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37.守りのマリオット

 そうして私たちが屋敷に戻ってきた時には、エミールはもう手を打ち終えていた。


 湖に向かった私が特大の聖女印を起動させた時、マリオットの領地とその周辺を緑の光が走り抜けた。


 その直後、領地のすぐ外に待機していた王国軍の部隊は、一人残らず眠ってしまったらしい。前の使者たちと同じように、とっても幸せそうな顔で。


 ありがたいことに、彼らがいたところまで聖女の力が届いていたようだったのだ。敵を排除したい、それもできるだけ穏便に、という私の願いを乗せた、そんな力が。


 そしてエミールの命令で、マリオットの兵士たちはあらかじめ王国軍に近づいていた。王国軍に見つからないよう、近くの森にひそんでいたのだ。


 王国軍が聖女の力で眠ってしまうか、あるいは王都のほうに引き返すか、そのどちらかが起こるのをじっと待ちながら。


 そして王国軍が眠ってしまった直後、マリオットの兵士たちはすぐさま王国軍に駆け寄って縛り上げ、遠くに運び出した。エミールに命じられていた通りに。


 じきに任務完了の報告が届くはずですよと、エミールは私たちを出迎えるなりそう言った。そしてまた、仕事に戻ってしまう。話している時間すら惜しいといった、そんな様子で。


 通常の仕事に加え、王宮の使者やら王国軍やらを相手にすることになったため、エミールの仕事はさらに増えてしまっていたのだ。彼の執務用机には、書類がすっかり山をなしてしまっている。


「父さん、俺も手伝う」


「あの、僕も。書類仕事くらいはできますから」


 私とセルジュが口々にそう言ったけれど、エミールは首を縦に振らなかった。


 君たちは一仕事終えたところなのですから、まずはしっかりと休憩を取ってください。手伝いは、その後にお願いします。そう言い張って。


 仕方がないので、ひとまず離れに戻ることにした。居間のソファに腰を下ろしたとたん、セルジュが深々とため息をついた。


「……本当に、父さんはいつも有能で……普段からものすごい量の仕事をこなしているが、こんな有事の際には、まるで手品でも見ているかのような鮮やかさで仕事を片付けてしまうんだ。見ただろう、さっきの」


 何とも恐ろしいことに、エミールはさっと目を通しただけで書類をきちんと理解できているようなのだ。彼の手も目も、一瞬たりとも止まることなく書類を処理していた。あれはすごかった。


「俺もそれなりに実務をこなせる自信はあるが、あの域にはまだまだ到達できそうにない。実際父さんは、俺たちの手伝いは必要としていないんだろうな。……今のところは」


 で、セルジュはそんな父親と自分を比べて、劣等感に襲われているらしい。


「あんな風にやれなくてもいいんじゃないかな? 君なりのやり方でやっていけばいいと思うよ」


 事務能力でエミールに勝てる人間は、そもそもめったにいないと思う。


 それに私は、セルジュもきっといい領主になると思う。エミールみたいな驚異的な切れ者の領主ではなく、みんなに慕われて、みんなに支えられる領主に。


「俺なりのやり方、か……何だろうな。何を活かしていけばいいんだろうか」


「面倒見の良さ」


 そう即答すると、セルジュは濃い緑の目を丸くしてこちらを見た。明らかに、予想外だっていう顔をしている。


「気づいてなかった? 君ってさ、色んな人たちに慕われてるよね。それって、君がなんだかんだいって他の人の面倒を見てるからじゃないかな」


「そう……だろうか」


「うん。だってさ、初めてあの舞台で君と会った時、ああこの人はみんなに頼りにされてるんだなって、そう思った。だから僕も、ためらうことなく君についていくことにしたんだよ」


「……その、そう言ってもらえると嬉しい」


「まあ、目つきの悪い人だなあとも思ったけどね?」


「おい」


「というか、そこは間違いなくエミールさん譲りだよね」


 思いっきり軽口を叩いてから、ふっと静かな声で続ける。


「少なくとも、僕は君を頼りにしてる。君の力になりたいなとも思ってる。きっと他にも、そんな風に思っている人はたくさんいるよ」


 その言葉に、セルジュはそうか、とつぶやいてほっと息を吐いた。どうやら、私の言いたいことがやっと通じたようだ。


 目つきが鋭くて堂々として頼りがいがありそうに見えるのに、彼は時々妙なところで繊細だ。


 もっともそんなところも、可愛げがあっていいと思う。強いばかりの男性なんて、偉そうでちょっとげんなりするし。


 それから私たちは、思い出話に花を咲かせていった。出会ってから何があって、その時どんなことを思ったか、そんなことを。


 そうしているうちに、セルジュの肩の力も抜けていったようだった。聖女としてみんなを守れるのは嬉しい。でもこうやって、個人的にセルジュの力になれるのもいいな。そう実感した。




 そうやってみんなでばたばたしたおかげで、ひとまずマリオット領は守られた。主だった街道も封鎖された。マリオット領の境界近くには警備の兵を置いた。


 最初にやってきた使者とそのお供の兵士、さらに後詰めの部隊はどうやらみんな帰っていったらしい。目の前の危機は、どうにかこうにか去ったようだった。


 こうやってマリオット領が引きこもっている間に、いっそどこかよそで反乱が起きてくれればいい。


 そうして、レシタルの駄目国王が引きずり下ろされてくれれば、こちらとしても言うことはない。


 その後、混乱する国を落ち着かせて、まともな国になるように手助けする。私たちは、そのための努力なら惜しむつもりはなかった。


 ……まあ、そううまくいくはずはないって、薄々分かってはいたけれど。


 事態は、まるで逆に動いてしまった。




「……『全ての臣下に告ぐ。我に永遠の忠誠を誓うか、あるいは逆賊として裁かれるか。道は二つに一つ、どちらかしか選べぬぞ』か……」


 エミールの執務室で、セルジュが書状を前にうなっていた。エミールは目を細めて、そんな息子を見守っている。


 マリオットの者たちは王宮の使者たちを追い返し、引きこもった。聖女の引き渡しを拒み、沈黙したまま。


 それがきっかけとなったのか、レシタルの駄目国王こと陛下は、レシタルの全ての貴族に書状を送った。自分の味方となるか、敵となるか。それを今すぐ決めろ、という。


「このような脅しは逆効果だと、陛下はお気づきではないのですね。既に民の、貴族たちの心は国から離れつつありますから、この書状に背中を押される形で反乱を起こす者が出ないとも限りません」


 苦虫をかみつぶしたような顔をしているセルジュとは対照的に、エミールはひょうひょうとそんなことを言っている。まったく動じていない。


 どうやらこのとんでもない書状は、エミールにとっては予想の範囲内のものだったらしい。


「それに力で脅そうにも、当の王国軍自体が弱体化していますからね。もし戦いになったとしても、あちらの士気はとても低くなっているでしょう」


 エミール率いるマリオットの兵士たちは練度も高く、士気も高い。一方で、マリオットの民は見事なくらいに心を一つにしてしまっている。……聖女、つまり私がいることによって。


 とはいえ、エミールは慎重だ。まさか、陛下に堂々とたてつくようなことはしないだろう。


 そう思っていたら、エミールは世間話でもするような口調でさらりと言った。


「……そろそろ、潮時でしょうね。独立しましょう」

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