39.ソナートを目指して
それからしばらくして、ソナートの使者がマリオットの屋敷を訪ねてきた。以前やってきたレシタル王宮の使者と比べると遥かに質素な馬車だったし、連れている兵士の数も少ない。
「ようこそ、イグリーズの町へ。遠路はるばるご足労いただき、感謝の念にたえません」
使者たちに対して、エミールがとても礼儀正しく頭を下げる。その背中を見ながら、私はセルジュと共に首をかしげていた。
ねえセルジュ、一国の使者にしては、人数がやけに少なくない? 普通、この倍くらいはいるよね。
俺もそう思う。何かあったのだろうか。まさか、ソナートの王は俺たちのことをよく思っていない、とか?
だとしても、たぶんお母様がどうにかしてくれたとは思うけど……。
視線だけで、こっそりとそんな会話を交わす。それに気づいたらしい使者――ふっくらとした中年男性で、好感の持てるおっとりとした雰囲気の人だ――がにっこりと笑った。
「私たちの人数が気になっておられるようですね。これくらい少ないほうが、素早く動けるのですよ。下手に大勢で動いてレシタルの方々を刺激しては大変ですし、それに今回は急ぎの案件ですから」
なるほど、そういう訳だったのか。ようやく納得したその時、エミールがこちらに歩み寄ってくる。さっき使者から手渡された書状を、私に向けて差し出しながら。
「君には目を通しておいてもらったほうがいいでしょう。セルジュ、お前も」
書状を受け取って、セルジュと二人でのぞき込む。そこに書いてあった文言を見て、二人同時に驚きの声を上げた。
『我がソナート王国は、レシタル王国より独立したマリオット領を新たな国として認め、今後国交を持っていきたいと考えている』
『ただ、一つだけ条件をつけたい。マリオット領、イグリーズの町に現れたという聖女の力がいかなるものなのか確かめたい。そのためにも、一度我が国に聖女を遣わしてくれ』
『そうしてくれれば、私たちはマリオット国との同盟と支援を約束しよう』
お母様、どうにかするって……確かに、大国である隣国ソナートが後ろ盾になってくれれば、マリオット領、というかマリオット国の立場も一気に上がるとは思うけど。
我が母ながら、思い切ったことをするものだ。国交とかそういったことには詳しくないけれど、これがかなりの特別扱いだということだけは分かる。
ありがたいけれど、ちょっと恐ろしい。黙り込んだ私たちに、使者はおっとりと話しかけてきた。
「聖女は、聖なる場所、人の信仰を集めた場所でのみ力を使えると、王妃様からそのようにうかがっております。この書状で指定した場所は、ソナートとレシタルの国境にほど近い、いにしえより聖地としてまつられてきた場所なのですよ」
「……ええと、そこで僕の力を見せればいいのかな?」
「はい。もし不発に終わったとしても、あなたを遣わしてくれた誠意に応え、マリオットの力になると、そう陛下はおっしゃっておられました」
どうやら、思ったよりは楽な条件だ。つまり私が国境を越えてその聖地に行き、力を使えるか試してみればいいだけの話なのだから。
エミールと目を合わせて、力強くうなずく。次にやることは、決まった。
私はその日のうちに、イグリーズの町を出た。状況がこれ以上悪いほうに動いてしまわないうちに、一刻も早くソナートの協力を取りつけてしまいたかったから。
ソナートの使者たちは、できるだけこっそりとここまで来ている。けれど、レシクル王国側にこの動きがかぎつけられていないとは限らない。そうなったら、どんな横やりが入るか分かったものではない。
いつものように、聖女の衣装をきっちりと着込んで馬車に揺られる。乗っているのは、マリオットの屋敷にある中で一番速い馬車だ。
速度を優先させたので、普段貴族が乗る箱形の馬車ではなく、座席に車輪とほろを付けただけの馬車になった。とても開放的な、周りがよく見える形のものだ。連れている兵士も、ほんの数名。
セルジュも、護衛がいるだろうと言いながらついてきてくれた。
行って、力を使って、戻ってくるだけ。比較的楽そうな旅ではあるけれど、それでもやはり心細いのは事実だった。だから、彼がいてくれるのはありがたかった。
もし私がしくじっても、お母様はどうにかして力を貸してくれるだろう。でも、表立って動きにくくはなる。国と国の約束を、果たせなかったことになるのだから。
だから、頑張らないと。聖女らしいところ、ちゃんと見せないと。
前を行くソナートの馬車を見すえて、ぐっと唇を引き結ぶ。と、隣のセルジュがぼそりとつぶやいた。
「しかし、お前の母親がソナートの王妃とはな。お前はレシタル王国の伯爵令嬢で、しかもソナート王国の王妃の娘……きちんと説明してもらったというのに、やはり訳が分からん」
お母様と話して、ソナートの協力が得られそうだということになった時に、私はお母様のことをセルジュとエミールに洗いざらいぶちまけた。
父とお母様との間に何があったのかについて、そして私とお母様が何年も連絡を取り合っていたことも。
もう今さら、隠しておくようなことでもないと思ったから。それに、二人のことは信頼できると思っていたから。
私の打ち明け話にセルジュは大いにうろたえていたし、さすがのエミールも目を見張っていた。「君といると、驚くことばかりですね」などと言いながら。
その時のことを思い出しながら、苦笑交じりに答える。
「うん、僕も初めてそのことを知った時は死ぬほど驚いたから。母さんからの手紙を抱えて、思わず屋敷から飛び出してしまうくらいに。……そうして、ティグリスおじさんと出会ったんだけどね」
「そしてそのティグリス殿に学んだ技術を活用して、婚礼から逃げおおせた、か……人と人の縁というのは、不思議なものだな」
「そうだね。それに僕って、普通に生きられない星のもとに生まれてるのかもしれないって思う」
そんなことを話しているうちに、肩に入ってしまっていた力がようやく抜けてきた。彼が来てくれてよかった、と思いながら、ほっと息を吐く。
「……そういえば、ずっと気になっていたんだが」
ふと、セルジュが何かに気づいたような顔をしてこちらを見た。
「お前、その口調のままでいいのか? その、いつまでも男装……今の姿を男装と言っていいのかは悩むところだが……のままで」
「そうだなあ……母さんは僕が男のふりをしていることは知ってるし、最近ではもうこっちのほうがしっくりくるくらいなんだよね。聖女っぽくふるまう必要が出たら、女言葉に変えるかもしれないけど」
そう答えて、それからいたずらっぽく片目をつぶってみせる。うん、いつもの調子がさらに戻ってきたかも。
「それにさ、僕が女性としてふるまうと、セルジュがぎこちなくなっちゃうから。ろくに目も合わせてもらえないのは、ちょっとね」
「なっ……」
絶句しながら照れているセルジュが可愛くて、ついからかってしまう。元の口調で、ちょっとだけ。
「ふふっ、あなたって本当に女性慣れしてないわよね……そんなんじゃ、お嫁さんのあてもないんじゃない? ……私でよければ、どう? なんてね」
「!!」
あ、真っ赤になっちゃった。すごい、人間ってここまで赤くなれるんだ。
「ええっと……からかってごめん。今の、冗談だからさ」
「あ、いや、その、だな」
勢いよく首を横に振って、セルジュは声にならない声で何事かつぶやいている。
「冗談でなくてもいいというか、ああ、そうではなくてだな、俺は構わない、だから、その……」
「そうなのかそうじゃないのか、分からないってば」
私のちょっとした冗談にここまで動揺するなんて、面白いなあ。もっとも、これ以上からかうのはさすがに申し訳ない。
だから適当に話をそらして、ごく普通のお喋りをすることにした。彼はほっとした顔で、話に乗ってきた。その顔は、まだちょっと赤かったけれど。
隣国ソナートの使者と随行する兵士たち、それに私とセルジュ、マリオットの兵士たち。
馬車と馬は整列して、ひたすらに突き進んだ。途中野宿を挟みながら、国境を目指して。
この分なら、あと数時間で国境を越えられる。そうすればもう、レシクル側に妨害されることもない。
みんなの間に安堵の気持ちが広がったその時、それは起こった。
いきなり、馬のいななきが響き渡った。前を行くソナートの馬車が速度を落として止まる。
街道は細く、周囲は深い森だ。ソナートの馬車が道をふさぐ格好になっていて、その向こうはよく見えない。
何があったのだろうと、立ち上がって辺りを見渡そうとする。その時、私のすぐ目の前を矢がかすめていった。