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38.これからどうなるの?

 エミールの衝撃的な発言に、びっくりして何も言えない。


 思わずセルジュのほうを見たら、彼もまた呆然としていた。今、父さんは何て言った? と彼の顔には書いてある。その気持ち、分かる。私も自分の耳が信じられない。


 そんな私たちを置き去りにして、エミールは独り言のようにつぶやいている。


「まずはマリオット領の境界沿いに、もっと多くの守備兵を配置しなくてはなりませんね。先ほどの書状により王から離反しそうな領主と、連絡を取っておく必要も……」


「と、父さん!」


 やっとのことでセルジュが割り込む。目を見張っているエミールに、さらに問いかけた。


「独立するって、いったいどういうことなんだ!」


「そのままの話です。我がマリオットはレシタル王国から独立して、新たな小国となります。領地も十分な広さがありますし、農業などの産業も発達しています。問題なく国としてやっていけますよ」


 その言葉に、セルジュが少し考えるような顔をした。しかしまた、エミールに食ってかかっている。


「確かに、そうかもしれないが……何で突然、独立なんか」


「レシタル王は従属か敵対か選ぶよう言っています。私たちにとって従属とは、すなわち聖女を、リュシアン君を差し出すことを意味します。その条件だけは飲めません」


 わざわざ使者や王国軍を出してまで、聖女を捕らえようとしたのだ。レシタル王が聖女を、私を危険視していることに間違いはない。


「となると、残された道は敵対のみです。とはいえ、積極的に反乱を起こすつもりもありません。私たちはただマリオットの民と、そしてリュシアン君を守ることができればいいのです。ならば、独立するのが一番早いでしょう」


 もっともな理由に、私とセルジュは二人して黙り込んだ。思考も速いが決断も速い。エミールって、つくづくとんでもない人だ。


「ああそうでした。セルジュ、お前が率いている者たちも借りますよ。一度、ここに呼んでください。歓楽街にいるのでしたね?」


 その言葉に、さらに二人でぽかんとする。それってつまり、あのカゲロウの若者たちのことだ。


「父さん……知っていたのか、彼らのことを」


「町外れで若者たちが集まっているということ、私がつかんでいたのはそこまででした。具体的に知ったのは、リュシアン君が女性の姿で町に足しげく通い出してからですね。お前たちが若者たちを引き連れて、何やら鍛錬のようなものをしていると、そう配下の者から報告があったのです」


 目を細めてつぶやいたエミールが、にっこりと私たちに笑いかけた。


「国が乱れ民に不安が広がる中、私は何もせずただじっとしていた。きっとそのことが、彼らの不満を招いていたのでしょう。セルジュ、彼らの心をまとめてくれて、彼らが暴走しないよう止めてくれて、ありがとう」


「い、いや、それは……単に俺は、巻き込まれただけで……」


「それでも、助かりました。私は、動くべき時をただ待ち続けていました。でも、彼ら若者たちは待てなかった。そういうものです。それが若さというものですから。彼らは私たち年寄りにはない、熱情を抱いているのですよ」


 年寄りって。そう言うエミールもまだ四十歳前後だというのに。もっとも彼はとても落ち着いているから、実年齢よりもちょっと上に見えなくもない。


「今こそ、その熱意を存分に発散する時です。どうぞ、彼らにそう伝えてくださいね。それでは、私にはやることがありますので」


 いずれこうなるだろうと踏んである程度の準備はしてあったらしいけれど、いざ国として独立するとなると、さらにやることが増えてしまうらしい。


 ああ忙しいと言いながら、エミールはどこか浮かれた足取りで執務机に向かっていた。


 彼の邪魔をしないよう、そしてカゲロウのみんなにエミールの言葉を伝えに行くために、セルジュと二人一緒に執務室を出る。


「……父さん、こうする機会をうかがってたんだろうな」


「そんな気がする。で、今がまさに好機なんだろうね。あの書状のせいで、多くの貴族が悩んでいるだろうし。マリオットの独立は、いい揺さぶりになると思うよ」


「……まったく、越えなくてはならない壁が大きすぎる。本当に父さんは……」


「だから、別に越えなくてもいいと思うけど。親子だっていっても、別の人間なんだし」


「そうはいかないんだ」


 どうやら父と息子の間には、父と娘の関係とは違う、独特のややこしさがあるらしい。セルジュはあまり説明が上手ではないし、彼をつついていても答えは得られないだろう。


「まあ、それはさておき頑張ろうね」


 だから私は、彼の肩をぽんと叩いてそう言った。セルジュも笑って、そうだな、とうなずいてくれた。




 それからは、とても忙しかった。エミールとセルジュは独立に伴うあれこれにかかりきりになってしまった。


 正式にマリオット家の配下になった『カゲロウの叫び』の若者たちがあれこれと手伝ってくれたのはありがたかった。色々と鍛えておいてよかった、本当に。


 私は私で、イグリーズの人々の不安を取り除くのに忙しかった。毎日聖女の衣装をまとって、イグリーズの町を練り歩く。何だか祭りの出し物みたいな気分だなあと思いながらも、そうやって町の人々を励まして回ったのだ。


 私にしかできない仕事だと分かってはいたけれど、さすがに毎日これはちょっと疲れた。


 そんなこんなで、マリオットの内側はまあまあ安定していた。問題は、外側だった。


 マリオットに続き、独立を宣言する者もそれなりにいた。けれど、思ったよりも様子見に走った者が多いようだった。


 彼らはあの手この手で王への返事を保留して、状況に応じて、従属と独立、どちらでも好きな道を選べるように器用に立ち回っている。領民のことを思えば賢明なのかもしれないけれど、ちょっと卑怯だなとも思えてしまう。


 そして大変面倒臭いことに、マリオット領に隣接する貴族のほとんどは、様子見組に回ってしまっていたのだ。


 マリオットの領地はまるごと聖女の力で守られているからいいようなものの、周りが敵だらけになってしまったら大変だ。最悪、眠る敵兵で国境周りが埋め尽くされたりして。


「何かもう一押し、あればいいのですが。揺らいでいる周囲の貴族たちを、こちらに傾かせる何かが」


 エミールはこのところ、そう言って難しい顔をしていることが多くなっていた。元々目つきは鋭い人だけど、もうすっかり眉間のしわが癖になってしまっている。


 彼の執務室で書類仕事を手伝いながら、思っていたことを提案する。


「僕が他の貴族たちのところを訪ねて回りましょうか。他の領地にも教会くらいあるでしょうし、彼らの目の前で聖女印を発動させてみせれば、彼らの考えも変わるかもしれませんよ」


 向かいのソファに座って書類を整理していたセルジュが、すかさず口を挟んできた。


「駄目だ。そんな危険な役目をお前に負わせられない。お前はそもそも、マリオットの者ではないのだからな」


「今さら水臭いこと言わないでよ、セルジュ。それに聖女の力を見せつけてやれば、一番簡単に、手軽にびっくりさせられるよ? もしかしたら、ひれ伏して拝んでくるかも」


「……それはそうだが……やはり、危険なものは危険だ。駄目だ」


 二人でそんなことをわいわい言い合っていると、エミールが残念そうな顔で首を横に振った。


「セルジュの言う通りです。もし私が逆の立場であれば、教会に罠を仕掛けて聖女を捕らえ、それを手土産にレシタル王に尻尾を振るのが手っ取り早いと考えるかもしれません」


 もっともな指摘に、それ以上何も言い返せない。


「リュシアン君、君の提案は得るものも多いですが、とても危険な賭けになってしまうのです」


「いずれ嫌でも、お前の出番がやってくる。だから、それまでは待っていてくれ。お前の身に何かあったら大変だ」


 二人に口々にそんなことを言われてしまっては、私は引き下がるほかなかった。もどかしいものを考えながら、書類仕事に戻る。


 知らず知らずのうちに、ため息がもれていた。




 そうこうしているうちに、お母様とのお喋りの日がやってきた。しかし手鏡に映ったお母様は、私の顔を見るなり悲しげに眉を下げてしまった。


『どうしたの、リュシエンヌ。そんなに辛そうな顔をして。あなたらしくもない。何かあったの?』


 鏡の中のお母様と目を合わせずに、これまでのことをぽつぽつと語っていく。


 レシタル王が動き出してしまったこと、聖女を渡せという命令に背いてマリオットが独立したこと。しかしどうにも状況が思わしくないこと。


「僕があの祭りの舞台に姿を現さなかったら、聖女だなんてことにならなかったら、今のこの状況もなかったのかなって……だから、どうにかしたいんだけど……手伝い程度しか、できることがなくって……」


 セルジュやエミールにも言えなかったそんな弱音が、するりと口から出てくる。


「おかしいね。今までの僕なら、たぶんとっくにここから逃げ出してる。でも、今の僕は……逃げたくないって思ってる。イグリーズのみんなを見捨てることなんてできない」


 そこまで言ったところで、うっかり泣きそうになってしまった。唇をぎゅっと噛んで、言葉を切る。


『そういうことなら、私が力になれるわよ?』


 聞こえてきたのは、お母様のそんな言葉だった。いつも通りに明るく、軽い。


「え……本当に?」


『だって、可愛い娘のためですもの。まあ、ちょっと夫……ソナートの国王ね、に確認を取ってからになるけれど。まず反対はされないだろうし、万が一反対されたら泣き落とすわ』


「ぜひ、お願い!」


 魔法の手鏡に顔をくっつけんばかりにして、頼み込む。お母様はあらあらと言いながら、頼もしげに苦笑していた。


 お母様の今の夫、すなわち隣国ソナートの王に会ったことはない。


 ただ、レシタルの王とは違って真面目に国を治めていることと、お母様にとっては最高に素敵な旦那様だということは知っている。これまでにお母様に、それはもうさんざんのろけられたから。


『ええ、任せられたわ。それじゃあ、少しだけ待っていてもらえるかしら。できるだけ急いで、そちらに使者を送るから。詳しい段取りは使者から聞いて』


 それからもう少し打ち合わせて、その日のお喋りは終わりになった。


 元通り私の顔を映している手鏡を胸に抱きしめて、ほうと息を吐く。もう真夜中になっていたけれど、とても眠れそうになかった。


 ずっとエミールを悩ませていた問題がどうにかなるかもしれないという希望が、胸の中で躍っていたから。


 セルジュと一緒にのんびり町歩きができる、そんな日々が戻ってくるかもしれないと思えたから。


「……お母様、ありがとう」


 魔法の手鏡に向かって、小声でつぶやいた。その言葉があちらに届かないことは、分かっていたけれど。

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