44.新たな国の形
「……ああ……疲れた……まさか、こんなことになるとは」
帰りの馬車で、セルジュが疲れたようにつぶやいた。今私たちは、来た道を戻っているところだった。
お母様たちが連れていたソナートの騎士と兵士の一部が、私たちと一緒に来てくれている。一糸乱れぬ隊列を組んで馬を走らせている様は、何とも頼もしい。あと、かっこいい。
それにもちろん、ティグリスおじさんもいる。行きと同じように、隊列の先頭に立っている。
ソナートの人たちは、老狩人にしか見えないおじさんがこの一行に加わっていることを不思議に思っているようだった。
けれど、行きに助けられた兵士や使者たちが「彼は素晴らしく強いんだ」と口々に言ったら、一応は納得したようだった。
そしてセルジュは馬車に乗るなり、こうやってぼやきっぱなしだった。
さっきの白銀の大樹のところでのあれこれは、彼にはちょっと刺激が強かったらしい。お母様とか、お母様の提案とか、あとやっぱりお母様とかが。
「聖女を連れていく代わりに、ソナートとの同盟と支援を約束してもらう。そのための旅だったはずだが……」
「そうだね。ルイに会えて良かった……」
「いざ約束の場所についてみれば、相手方の交渉役はソナートの王妃だし、おまけに王太子までついてきているし」
「ルイ、可愛かったなあ……」
「聖女の力を示すこともでき、同盟と支援も取りつけることができた。無事に目的を果たせて安心していたら、王妃がとんでもないことを言い出すし」
「あの時のルイのびっくりした顔も、可愛かったよね」
「……お前の度胸と型破りっぷりは、母親譲りだったんだな。お前の性格は、噂に聞くバルニエ伯爵の人となりとはあまりにかけ離れていて、不思議だったんだが……納得した」
「でもルイは、僕やお母様よりまともそうだった……いい王様になるね、きっと」
そんなことをつぶやいていたら、セルジュがこちらをちらりと見た。あきれたように首を横に振っている。
「お前はお前で、さっきからルイ王子のことばかりだな。確かにあの少年が愛らしかったのは事実だが。父親が違うとは思えないほど、お前とよく似ていたしな」
「だよね!? それにあの子、君のことも『兄様』って呼びたがってたよね。どうして断っちゃったの?」
「それはもちろん、おそれ多いからに決まってるだろう」
「どうして? 君は独立国マリオットの王子様で、ルイはソナートの王太子。似たようなものじゃないか。兄様っていったって、要するに親愛の情を表したいだけなんだし」
「いや、似たようなものというにはあまりにも……お前、意外とざっくりしてるんだな。……ああ、ところで、さっきのソナート王妃の話だが」
あきれたように天を仰いでいたセルジュが、ふとこちらに向き直る。さっきまでとは違う、真剣な表情だ。
「聖女の加護をちらつかせ、周囲の貴族たちをそそのかして独立させ、連合国としてまとめあげる。父さんに細かく計画を練ってもらえば、十分に実行可能な策だとは思う。ただ」
そこで彼は言葉を切る。濃い緑色の目が、まっすぐに私の目を見つめていた。
「その連合国を結成するにあたって、お前の負担はとても大きいものになる。……だがお前は、元々マリオットの人間ではない。聖女としてマリオットに留まってもらうよう頼みはしたが……このままでは、お前は一段と不自由を強いられることになる」
吹き付ける風が、彼の赤い髪を乱す。目にかかった髪を払いのけようともせずに、彼は続けた。
「お前は、自由になるために父さんとの結婚から逃げた。そこまでして自由を求めるお前を、これ以上不自由にさせてしまうのは、忍びない……それに、お前がそこまでマリオットに手を貸す理由もない。だから」
「あるよ。理由なら」
セルジュの言葉を途中でさえぎって、きっぱりと答える。
「僕はマリオットを守りたい。そこに暮らすみんなを守りたい。君とイグリーズの町でのんびりできる、そんな暮らしを守りたいんだ。そして僕には、そのための力がある。使わない手はないよ」
「だが、そうするとお前は、聖女として表舞台に立つことになるぞ。もしかすると、他の町でも顔を覚えられてしまうことになるかもしれない。そうなれば、もう自由気ままな旅など……」
「覚悟の上。多少不自由になっても構わない。ここで逃げたら、一生後悔する。僕にはそれが分かっているから」
自信たっぷりにそう答えながらも、私は理由を一つだけ隠していた。
セルジュを守りたい。ここで私が逃げたら、彼はきっと無事では済まない。
ソナートという後ろ盾を得たところで、マリオットがこれからも多くの危機にさらされ続けることに変わりはない。
これまでのレシタル王のやり口からすると、ソナートとの関係がさらに悪くなることもお構いなしに、マリオットを大軍勢で攻め落とそうとすることだって考えられる。イグリーズが戦場になる、それも十分にありそうなことのように思えた。
そうなった時、エミールは今後のことを考えて一時撤退することができる。未来のために、多少の被害をこらえることができる。見捨てることができる。彼は苦悩しながらも、最終的な勝利と安定のために動ける人だ。
でもセルジュは、何があろうと逃げないだろう。戦略的に間違っていると、無駄なことだと分かっていても、それでも彼は一人でも多くの民を守り、無事に逃がそうとするだろう。彼にとって、彼自身の安全は二の次だ。
そんなセルジュを守るためには、聖女としての力を存分に使うしかないのだ。決して、彼が危地に陥ることのないように。もう、腹はくくった。
「まあ、そういう訳だから気にしないで。大暴れっていうのも、いっそ楽しそうだし」
けれど私の本心を知ったら、彼はもっと気に病むかもしれない。自分のせいで、私までもが危険に首を突っ込むのだと知ったら。
だから、あえていつも通りに明るく言い放った。気づかれないといいなと、そう思いながら。
そんな風に守りが厳重になったこともあって、帰りは何事もなくイグリーズまで戻ってくることができた。
ソナートの騎士や兵士たちと、あとティグリスおじさんの全員で、そのままマリオットの屋敷に入っていく。
騎士や兵士たちの応対は執事たちに任せて、私とセルジュはティグリスおじさんと一緒に、エミールの執務室に向かっていった。
珍しくも、エミールはいつになく心配そうな顔をしていた。私たちの無事な顔を見て、ようやく彼はほっとしたように微笑んでいる。
そんな彼に、ティグリスおじさんを紹介する。前に話した、僕の恩人である狩人です、彼にまた助けられました、と。
そしてティグリスおじさんに、エミールを紹介する。今僕は、こちらのエミールさんのお世話になっているんだよ。そして彼も、守りたい人の一人なんだ、と。
エミールとティグリスおじさんが、和やかな空気の中で握手を交わす。そんなこんなで顔合わせを終えて、今までのことをエミールに説明していく。
私たちが行きに襲撃を受けたことを話したら、彼は顔をぐっと引き締めた。元々眼光の鋭い人なので、そんな顔をするととっても悲壮感が漂ってしまう。
「……ティグリス殿、どうやらあなたにはきちんとお礼を言わねばならないようですね。私の息子と客人、それに部下たちを救ってくれてありがとうございます」
「なあに、わしにとってもこのリュシアンは孫みたいなものじゃからの。気になさらんでくれ」
一方のティグリスおじさんは、いつも通りに朗らかだ。その笑顔に、エミールの顔もちょっと緩む。見た目も性格もまるで違う二人だけど、案外気が合いそうな気がしなくもない。
どうせならティグリスおじさんも、ここに滞在してくれないかなあ。戦力として心強いというのもあるけれど、やっと再会できたのだから、どうせならもうちょっと一緒にいてほしい。
そんなことを考えていたら、セルジュが一歩進み出た。
「……父さん。隣国の王妃から、とある提案を受けたんだが……」
そうして彼は、お母様が話した内容をエミールに伝えている。エミールは最初眉をひそめていたけれど、やがて深々と息を吐いた。
「やはり、それしかありませんか……私も、その案を思いつきはしました。ですがあまりにも、リュシアン君に負担を強いてしまいますので……」
「僕は構いません。やらせてください。ソナートとマリオットが友好関係となった、その知らせが広まれば、他の貴族たちも動揺すると思うんです。動くなら、今が好機だと思うんです」
ためらうエミールに、力強くそう言い放つ。私は彼のように戦略とか戦術とかそういうのを練ることはできないけれど、今がチャンスなのだということは何となく分かる。もたもたしていてはいけない。
「そう、ですか……分かりました。ならば、まずは友好的な貴族たちに広く声をかけ、同時に中立的な貴族を説得していきましょう。……グノー殿は、早めに引き入れておきたいところですね」
エミールはあごに手を当てて考え込みながら、独り言のようにつぶやいている。色んな貴族の名前が、次々と飛び出してきた。
レシタル王国にいる貴族たちの性格、力量まで、その全てがエミールの頭には入っているようだった。今現在、それぞれがどのような態度を取っているかも。
それらを踏まえて、彼は連合国を結成する手順を練っているらしい。私をどう動かすかまで踏まえて。
しばらくしてエミールは、私たちを執務室のすぐ奥の部屋に連れていった。大きな机が置かれたそこは、彼が集中して書き物をしたい時なんかに引きこもる部屋らしい。
「では、現在の状況を説明しましょう。これを使えば、分かりやすいでしょう」
そんなことを言いながら、彼はレシタル王国とその周辺の大きな地図を部屋の大机に広げた。それから、その上に次々と駒を置いていく。ちょうど、陣取りゲームをしている時のように。
友好的な貴族の駒、中立的な貴族の駒、敵対的な貴族の駒。それらが地図の上にずらりと並べられる。さらに聖女の力が使えるのではないかとエミールがにらんでいる場所に、別の駒が置かれた。
それから彼は、先ほど考えたらしい計画を説明し始めた。私たちは自然と、その話に引き込まれていた。
「ひとまず、こんなところでしょうか……みなさんは、どう思いますか?」
「何だか、まだ実感がわかないな……でも、これがうまくいけば……」
セルジュも地図を見つめて、呆然とつぶやいている。分かる、その気持ち。すっごく困難で、でも素敵な作戦だ、これ。
「しかし、これはリュシアンが相当頑張らなくてはなりませんなあ。あちこち動き回る必要もありますが、それだけではなく……」
ティグリスおじさんが、感心したようにつぶやいた。というか、面白がっているようにも思える。あれ、今ちらりとエミールのほうを見たような。
「ええ、そうですね。……そういう訳ですからリュシアン君、これから特訓ですよ」
エミールもまた、面白がっているような目でこちらを見ていた。