本腰を入れて動き始めました。私たちのアルモニカ連合国の、初めての踏ん張りどころですよ」
そう言いながら、エミールが大机の上の地図を指し示す。そこには、アルモニカ連合国とレシタル王国の勢力図などが、たくさんの駒で表されていた。
けれど最初の時とは駒の配置があちこち変わっている。前はマリオット領にだけ置かれていた緑色の駒、アルモニカ連合国を表す味方の駒が、今ではあちこちに置かれていた。
それは、アルモニカ連合国の範囲が大きく広がっていることを表していた。私たちの頑張りがそのまま表れているようで、嬉しかった。
「それでは、ここを見ていただけますか」
エミールが、地図の中央を指さす。レシタル王国の勢力を表す赤い駒が、ある街道に集中していた。北から南に、集団で進軍している。
「現在、レシタル軍はここまで迫っています。進軍方向と地形、それに周囲の勢力。それらを考慮すると、彼らはこのまま南下して、この砦を落とすつもりでしょう」
説明しながら、彼はさらに指を動かしていく。その先には、大きな砦があった。そこには緑の駒が置かれている。今のところ、こちらの勢力圏だ。
関所としての役目も果たしているその砦は、東西を高く険しい山に挟まれていて、守るにはこの上なく向いている場所のように思えた。裏を返せば、そこを取られると面倒なことになりかねない。
「この砦を取られてしまえば、レシタル北部におけるアルモニカの勧誘活動が難しくなってしまいます。それに、今後のレシタルの攻勢も激しくなってしまうでしょう」
そう説明して、エミールは深々とため息をついた。
「今のところ、マリオットとグノーの部隊で足止めしてはいますが……他の貴族たちの協力は得られそうにありません。アルモニカ連合国が瓦解してしまった時に備えて、レシタル王国に表立って逆らいたくはないのでしょう」
私たちのアルモニカは、まとまった一つの国ではなく、あくまでも連合国だ。
小さな独立国が助け合って一つの共同体を形成してはいるけれど、行動を強制することはできない。私たちにできるのは、協力を要請する、そこまでだ。
「グノー軍が加わってくれるのはありがたいが……もう少しレシタル軍を下がらせたいところだな。可能な限り、死傷者は出したくない」
セルジュが苦しげに顔をゆがませてそう言うと、ティグリスおじさんもゆったりとうなずいて同意した。
「そうですな。このアルモニカがレシタルより勝っている一番大きな点、それは人命を軽視しない、可能な限り犠牲を出さないというところでしょう。今まで、敵対する兵士も含めて死者を出しておりませんからのう。できればその方針を、貫きたいものですじゃ」
「だったら、どうやってこのレシタル軍を追い払うか、だね……」
『何か、手伝いましょうか? あの神木、すっごく役に立ってるから、お礼もしたいし』
あれからずっと魔法の手鏡を持ち歩いているせいで、お母様は時々こんな感じで会議に参加してくる。
『ソナートのみんなの間でも、聖女のことが話題になってるんですよ。僕、誇らしくて』
しかも、ルイまで一緒になって参加している。
「二人とも、協力してくれるのは嬉しいのだけど……血が流れるのはできるだけ避けたいし……そもそも場所が場所だから、大規模な戦闘にはなりにくいし」
『だったらうちの兵をアルモニカの隊列の後ろにずらりと並べて、脅しに使う……とかかしらねえ』
そうして、みんなで考え込む。
「左右に高い山がそびえたつ砦、つながっている街道はそう広くもない……だったら、僕が砦に立ちふさがって、レシタルの兵士を片っ端から眠らせていくっていうのはどうかな」
『聖女が最前線? 勇ましいのはいいけれど、大丈夫?』
「味方の兵士のみんなには、いざという時のために砦の中と背後に集まってもらっておけばいいかなって」
「とはいえ、あの砦では聖女印を発動させられない。アミュレット頼りでは、数人ずつしか眠らせられないだろう。一斉に矢を射かけられたらどうする。危険だ」
私の提案を、セルジュが即却下した。そして、今度は自分の案を口にした。
「地の利はこちらにある。奇襲でレシタル軍の総大将を押さえてしまうのはどうだろうか。危険は伴うが、大規模な戦闘にはならずに済む」
「確かに。奇襲なら、たぶんティグリスおじさんが一番かなって思うけど……そうすると他の人がついていけないし。白い虎が一頭で突っ込んでくるって、なんかめちゃくちゃかも」
『格好良くていいんじゃないかしら?』
『僕もそう思います。うわあ、見てみたいなあ……』
魔法の手鏡から聞こえる楽しげな声に苦笑しながら、セルジュが口を開く。
「ただ、それはそれで聖女の奇跡らしくていいかもしれない。ティグリス殿がいいのであれば、だが」
「わしは構いませんよ、セルジュ殿。……ただ、虎の姿じゃと少々……手加減が難しくてのう……ひょっとすると、総大将をこう……」
そう言っておじさんは、両手で何かをぺちゃんこにするような仕草をしてみせた。
「あいにくと、万が一のことがないとは保証できそうにないんじゃ」
白い虎のおじさんはとっても強い。それは前に見た。けれど今回はちょっと困る。もしそうなったら、たぶん残された兵士たちがパニックになってしまうし。
と、エミールが何やらつぶやき始めた。彼はさっきからずっと黙ったまま、私たちの話にじっと耳を傾けていたのだ。
「……聖女印と、白い虎……聖女を信仰するマリオットと、意志の強いグノー、聖女に親しみを覚え始めたソナート……ならば、もしかして……」
そして彼は顔を上げ、私たちを順に見る。それから、いつもの落ち着いた口調で言った。
「一つ、思いついたことがあります。リュシアン君、協力してもらえませんか」
そうして彼は、思いもかけない作戦を話し始めた。
私たちはきょとんとしながらその話に耳を傾け……やがて、みんなで大きくうなずいた。