35.聖女はもっと守りたい
屋敷に戻った私たちは、この騒動の後始末をみんなで進めていった。
まずは、私を捕らえにきた王宮の使者たち。邪魔するならイグリーズの人たちもみんな罪に問うこともできる、などと言い放った、偉そうな使者。
しかし彼は、まだ眠ったままだった。この上なく幸せそうな、にこにこした笑顔で。いい夢見てそうなのが、ちょっと腹立たしいかも。
「僕は、イグリーズの町を、みんなを守りたいと祈ったけれど……その結果、こうなるなんて不思議だなあ。……いい寝顔」
眠ったままの使者と王国兵たちが縛られて運び出されていくのをを眺めながら、小声でつぶやく。
エミールがてきぱきと周囲に指示を飛ばしながら、その合間に答えてきた。
「それは、君の優しさによるものなのでしょう。どういった形で『守る』かについては、本人の性格や素質が色濃く出るようですから」
エミールは言葉を濁していたけれど、どうやら過去の聖女の中には、危機に追い込まれて力を使い、敵をまとめて……その、まあ、永遠に眠らせてしまった者もいたようだった。
それを聞いて、震え上がる。今度から祈る時は気をつけよう。できるだけ平和に、穏便に済むように。
そんなことを決意している間に、使者たちはみんな運び出されていった。彼らは元乗ってきた馬車に乗せられて、マリオットの領地の外まで連れていかれるのだ。
「ひとまず、これで使者を追い払うことはできました。あくまでも、一時的にですが」
一時的に。その言葉に、私とセルジュが同時にエミールを見る。
「マリオット領の境界ぎりぎりのところに、王国軍の別の部隊が待機しているとのことなのです。数はさほど多くはないのですが、みな武装しているとのこと」
「……後詰めの部隊か」
「そうですね。もし使者からの連絡が長く途絶えたり、あるいは使者からの要請があれば、イグリーズに攻め込むつもりなのでしょう」
「で、でも、イグリーズは僕の力で守っていますから、王国軍がいくら来たところで……」
「彼らはイグリーズを攻めるとは限りません。逆らった見せしめに、手頃な町に攻撃を加える可能性もあります。……今の陛下であれば、それくらいの命令を出していてもおかしくはないでしょうね」
さらりとエミールが口にした一言に、血の気が引く。そんなの、絶対に駄目だ。
さっきやったみたいに、あちこちの町を回って、教会で聖女印を発動して回ればいいのだろうか。
そうすれば、少なくとも人の住むところだけでも守れるかもしれない。ああでも、どれくらいかかるのだろう。
ついつい、そんな焦りが顔に出てしまっていたらしい。エミールがふっと微笑んだ。まるで私を元気づけるように。
「リュシアン君、今、君が何を考えているのかは分かります。実は、私の領地をまとめて守れるいい手があるんですよ。そちらをお願いしてもいいでしょうか」
私にできることがあるのなら。そんな思いを込めて、大きくうなずく。
エミールも満足げにうなずき返して、それからセルジュと、控えていた執事や兵士たちに向き直った。
「君の力でマリオットが守られると同時に、他領との境界を封鎖します。状況が落ち着くまで、亀のように引きこもりましょう。このようなこともあろうかと十分に準備はしておきましたから、問題はありません」
執事たちと兵士たちが、同時にお辞儀をする。その動く音にまぎれて、セルジュのかすかな声が聞こえた。
「……本当に父さんは、用意周到だな。いつもいつも、うんざりするほど先を読んでいて」
口にこそ出さなかったけれど、私も同感だった。エミールが父親だというのも大変だろうなと、ふとそんなことを思った。
「父さんはいい手があると言っていたが、まさかここが鍵になっていたとはな……」
「偶然って恐ろしすぎるよね」
それから少し後、私はセルジュと二人であの洞窟にいた。聖女を迎えるあの舞台が建てられていた後ろの崖の、あの洞窟だ。
エミールに頼まれて、私はここに来ていた。なんでもこの先に、聖女印を発動できる場所があるのだそうだ。
セルジュは私の手をしっかりと握ったまま、ぼんやりと壁が光る洞窟をそろそろと歩いている。
「それより、この衣装って脱がなくていいのかな? 着心地はいいんだけど、汚しちゃったらって思うと落ち着かなくて」
美しいローブとヴェール、それにサークレット。こんなに着飾っていたら男装の意味がない。実際さっきも、私がリュシエンヌだとカゲロウの若者たちに感づかれていたし。
「汚しても問題はないだろう。そうなったら、父さんが修繕させるはずだ。今はとにかく、聖女が分かりやすい形で存在していることが大切なんだ」
教会から出てきた時の人々の騒ぎっぷりを思い出す。最初に、私が祭りの舞台に姿を現した時の騒動も。
「そう……だね。聖女はここにいる、みんなを見守ってるって、はっきりと見える形にしたほうがいいね。雰囲気が仰々しくなっちゃうのが、ちょっと落ち着かないけど」
バルニエの屋敷にいた頃に着ていたドレスよりは遥かにましだけれど、それでもこの聖女の衣装はちょっぴり動きにくい。この洞窟に入る時も、セルジュの手を借りなくてはいけなかったし。
「いや、とてもよく似合っている。少し、目のやり場に困るくらいには」
今、彼にしては妙なことを言わなかったか。思わず足を止め、セルジュの顔をまじまじと見る。
「目のやり場に困るって、別に恥ずかしい格好はしてないよ? 肌なんてろくに出てないし、化粧もしてないし。髪もヴェールでだいぶ隠れたし」
「そういう意味じゃなくてだな…………そういったなりをしていると……お前が女性なんだと、嫌でも意識せざるをえなくなるんだ」
そんな言葉をかけられて、こっちまで一気に照れ臭くなってしまう。つないだ手が熱い。
この洞窟を見つけられるのは、聖女である私だけだ。前にセルジュとやってきた時に、私と手をつないでいればセルジュも中に入れることまでは突き止めていた。
でも中で手を離したらどうなるのかは、まだ確認していない。もしかしたら、岩に閉じ込められてしまうかもしれない。そんな危険を冒してまで実験する気にはなれなかった。
そんなこんなで、私たちはこうして手をつないだまま洞窟を進んでいるのだった。
無理についてこなくてもいいし、外で待っててよ、と言ったのだけど、セルジュはお前を一人きりにしたくはない、とごねてついてきたのだ。
でも今は、こうやって彼と手をつなぎっぱなしなのがとても恥ずかしい。誰も見てないけれど、恥ずかしい。
「しかし、前はこの洞窟を一人で抜けてきたのか……若い女性とは思えないほどの胆力だな」
突然、セルジュが露骨に話題を変えてきた。彼もまた恥ずかしいのか、明後日のほうを見ながら話している。
「見ての通り、僕はそこらの令嬢とはまるで違う、はねっ返りのおてんばだからね。そこそこ広くて歩きやすく、水もたまっていないし獣の気配もしないこんな洞窟なら、むしろ快適なくらいだよ。しかも、なぜか明るいからなおさら」
「そうか? ただ弱々しいだけの女性より、ずっといい。正直、俺は貴族の女性にはいい印象を持っていなかったんだが……お前といるのは楽しいぞ」
洞窟が薄暗いせいか、他に誰もいないからか、セルジュは恥ずかしい言葉を連発している。それも、おそらくは無自覚に。
でもそれが嫌だと思えない辺り、私もしっかりとこの場の空気にのまれてしまっているようだった。
でも、私だけそわそわしているのも何だか悔しい。少し考えて、小声でつぶやいた。
「……私も、あなたといるのは楽しいわ。エミールさんとの結婚から逃げたのが正解だと、そう思うくらいには。あなたが義理の息子になってしまったら、こんな風に一緒に過ごすのは難しかったと思うから」
リュシエンヌの口調でそんなことを告げると、つないだままのセルジュの手から動揺が伝わってきた。彼はためらいがちに、やはり小さな声で答えてくる。
「その……ありがとう」
それっきり、会話が途絶えてしまう。何か話しておいたほうが気がまぎれるんだろうなと思ったけれど、いい話題が思いつかなかった。
仕方なく、甘酸っぱくてむずむずするような空気の中を黙々と歩き続ける。
嬉しいような、でも正直勘弁してほしいような、そんな気分だった。ここが不思議な洞窟の中でなければ、つないだ手を振り切って走って逃げるところだった。
早く、目的地に着かないかな。でも、もうちょっとこのままでもいいかな。
そんな相反する気持ちの間で揺れ動きながら、ちょっとだけゆっくりと歩いていた。