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33.祈り、そして

 エミールは私の手を引いたまま、有無を言わさずに走る。


 そうして連れてこられたのは、彼の執務室の奥の奥、様々なものが保管されている倉庫のような部屋だった。


 彼は部屋の片隅の隠し扉を手早く開けて、さっさと一人で奥に行ってしまった。これって後を追いかけていいのかな、いけないのかな。


 というか、セルジュは大丈夫だろうか。この屋敷の兵士たちも向っているとは思うし、セルジュはとっても強い。


 でも相手はきちんと武装した兵士だし、私を捕らえる気満々だし……。


 悩みながら立ち尽くしていたら、何かを抱えたエミールがすたすたと歩み寄ってきた。


「これを身に着けてください。今着ている服の上からで構いません」


 そう言って彼は、布の塊のようなものを一つずつ手渡してくる。一つ目を広げてみたら、それはすっぽりとかぶる形のローブだった。


 着てみたら、まるで私のために作られたのかというくらいにぴったりだった。


 白と青と金を基調とした、優雅でひらひらした、上品なローブ。あちこちに小さな金属片が縫い付けられていて、身動きするたびにきらめいている。


 さらに手渡されたのは、ローブとそろいのヴェール。薄いのでかぶっていても邪魔にならないし、垂れ下がるシルエットがとても美しい。


 最後に、銀のサークレット。見とれそうなくらいに繊細な彫刻が施されたそれをかぶって、ヴェールをしっかりと頭に固定する。


 とても上質で上品で、そして少しばかり荘厳な雰囲気のこの一式。エミールはこの緊急事態に、どうしてこんなものを着ろと言ったのだろう。


 彼はとても頭が切れるし、こんなことで時間を無駄にするとは思えない。つまり、私がこれを着る必要があったに違いない。彼がどうしてそんな結論にたどり着いたのかは分からないけれど。


 いや、何となくの見当はついている。この格好、それはもう聖女っぽいのだ。


 聖女らしいってどんなのか具体的には分からないけれど、この格好が聖女にふさわしいことは嫌というほど理解できる。


「よく似合っていますよ、リュシアン君。それでは、行きましょう」


 そうしてエミールは、またしても私の手を引いて走り始めた。このローブ、ひらひらしている割に動きやすい。おかげで、彼の足手まといになることなく走ることができた。


 そうして通用口から屋敷を飛び出し、町中を走り抜ける。エミールと、彼の配下の兵士たちに守られて。


 王宮の使者がやってきたことに混乱していた人々は、きらきらしい私の姿を見て感嘆していた。おがむし、泣くし、互いに抱き合って大喜びするし。


 なんだかもう、これはこれで収拾がつかなくなってきてる気がする。エミールはこれが狙いだったのかな。


 だったらこれから、町の広場とかに行くんだろうか。そこでみんなを落ち着かせるとか何とか、そんな役目が割り振られるんだろうか。


 ところが、エミールはいつまでたっても足を止めない。町の広場も通り越して、その先にある教会に駆け込んだ。


 その一番奥にある礼拝堂に入った時、エミールがようやく立ち止まった。


「ふう、どうにか邪魔も入らずにここまで来られました。……リュシアン君、それでは祈ってください」


「あの、ですから祈るって……一体何を? どうやって?」


 なぜ、マリオットの屋敷を出る前にこれを着せられたのか。どうしてここに連れてこられたのか。


 それだけでも混乱しているのに、突然祈れと言われても、何をどうすればいいのか分からない。


 というかそもそも、王宮からの使者が私を捕らえようとしているこの状況で、悠長に祈っていていいのか。セルジュ、大丈夫かなあ。


 初めて会った時から、エミールはこうだった。指示は正確で端的だけど、絶望的に説明が足りない。セルジュがいてくれれば、うまく話を誘導してくれるのだけれど。


「作法は、どのようなものでもいいのです。必要なのは、君の『イグリーズの民を守りたい』という思いだけですから」


 民を守りたい。その気持ちならよく分かる。私が偶然この町にやってきてから、少しずつはぐくんできた思いだ。それに、セルジュのことも守りたい。できることならあの応接間に残って、彼と一緒に戦いたかった。


 私がここで祈ることで、彼の力になれるというのなら。


 両手を胸の前で組み合わせて、上を向く。正面の壁には、とても大きなステンドグラスがはめ込まれていた。そこに描かれているのは、聖女とおぼしき女性の姿。


 ローブとヴェールをまとった、神々しくも慈愛に満ちた表情の彼女をまっすぐに見返して、心の中で叫ぶ。思いつくまま、力の限り。


 王国の使者だか何だか知らないけれど、私の大切な人を苦しめないで。私の大切な場所を、土足で踏みにじらないで。出ていって。


 ここを守りたい。それなのに、祈ることしかできないなんて悔しい。


 もし、過去の聖女が本当に奇跡を起こしたっていうのなら、私にもできるかもしれない。いや、できてほしい。違う、起こすんだ、奇跡を。私が。私は、聖女だから。


 体の内から、熱が生まれていくような感触。その熱が広がっていくと共に、意識も広がっていくような不思議な感覚が全身を満たす。


 礼拝室の外が見える。教会の外が見える。町の中が見える。目ではないどこかで、私はこのイグリーズを見ていた。


 その時、足元からぶわっと風が巻き起こったように感じた。


 ステンドグラスの聖女を見つめたまま、もう一つの視点で自分の足元を見る。


 私の足元の床に、緑色に光る円が浮かび上がっていた。


 その円の内側には、複雑な模様が走っている。生い茂るツタのような、咲き乱れる花のような、とても美しい模様だった。


 ああ、ついに聖女印が、というエミールの声が聞こえた。たぶんそれって、私のこの足元の円のことだろう。


 そうしていたら、聖女印から緑色の光がわき出てきた。


 ぱあん、という軽い破裂音と共に、その緑色の光が辺り一帯にはじけて広がっていく。


 教会の壁を突き抜けて、外へ外へ。窓の向こうで、緑色の光が躍っているのが見えた。光は広がり、町を包み込み。


 町中に広がっていた意識が、ふっと自分のところまで縮む。ようやく、元通りの感覚が戻ってきた。


 心地よい疲労感を覚えながら、足元の円――聖女印――を見る。周囲に広がっていった緑色の光はもう消えていたけれど、その円は私の足元で、変わらずに光を放っていた。


「ありがとう、リュシアン君。君の聖女の力で、イグリーズの町は守られました」


 エミールの声に振り返ると、彼はこの上なく嬉しそうに微笑んでいた。その表情に、私もほっとしかけて、そして気がつく。


 イグリーズの町が守られたといっても、いったい何がどうなって、どう守られたのかがさっぱり分かっていない。


 彼に尋ねようとしたその時、いきなり礼拝堂の扉がばたんと開いた。


「リュシアン! 父さん! 無事か!」


 そんな叫び声と共に、血相を変えたセルジュが駆け込んでくる。着飾った私の姿に驚いたのか、彼は目を見開いて立ち尽くした。


「あ、えっと……僕たちは大丈夫だよ。そちらこそ、怪我とかしてない? とっさに、使者たちの足止めを頼んでしまったけど」


「ああ。……辺りに緑の光があふれたと思ったら、なぜか使者と兵士たちが眠りだしたんだ。その場にぺたんと座り込んで、床で丸くなって、まるで小さな子供みたいな姿で。そちらはうちの兵士たちに任せて、俺はお前たちを追いかけてきたんだ」


「よくここが分かったね。もしかして、もしもの際はここでって話になってたの?」


「いや、そうじゃなくてだな……」


 セルジュはきまりが悪そうに、赤い髪をかき回している。


「…………町の者がみな、涙して教会のほうを拝んでいてな……ああ、あっちで何か起こったんだなと、一目で分かる光景だった」


 何とも言えない彼の表情からすると、それは相当異様な光景だったのだろう。思わずげんなりした私に、彼は同情するような視線を投げかけてきた。


「あの緑の光は、やはりお前が?」


「……たぶん。聖女の力でイグリーズは救われたって、エミールさんはそう言ってるけど……僕、ただこの格好で祈っただけだから。もう、何が何だか」


 それだけを答えて、自分の足元を指し示し手招きする。素直に近づいてきたセルジュは、聖女印に気づくとびくりと身をこわばらせた。


 それからぎこちなく、エミールのほうを向く。


「父さん。何がどうなってるのか、きちんと話してくれ」


「それ、ずっと僕が言いたかったことだ」


「……やっぱり、リュシアンにも説明してなかったか……」


 セルジュが険しい顔でエミールに詰め寄る。エミールは全く気にしていない顔で、近くの長椅子に腰を下ろした。


「では、話しましょう。もう急がなくてもよさそうですからね。二人とも、どうぞ座ってください」


 この場でたった一人、状況を正しく理解しているエミール。彼がこうも落ち着いているのなら、一応危険はないのだろう。


 セルジュと微妙な顔を見合わせて、私たちも空いた長椅子にそれぞれ腰を下ろした。


 これから何が語られるのか、興味はあるけれど、同時に少々気が重くもあった。

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