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30.理想と現実のはざま

 このレシタル王国の未来を憂いている、志だけは立派な若者たち。


 私は彼らと別れ、またマリオットの屋敷へと戻っていた。元通り、栗色のかつらをしっかりとかぶって。


 買い物袋を抱えて、足早に離れに戻る。その途中、エミールとばったり出くわしてしまった。


「おや、これはリュシアン君……リュシエンヌさんとお呼びしたほうがいいでしょうか?」


 少しも迷うことなく、エミールはそう言った。髪も服装も、いつもの私とはまるで違うのに。


 まあ、屋敷の廊下を一般人が歩いていることなんてそうないし、気づいて当然か。


「あ、はい。……ええと、このなりをしている時はリュシエンヌということになっています。リュシエンヌ・バルニエでも、聖女リュシアンでもなく」


「ふむ、分かりました。そういった格好も似合っていますよ。もしかして、変装して町に買い物に?」


「そうなんです。いつもの格好だと、うかつに町を歩くことすらできませんから……」


 買い物袋を抱えたままそんなことを話していると、不意にエミールが声をひそめた。


「ところで、昼からセルジュの姿を見ていないのですが、君は何か知りませんか?」


 その言葉に、一瞬ぎくりとしてしまう。まずい、今の表情、間違いなくエミールに気づかれている。彼は恐ろしいくらいに観察眼に優れ、しかも頭が回る……さて、どこまでばれただろう。


「イグリーズの町に行く、帰りは遅くなるって言っていました」


 冷や汗をかきつつも、できるだけ冷静にそう答えてみる。


「そうでしたか、ありがとう。もしかしたら君とセルジュが、たまたま町で出くわしたかもしれませんね。これだけ見事に変装していれば、セルジュは気づかなかったかもしれませんが」


 その言葉に、つい笑ってしまった。あの若者たちのことは絶対に話せないけれど、あのちょっとした遭遇のことなら語っても構わないだろう。


「実は、そうなんです。男性にからまれて困っていたら、セルジュが助けてくれました。彼は私だと気づくことなく、去っていったんです。あれは面白かったです」


「あの子らしいですね。しかしあの子は、町で何をやっているのでしょう?」


 ふと気になったという口調で、エミールがぼそりとつぶやいた。またしてもぎくりとする。やっぱりこれ、気づかれてるような。


「ええっと、そのまま立ち去っていったので分かりません」


 その言葉に、エミールは黙り込んだ。うう、沈黙が刺さる。


 やがて、彼はまた口を開いた。とても穏やかな、優しい声で語りかけてくる。


「そうですか。……君に、セルジュのことを頼んだのは正解でした」


 今までの話の流れをぶった切るそんな言葉にも、私は違和感を覚えなかった。


 エミールはきっと、あの若者たちについて知っている。おそらく、私に頼み事をするよりも前から。


 そして気づいている。私がセルジュの抱えている事情に、関わったということに。


「どうぞこれからも、あの子のことをお願いします。多少の無茶は、若いうちの特権ですから。君がいてくれれば、あの子もそこまで無茶はしないでしょう」


「……ええと、その……はい」


 買い物袋をぎゅっと抱きしめて、あいまいにそんな返事をする。エミールはにこりと小さく笑って、会釈するとそのまま去っていった。




 その日の夜遅く、セルジュはマリオットの屋敷に帰ってくるなり、私のいる離れを訪ねてきた。


「おかえり、セルジュ」


 私はもういつも通りに男装して、居間のソファでのんびりと本を読んでいた。セルジュはどことなく思いつめた様子で、私の向かいに腰を下ろす。


「ただいま、リュシアン。……またその格好なんだな」


「だって、ここにいる間の僕は『聖女様』だからね。またあそこに行く時は、昼間みたいに変装するよ」


 軽い口調でそう言って、ふと首をかしげた。何だかセルジュの様子がおかしい。というか、何か考え込んでいるような。


「ねえ、セルジュ。何か言いたいことがあるの? やけに深刻な顔してるけど」


 私の問いに、彼はまっすぐにこちらを見た。濃い緑の目に、射抜かれたような気がした。


「……リュシアン、お前の意見が聞きたい。彼らのあの組織について、どう思うか」


 唐突にそんな問いを投げかけてきたセルジュを、まじまじと見つめる。大きな窓から差し込んだ月の光が、彼に淡く照らしていた。


「……厳しい答えになるかもしれないよ?」


「覚悟の上だ。むしろ、そういった率直な意見が欲しい」


 セルジュの真剣な表情に、こちらも顔を引き締める。それから小声で、思っていたことを言葉にしていった。


「……正直、組織としての体をなしていない。若者たちが集まって理想を熱く語り合っているだけの、ただの寄せ集め。セルジュがいなかったら、たぶんとっくに自滅してる」


 ばっさりと切り捨てると、彼はそうだろうな、と小声でつぶやいた。それから、凛々しい声で答えを返してくる。


「でも俺には、こうするしかなかったんだ。町に渦巻く陛下への不信と、未来への不安。それを少しでも和らげ、前を向いて進むための力に変えていくためには」


「……うん。それ、分かるような気もする」


 セルジュは分かっている。あの若者たちはあくまでも、理想の中で生きているのだということを。


 でもその上で、少しでも彼らが望む現実を、明るい未来を手に入れるために努力している。たった一人で、彼らを導こうと悪戦苦闘している。


「セルジュは、僕よりはずっと立派だね」


 窓の外に目をやって、静かにつぶやく。彼のほうを見ることなく。


「僕は、国が乱れて戦になったら、さっさと逃げ出そうって考えてた。僕が守れるのは自分一人だけだから。他の人のことなんて構ってる余裕はない。それが、僕の持論だ」


 私は、何かに正面から立ち向かっていった経験がろくにない。


 父の説教を嫌って屋敷からしばしば脱走していたし、嫌な見合いは愛想笑いでごまかした。あげく、結婚からも逃げ出した。


 聖女になって、イグリーズの人たちの、セルジュの役に立ちたいって思うようになって初めて、人々の悩みを聞くようになった。


 たぶんそれが、私が生まれて初めて『逃げなかった』経験だと思う。


「……だから僕には、逃げずに立ち向かう道を選べる君が、まぶしく思えるんだ。自分のことを後回しにしてまで、可能な限り多くの人を助けようとしている、そんな君が」


 僕にはとうていできないことだしね、という言葉をそっとのみ込む。セルジュは苦笑しながら、首をゆっくりと横に振った。


「俺には、逃げるだけの度胸がないんだ。だから格好つけて、逃げられないところまで自分を追い詰めて……不器用なだけだな」


「不器用、っていうのは合ってるね。……でも、セルジュのそんなところを、僕は信頼しているのかもしれない」


 思ったままをつぶやくと、セルジュははっと目を見張った。


「きっとさ、他のみんなも同じなんだと思う。そうやって苦しみながらも、それでも一生懸命にあがく君の姿に、希望を見出してるんだろうね」


 セルジュは何も言わない。彼の目をまっすぐに見て、微笑んだ。


「だから、もっと自分に自信持ちなよ。少なくとも僕は、君が彼らをまとめ、導いていけるって、そう信じてるから」


「……そうか。ありがとう」


 ちょっと照れ臭そうに、彼は答えた。その表情は、最初よりも少しだけ和らいでいた。

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