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41.予想外の再会

 国境まであと一歩というところで、王国兵たちに追いつかれてしまった私たち。セルジュは大きな剣を、私はナイフを手にして王国兵たちに向き直った。


 絶体絶命だけれど、必ず生き残ってやる。そう決意して、まさに敵と切り結ばんとしたその時、突然大きな白い影が割り込んできたのだ。私たちと、王国兵たちとの間に。


「と、虎だと!?」


「この辺りに虎が出るなど、聞いたことがないぞ!?」


 私とセルジュのすぐ目の前にいる、白くて大きな何か。それを見て、王国兵たちは悲鳴を上げた。すっかり腰が引けている。


 よく見ると、確かにそれは虎だった。しかもやけに大きいし、毛皮は白地に淡い茶色の縞だ。年を取っているのか多少毛艶が悪いようにも思えたけれど、身のこなしはとてもしなやかだった。


「……この隙に逃げるぞ」


 セルジュがじりじりと下がりながら、私の腕を引いてくる。


 虎はこちらに背を向けて、王国兵たちをじっと見つめているようだった。虎を刺激しないように下がれば、王国兵たちから逃げ切れるかもしれない。


 しかし次の瞬間、全く予想もしていなかったことが起こった。


 白い虎は大きな腕を振り上げると、王国兵たちをまとめて横になぎ払ったのだ。ちょうど、猫がおもちゃで遊んでいるような、軽い動きで。


 でも何といっても、大きさが猫とはけた違いだ。王国兵は五人まとめて派手に吹っ飛び、地面に倒れ伏してしまった。


 うめいているし動いているから死んではいないようだけど、骨くらいは折れているかもしれない。ものすごく痛そうだ。


 あまりのことにぽかんとしている私たちのほうに、白い虎がゆっくりと振り返る。セルジュが私をかばい、剣を構えた。その背中がこわばっている。


 でも私は、なぜか怖いと思えなかった。白くてふわふわの毛、底知れぬ深さを感じさせる水色の目。それは私の知っている大切な人物を、強く思い起こさせるものだったから。


「……ティグリスおじさん……?」


 そんなはずはない。でも、そう呼びかけずにはいられなかった。


 と、虎がみるみるうちに縮んでいった。その後に立っていたのは、白くてふわふわのたっぷりとしたひげを蓄えた、小柄な老人。


「久しぶりじゃな、リュシエンヌ。いや、今はリュシアンじゃったかの」


 人が虎になった。しかも、ずっと会いたいなって思っていたティグリスおじさんに。


 とっても嬉しい。でも、訳が分からない。おじさんって何者なのだろう。それはそうとして、おじさんが虎って、ぴったりだと思う。


 あ、それよりも今は、まだ戦いの最中だったんだ。ええと、何から話して、何から聞けばいいのかな。


 すっかり混乱していると、隣からやはり戸惑ったセルジュの声がした。


「ティグリス殿……といったか。助力、感謝する。あなたはリュシアンの恩人だと聞いているが、どうしてこんなところに……」


 丁寧な態度で問いかけるセルジュに、ティグリスおじさんはふっくらとした頬をきゅっと持ち上げて笑った。


「それについては、後程説明するとしよう。それよりも、お主の仲間がまだあちらで戦っとるんじゃろう? お主らに加勢したいんじゃが、どれがお主たちの敵で、どれが味方なのかのう」


 のんびりとしたおじさんの態度に、ようやく私の落ち着きも戻ってきた。倒れている王国兵たちを指さして、手短に説明する。


「そこの人たちと同じ鎧を着ているのが王国兵。彼らは全部敵。そうじゃないのはみんな味方だよ。マリオットと、ソナートの人たち」


「うむ。簡潔でよいのう。それではあちらを、早く片付けてしまおうか」


 そうして、ティグリスおじさんは私たちが走ってきたほうへと駆け出す。そちらからは、まだ戦いの喧騒が聞こえてきていた。あわてて、私とセルジュも後を追いかける。


 ティグリスおじさんの後ろ姿が、ふわりと形を変える。また白い虎になったティグリスおじさんは、ものすごい勢いで森の中に突っ込んでいった。やがてそちらから、恐怖の叫び声が上がり始める。


 そうして私とセルジュがみんなのところに戻ってきた時には、もう戦いは終わってしまっていた。


 ぼろぼろになって戦意喪失している王国兵、恐怖と戸惑いで何も言えなくなっている味方たち。そしてゆったりと立って微笑んでいるティグリスおじさん。


 さて、この王国兵たちはどうしよう。みんなで視線を見かわしていると、王国兵たちは互いにかばいあうようにしながら、ほうほうの体で逃げ帰っていった。


 私たちはそれを追うことなく、ただ見送った。


 彼らはいずれ、援軍を連れてきてしまうかもしれない。でもティグリスおじさんによれば、もうこの辺りには兵士はひそんでいないとのことだった。援軍が来るとしても、かなり先のことになるだろう。


 その前に国境を越えてソナート王国領に入ってしまえば、もうレシタルの王国軍は手出しができない。


 そして帰りは、ソナートの兵士たちが多数同行してくれることになっている。きっちりと同盟を結んでしまえば、もう堂々と互いの領地を行き来することもできるからだ。


 途中よその領地を通るにしても、マリオットの客人ですので、と言えばいい。そういう決まりだ。どんな貴族も王も、このしきたりには従うことになっている。


 だから、帰りの心配はしなくてもいい。とにかく一刻も早く国境を越えて、目的地にたどり着いてしまおう。ティグリスおじさんのおかげで、もう敵はいないし。


 王国兵が全て撤退したのを見届けてから、手分けして味方の傷の応急処置を始める。無傷なのは私とティグリスおじさんだけだったけれど、幸い重傷の者はいなかった。


「……それにしても、おじさんとまた会えるとは思わなかった。突然いなくなっちゃうから、寂しかったよ」


 みなが手当てにばたばたしている中、こっそりとティグリスおじさんに声をかける。


「すまんのう。じゃが、一介の狩人に過ぎんわしが、いつまでもお主のそばにいるのはあまりよくないと、そう思ってのう。お主はいずれ、貴族の娘としてどこかに嫁ぎ、幸せになる身なのじゃから」


「あいにくと、そうやって決まった結婚からは、全力で逃げたけどね。おじさんに教わったあれこれを、これでもかってくらいに活用して」


「ふむ、それは喜んでいいのか、少し悩むのう」


「感謝してるんだよ。おじさんのおかげで、僕はただ押しつけられるだけの人生から抜け出せた。……あの、ところでさ」


 声をひそめて、おじさんの耳元でささやく。


「……おじさんって、結局何者? どうして、また僕の前に現れたの? とっても嬉しかったけど」


「ほっほ、そう焦るでない。わしは獣人族と呼ばれる珍しい種族でな、人と獣、二つの姿を持つのじゃ」


 そういった種族が存在しているのだということを、昔何かの本で読んだことはある。できることなら、いつか会ってみたいなとも思っていた。


 でもそれがまさか、こんなに近くにいたなんて。ほんと、偶然って恐ろしい。


「妻に先立たれてからは、一人であちこちをぶらぶらしておった。お主と出会ったのも、そんな旅の途中じゃった。そしてお主のもとを去ってからも、ずっと旅をしておったんじゃ。そうして王都を観光していた時に、イグリーズの町に聖女が現れたという噂を聞いてなあ」


「噂、結構広まってたんだね……」


「うむ。それで、こっそりと聖女を見にいったのじゃ。マリオットの屋敷の離れにおると聞いたからの。で、顔を見て驚いた。何とまあ、リュシエンヌではないか、と」


「え、おじさん、あの離れに来てたの!? 気づかなかった……」


「わしがお主に気配を悟られるようなへまをするはずがなかろう。わしはお主の師匠じゃぞ」


 おじさんが思ったよりも好奇心旺盛なことに驚いたし、私に気づかれずに顔を見てまた帰っていたことにも驚いた。


 思い出の中のおじさんは、もうちょっと物静かな、神秘的な人だったのに。うっかり美化しちゃってたかな。


「それからずっと、わしはイグリーズにおったのじゃ。どうしてお主が男としてこんなとこにおるのか、なんでまた聖女なんてことになっとるのか、謎だらけじゃったからのう」


「え、でも町では一度も見なかったけど」


「隠れとったんじゃ。聖女様と知り合いだと知れたら、面倒なことになりそうじゃったしのう。そうしたら、お主たちがやけに切羽詰まった様子で町を出ていった。はて何があったのじゃろうかと気になったので、こっそりと後をつけておったのじゃよ」


「そっか。……ほんと、ありがとう。僕たちがこうしていられるのは、おじさんのおかげだね」


 その時、セルジュが歩み寄ってきた。腕や胸に包帯を巻いているのが痛々しい。


「リュシアン、そろそろ出発するぞ。ティグリス殿はどうされるのだろうか?」


「わしもお供させてもらってもよいかの? わしにとってこのリュシアンは、孫のようなものじゃからの。安全になったと思えるまでは、守ってやりたい」


 その言葉を聞いて、セルジュがほっとした顔をした。彼の背後では、味方の兵士たちがあからさまにほっとしている。気持ちは分かる。ティグリスおじさん、めちゃくちゃ強かったし。


 おじさんは兵士たちの馬を一頭借りて、隊列の先頭を進むことになった。虎の姿で歩けば、そこらの馬より速く走れるらしいのだけれど、尋常ではなく目立ってしまう。


 それに獣人族というだけあって、おじさんは普通の人間より耳も鼻も利くのだとか。もしまた兵が伏せられていても、私たちよりずっと早く気づけるらしい。


 だから人の姿でいても、わしは役に立ちますぞとおじさんは胸を張っていた。


 そうして、私たちの隊列はまた国境を目指して進み出した。私たちも、また二人で馬車に乗る。けれどさっきまでとは違い、私たちはどちらも完全に黙ったままだった。


 理由は簡単だ。さっき敵の兵士に追われている時に、観念したセルジュが口走ったあれこれ。恋心がどうだ、お願いがどうだといったあれ。


 おそらく彼は、今さらながらに恥ずかしくなっているのだと思う。そっぽを向いたまま、赤い髪を風になびかせている。


 私としても、どう声をかけたらいいか分からなかった。あの時は彼に生きることをあきらめてほしくなかったから、後で聞くよと言ったのだけれど。


 でもここで、じゃあ聞かせて? と言い出せるほど、私も図太くはない。


 …………本当は、聞きたい。彼が私に、何を望んでいるのか。彼は本当に、私に恋心を抱いているのか。


 私は彼とぎこちなくなるのが嫌で、ずっとリュシエンヌではなくリュシアンのままでいた。私は彼を、大切な友人のようなものだと思っていた。


 でもさっきの騒動で、気づいてしまった。私もまた、彼のことを多少なりとも男性として意識してしまっていたのだと。


 ここからどうしよう。いつものように、リュシアンとして軽く話しかけてみようかな。そうしてさっきのことを、なかったことにしてしまおうかな。私はまだ、自分の感情にきちんと向き合う覚悟ができていないし。


 迷っていたら、かすかなうなり声がした。隣のセルジュが、何やらうめいている。


「……セルジュ? どこか、痛むの?」


 返事はない。気まずくてうつむくと、私がかぶっているヴェールが風で大きく舞い上がった。彼の姿が、見えなくなる。


「……帰ったら」


 きらきらしたヴェールの向こうから、静かな声がした。


「……マリオットの屋敷に、帰ったら」


 その声がほんの少し震えているように思えたのは、気のせいではなかった。


「その時に、話す」


 それきり、彼はまた黙ってしまった。私も何も言わずに、ただ風に吹かれていた。


 嬉しいような、落ち着かないような、そんな気分を抱えて。

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