34.今代の聖女、立つ
そうしてエミールが話し出したとんでもない内容に、私とセルジュはそろって頭を抱えていた。同時に、同じ姿勢で、同じようにため息をつきながら。
聖女は実在した。しかも聖女は、人ならざる力を使うことができる。
うん、私たちも、実際に聖女がいたらしいなってところまでは知っていた。でもまさか、本当に不思議な力を使うことができたなんて、想像もしてなかった。
頭を抱えながら、礼拝堂の一番奥をちらりと見る。そこには、たぶん私がさっき生み出したらしい緑色の円こと聖女印が、まだぼんやりと光を放っていた。
エミールによれば、聖女はだいたい百年に一度くらい現れる。しかしどういう訳か、マリオットの領地内、それもだいたいはイグリーズの周囲でばかり見つかる。
そんなこともあって他の領地では聖女の存在はろくに知られていないし、たまに話が伝わってもおとぎ話だとしか思われていないのだとか。
「我がマリオット家の当主は、代々聖女についてひそかに語り継いできました。いつかまた聖女が現れた時に、正しく対応できるように」
優しい声でそう語り、エミールは私とセルジュを交互に見た。
「聖女を判別する一番簡単な方法が、あの舞台の裏の洞窟なのです。あそこへの入り口は、聖女にしか見えませんし、通れません」
つまりエミールは、最初から私が聖女なのだと確信していたということか。
けれどまだ私の力は必要ないと判断して、黙っていてくれたのだろう。少しでも私が気楽に、自由に過ごせるように。
「聖女はあの円を基準とした一定の範囲内に、様々な奇跡をもたらすことができるのです」
「つまり、使者たちを眠らせたあの緑の光が、聖女の力ということなのか……」
「ええ、そうですよセルジュ。リュシアン君はイグリーズの町を守りたいと願ってくれた。その思いが守りの力となって、あの使者たち……この町に敵対する存在を眠らせてくれたのです」
まだ混乱している様子のセルジュに、エミールはいつも通り淡々と答えている。二人の表情の違いは、いっそこっけいなくらいだ。
「つまり、今のイグリーズは僕の力で守られている、そういうことですか?」
「ええ。君がそう望んでくれる限り、いつまでも」
「……その力を使うことで、僕に何か問題が起こったりとかは? ひどく疲れるとか、その他に代償みたいなものが必要になったり、とか……」
「ありません。あの光る円、私たちマリオットの者は聖女印と呼んでいますが、あれを起動させる時に心からの祈りが必要となるだけで」
「……それって、結構とんでもない力だと思うんですけど……」
取り立てて代償を払うことなく、望むままに、敵対するものを無力化できる。しかも、町丸ごと一つ守れるくらいの範囲で。
さっきエミールは『守りの力』と言っていたから、もしかすると他のことを祈れば他の奇跡も起こせるのかもしれない。
それって本気を出せば、それこそ国一つ乗っ取るくらいできる気がする。面倒だから絶対にやりたくないけど。
そんな私の内心を読んだかのように、エミールは首を横に振った。
「いえ、聖女印は発動できる場所が限られているのです。私たちマリオットの者もきちんと確かめた訳ではないのですが」
彼によれば、この聖女印が発動できる場所は、基本的に教会や聖地など、聖なる場所とされているところだけなのだそうだ。
聖なる、の定義についてもやっぱりはっきりとはしていないのだけれど、今のところ『人々の祈りが集まったところ』といった感じらしい。
エミールはその辺りのことについて個人的に研究しているとかで、こうして聖女の力を目の当たりにできて嬉しいのだそうだ。
「さて、そろそろ屋敷に戻らねばなりませんね。あの使者たちを今後どうするか、それについて考えなくては。セルジュ、今彼らはどうなっていますか?」
「捕縛して、一室に監禁するよう兵士たちに命じてきた」
セルジュの返事を聞いて、エミールは満足そうに笑った。
「ええ、助かりました。それでは早く、屋敷に戻らなくては」
「あの、ちょっといいですか」
納得した様子のエミールに、そっと声をかける。それはそうとして、私にはまだ一つ疑問が残っていたのだ。
「僕が今着ているこの衣装って、何なんでしょうか? 結局、どうして着ることになったのかも分かりませんし……」
「それは、数代前の聖女のためにあつらえた衣装です。当時の職人たちが、持てる技術の全てをつぎこみました。おかげで、長き時を経た今でも、変わらぬ美しさを保っています」
満足そうにこちらを見るエミールと、考え込むセルジュ。
「リュシアンが聖女としての力を発揮するために必要だったとか、そういうことなのか、父さん?」
「いえ、違います。衣装自体には取り立てて変わった力はありませんよ。ただこの後のことを考えて、それをリュシアン君に渡しておきたかったのです」
この後のことって、と尋ねるより先に、エミールはいたずらっぽく片目をつぶってみせた。いつにない茶目っ気のある表情に、セルジュが大いに驚いている。
「それでは行きましょうか。私たちの、今代の聖女の凱旋ですよ」
そうしてみんなで、教会の外に向かって歩き出した。エミールとセルジュは、私を守るように、私に付き従うように、粛々と両側に寄り添っていた。
凱旋だなんて大仰な言葉をエミールが使った理由は、すぐに分かった。外に出た私たちを待ち受けていたのは、教会に押し寄せた人の山だったのだ。
「聖女様だ……」
「ああ、なんて神々しくも麗しいお姿……」
「さっきの緑の光、心が洗われるようだった……」
「ありがたや、ありがたや……これでいつ死んでも悔いはないのう」
「じいさま、縁起でもないこと言わないでくださいよ。聖女様のご加護があるんですから、あたしたちは二人そろって百まで生きられますよ」
そんな声が、そこら中から聞こえてくる。
手を合わせて拝む者、涙を浮かべながら安堵の笑みを浮かべる者。喜びのあまり抱き合う者たち。そんな風に、みんな色々な形で喜びを表していた。
この中に、直接聖女に会ったことのある人はほとんどいない。何せ先代の聖女がいたのは、もう八十年も前のことだ。
でもその記憶は親から子へ、子から孫へと語り継がれ、今でもみんなの心の支えになっている。そう考えたら、くすぐったくなった。
「……似てるよな」
「うん。リュシエンヌに……まさか……」
「武術も学問も得意で、おまけに聖女様って、どう考えてもできすぎてるだろ」
「鬼教官が、聖女様……うん、ないない。でもやっぱり、そっくりだし……」
聞き覚えのある若者たちの声も聞こえてきたけれど、今は無視しておく。カゲロウの面々についてどう対処するかは後回しだ。今はそれよりも優先してやるべきことが山ほどある。
人でごったがえす中に足を進めると、自然と人々は左右に分かれて道を作った。一斉に口をつぐんで、こちらを見つめながら。
期待に満ちた静けさの中を、落ち着いた足取りで進んでいく。ローブとヴェールがさらさらと心地よいきぬずれの音を立てていた。
私の斜め後ろには、セルジュとエミール。二人ともゆったりと、堂々と歩いていた。
今日、人々は聖女の力を、その姿を目の当たりにした。私が、僕が、聖女だ。
これでもう、私はどこにも逃げられない。逃げたらそれこそ、人でなしだ。
でもそうやって退路が断たれたことを、嫌だとは思わなかった。むしろ、嬉しかった。
こうなったら、私はイグリーズの人たちを守り抜いてみせる。何があろうと。
そんな決心をしながら、少しずつマリオットの屋敷に向かって進み続けていた。




