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45.女心と男心

「え、僕? 僕が、特訓? 何の?」


 いきなり指名されて、何のことやら分からずにぽかんとする。エミールもティグリスおじさんも、二人して意味ありげに笑っていた。


 とっさに隣を見たら、セルジュも訳が分かっていないようだった。良かった、仲間がいた。


 エミールは笑いをこらえながら、それでも澄ました顔で答える。


「はい、君ですよ。この計画がうまくいくかは、君の演技力にかかっていますから」


「みなが慕い、そしておそれ敬う、そんな聖女にならなくてはいかんのう、リュシアン。人前だけでも」


「ティグリス殿のおっしゃる通りです。この乱れた世を憐れみ降り立った、慈悲深き神の御使い……みながそう信じて疑わない、そんな存在としてふるまっていただきたいのです」


 私は、みんなの力になりたいと思った。イグリーズの町のみんなやエミール、それにセルジュを守りたいと思った。そのために、やれることをやろうとも思った。


 でもちょっと、聖女らしく演技をするっていうのは……うん、恥ずかしい。


 というか、慈悲深き神の御使いって……自分がそう呼ばれるって……想像しただけでむずむずするんだけど……。


 ううん、でもこうして私がリュシアンとしてふるまっているのも演技のようなものなのだし、やろうと思えばできるかも? 


 うなりながら、もう少し具体的に想像してみる。どんな感じになるのだろうか、と。


 ずらりと並んだレシタルの軍勢、その前に一人立ちふさがる私。


 悲しげにたたずみながら「私は聖女、偉大なる神より遣わされし者です。神は戦いを望んではおられません、どうか剣を引いてください」とか何とか、そんな感じの言葉を朗々と語る私。


 悔い改めながら、剣を捨てひれ伏す軍勢……あ、気持ち悪くて鳥肌が立った。


 やっぱり逃げちゃおうかな。そう思った次の瞬間、エミールにしっかりと腕を握られていた。見た目より力が強い。


「安心してください、どのようにふるまえばいいのか、丁寧に教えますから」


 エミールがにっこりと笑っているのが、また怖い。彼の肩越しに見えるティグリスおじさんは楽しそうに微笑んでいるし、セルジュはなんだかあきらめたような顔だ。


「リュシアンは物覚えがよいからの、聖女の演技もきっとすぐに覚えるじゃろうて」


「……何というか、かける言葉が見つからない。その……頑張れ、としか」


 誰か助けて。私は心の中でそんなことを叫びながら、うつろな目でエミールに引っ張られていったのだった。




 それから連日、私はひたすらに演技の練習を続けていた。


 まずは、聖女の人物像をしっかりと固めることから。そうしておかないと、何かの拍子についうっかりぼろが出てしまいかねない。


 マリオットの家や、イグリーズの町に伝わる聖女の伝承を元に、それらしい設定を固めていく。この作業は、エミールと一緒に行った。


 何一つ不自由なく暮らしていた青年が、神の導きによりマリオットのもとに導かれ、苦しむ人々を救うために立ち上がった。民が心安らかに、幸せに暮らせる世を作るため、神より授かりし力で様々な奇跡をもたらしていく。


 だいたい、そんな感じの設定になった。父を巻き込むと話がややこしくなりそうなので、私がリュシエンヌ・バルニエであることは伏せておく。


 ちなみに父は、さっさとレシタル王に忠誠を誓い、そのまま引きこもっているとか。父と直接顔を合わせるのだけは避けたかったので、この状況はまあまあ悪くなかった。


 それからその聖女像にふさわしい口調、仕草、表情を研究、練習していく。『聖女』という別の人格を作り上げていくというか、新しく仮面を作り上げるというか、そんな感じだ。


 そして聖女としての立ち居ふるまいに慣れてきたら、今度はまたエミール相手に練習だ。


 私が実際に聖女として活動を始めるようになったら、様々な相手と言葉を交わすことになるだろう。それに備えた、色んなやり取りの練習だ。


 とにかく、毎日が忙しかった。しかし忙しいのは私やエミールだけでなく、セルジュもだった。彼は彼で、エミールを手伝ってマリオットの軍の編成やら何やらにかかりっきりになっていたのだ。


 運が良ければ、夕食時だけは顔を合わせられる。それくらいに、私たちはそれぞれの作業にかかりっきりになっていたのだ。


 そのせいで、このところセルジュとほとんど話ができていなかった。そのことが寂しいな、と思うと同時に、ちょっとほっとしている自分もいた。


 ソナートに向かう途中、レシタル王国軍に襲われたあの時。セルジュはもはやここまでと観念したのか、何と愛の告白をしてきたのだった。


 もし生きて戻れたら頼みがあるとも言っていた。そいて私たちは、誰一人欠けることなくマリオットの屋敷に帰り着いていた。


 けれど私たちは、あれ以来その時の話をしていない。


 私のほうからその話を蒸し返す勇気が、どうにも出なかったのだ。セルジュがどう考えているのかは、分からない。


「どうしたリュシアン、浮かない顔じゃの。さすがに疲れたか?」


「あ、ティグリスおじさん」


 マリオットの屋敷の中庭のベンチに腰かけて、一人でぼうっとしながら休憩していたら、ティグリスおじさんが声をかけてきた。


 おじさんは、今もここマリオットの屋敷に留まってくれていた。


 せっかく再会できたのじゃし、リュシアンの力になってやりたい。それにこうも世が乱れてしまっては、のんびり狩りをしながら旅をすることすら難しいでな。


 そう言って、おじさんは私たちに力を貸してくれることになったのだ。もちろん私たちは、みんなおじさんのことを大歓迎していた。


「疲れたというか……ちょっと悩んでることがあって」


 そうつぶやくと、おじさんは私の隣に腰を下ろした。何も言わずに、ふわふわの白い髪とひげを風になびかせている。


 八年前、私たちが初めて会った時から変わらない、穏やかでゆったりとした時間が流れる。こわばっていた肩から力が抜けて、自然と言葉が出てくる。


「……男の人ってさ、その場の勢いで心にもないことを言えちゃったりするものなのかな? その…………好きだとか何だとか、そんな感じのこと」


 私の問いに、おじさんはすぐに答えない。水色の目を優しく細めて、同じ色の空を眺めていた。


「そうじゃなあ。男にも色々おるでの。リュシアン、お主はどう思う?」


「ああ、ええっと」


 セルジュの姿が、ぱっと頭に浮かんだ。目つきがやけに鋭くて、でも町の人たちにとても慕われていて、不器用でまっすぐで、からかうと面白くて、あとものすごく女性が苦手で。


「……心にもないことを言って女心をもてあそぶような男だったら、とっくに殴ってる」


「ほっほ、お主のそういうところは相変わらずじゃのう。しかしどうやら、まだ殴ってはおらんようじゃな」


「……うん。……やっぱり、何か事情があるんだよね」


 さっきから私は、おかしくなるくらいに話をぼかしている。あの時のセルジュの告白を聞いていないおじさんには、何のことやらさっぱりだろう。


 でもおじさんは、落ち着き払った様子でのんびりと話している。


 昔からおじさんはこうだった。ただ静かに私の悩みを聞いてくれて、私が自分で答えにたどり着くのを待っていてくれる。


 ……ティグリスおじさんは獣人族で、人間よりもずっと目や耳がいいという話だったし、もしかしたらあの時の私たちの会話を聞いていたのかもしれない。


 そんな可能性がふと胸をよぎったけれど、そのことには気づかなかったことにする。あれを聞かれていたなんて、恥ずかしすぎる。


「そうじゃ。一つ、面白いことを教えてやろうかの」


 一生懸命平常心を保とうとしている私に、おじさんはいつも通りの声で語りかけてくる。


「男というものは、とかく不器用な者が多くてな。おまけに、何かとのめり込んで熱中しがちじゃ」


「それ、分かる気がする」


「何かやらねばならぬことが立ちふさがっておると、それに取り組むので手いっぱいになってしまうことも多くてのう。ついうっかり、他のことを忘れてしまったり、後回しにしてしまったり」


 やけにしみじみと、おじさんは語っている。と、急に口ごもった。


「……死んだばあさんも、よくわしに説教しておったよ。仕事が忙しくてばあさんの誕生日を忘れてしまった時は、十日も口をきいてもらえんかった」


「奥さんの誕生日を忘れたら、それも当然だと思う……というか、本当にそんな大切なものを忘れてたの?」


「娘にも全く同じことを言われたわい。わしも反省して、それからは何があろうと忘れんように、愛用のナイフの柄に日付を刻んだのじゃ」


 そう言っておじさんは、腰に提げたナイフの柄を見せてくる。とても古くてかすれているけれど、確かに日付が読み取れた。


「リュシアン、お主が何にやきもきしているのか、具体的なところは分からん。が、おおよその見当はついておるよ」


 おじさんが、こちらに向き直った。こちらの心を温めてくれるような、ふわふわの柔らかい笑みを浮かべて。


「もう少しだけ、あやつに時間をやってはくれんかのう。今あやつは、大きなものに立ち向かっておるのじゃ。普通の人間であれば、一生に一度直面するかどうかといったほど大きなものと」


 誰のことを話しているのか、おじさんは明言しない。でも私には、それがセルジュのことだと分かっていた。だから顔を引きしめて、こくりとうなずく。


 ところがおじさんは、そこでにやりと笑った。おじさんにしては、珍しい表情だ。


「……それにのう。心配せんでも、あやつはお主しか見ておらんよ。放っておいても、そのうち何とかなる」


「お、おじさん! 何の話だよ、いきなり!」


 どうやらからかわれているらしい、そう思ったとたん、また一気に恥ずかしくなった。照れ隠しに、そうやってとぼける。


「ほっほ、若いのう。初めて会った時はまだ子供だったお主が、一人前になって……」


「だから、何の話なんだってば!」


 そう答えつつも、胸がくすぐったかった。セルジュは私だけを見ている、そう言われたことが嬉しくて。


 私、こんなに単純だったかな。というかついこの間まで、恋愛にも結婚にも興味ない! って断言してたのに。


 ともかくも、ずっと抱えていたもやもやは消え去った。やっぱり、ティグリスおじさんは頼りになるなあ。


 よし、気を取り直して頑張ろう。連合国のこととかレシタル王国のこととか、そういったことが全部片付いたら、またセルジュとゆっくりお喋りをする時間も取れる。その時を楽しみにしながら。


 空と同じ色のおじさんの目は、そんな私をやはり優しく見守ってくれていた。

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