28.今日は尾行日和
ひときわ背の高いセルジュの姿は、大通りの人ごみの中でもすぐに見つかった。辺りの店先を眺めているふりをしながら、少しずつ彼に近づいていく。
けれど困ったことに、彼はどんどん町外れのほうに向かっていった。人が少なくなると、こっそり尾行するのも難しくなる。
ここが森や山だったら、昔ティグリスおじさんに教わった、獣を追いかける方法と同じ要領でどうにかなったのだけれど。
町中には身を隠す場所があまりないし、他の人の目もある。うかつな場所にひそんでしまったら、近くの家の住人に見とがめられるかもしれない。
そういう意味では、この尾行は少々骨の折れるものだった。
それに、私が手にしている大きな買い物袋が少々目立ってしまっている。
少しでも目立たないように、買い物袋をしっかりと胸に抱きかかえた。買い物を済ませて家に戻る途中なのだと、周囲の人々にそう思ってもらえるように願いつつ。
そうこうしているうちに、セルジュは町の一番端っこの裏通りにたどり着いていた。道にはもう、他の人の姿はない。
ティグリスおじさんのおかげで気配の消し方は知っていたし、練習もした。だからどうにかこうにかここまでセルジュを追うこともできていたけれど、さすがにそろそろ引き返すべきかな。
迷っていたら、セルジュの姿が消えた。ちょうど、前に酔っ払いたちにからまれた、あの通りのほうへ行ってしまったのだ。
「あっちって、酒場ばっかりが集まってるところだって言ってたわよね……どうして、そんなところに? それも、帰りが遅くなるってことは……」
酒場ばかりが集まるところ。そういうところには女性も多い。特に夜は、あでやかに着飾って、客たちに流し目をよこす魅惑的な女性たちがたくさん現れるのだ。
といっても、夜の酒場に実際に行ったことはないので、どんな感じなのかはいまいち分からないけれど。
そろそろと通りの角に立ち、通りのほうをのぞいてみる。通りの奥のほうにある一軒の酒場に、セルジュが入っていくのが見えた。
何かがおかしい。私の理性はこのまま帰るべきだと騒いでいたけれど、好奇心がそれに勝ってしまっていた。
忍び足で酒場に向かい、そっと扉を開けてみる。とたん、大きな影が覆いかぶさってきた。
「……まったく、お前がつけてきていたとは……お前の行動力を、つくづく甘く見ていた」
開店前の薄暗い酒場の片隅で、私はセルジュと向かい合っていた。
反対側の隅には、難しい顔をした若者たちが数名、こちらの様子をうかがっている。みんなとても不安そうだ。
不思議なことに、若者たちの身なりはばらばらだった。どちらかというとちょっと貧しい者から、どう見ても上流階級の者まで。
彼らに共通しているのは年齢くらいのものだろうか。十代後半から、二十代前半といったところだろう。
あ、あとはやけに目がきらきらしているというか、妙に希望に満ちあふれた表情をしているというか……彼らがいったい何でこんなところに集まっているのか、いくら考えてもさっぱり分からない。
とはいえ、さっき私に覆いかぶさってきたのが彼らだという事実に変わりはない。
さっき私がこの酒場に入ってすぐに、扉の両わきで待ち構えていた彼らが同時にのしかかってきたのだ。
突然襲われて命の危険を感じた私は、袖の中に隠していた仕込みナイフを引っ張り出して反撃に出たのだ。
あっという間に若者たちを組み伏せてナイフを突きつける私に、酒場の中にいた他の若者たちが突進してきた。そこに、セルジュが割って入ってくれたのだ。
激しい動きをした拍子にかつらが外れ、元の銀髪をあらわにした私を見て、ようやく彼は突然やってきて大暴れした女性が私なのだと気づいたのだった。
彼女は敵じゃない、話をするから少し待ってくれ。
その場にいた若者たちにそう呼びかけて、セルジュは私を酒場の片隅に引っ張っていった。そこで若者たちに聞かれないよう、こそこそと話し合っていたのだった。
まずは私から、どうしてここまでやってきたのかを説明する。
「変装して、町で買い物してたのよ。この格好なら、みんな私の正体に気づかないだろうし。そんな時、たまたまあなたが私を助けてくれて。ほら、裏路地の入り口で、男たちに言い寄られてたあれ」
「あれがお前だったなんて、ちっとも気づかなかった……」
「そうなの。あなたが気づかないのが面白くて、つい……どこまで追いかけられるかなって思っちゃって」
エミールからのお願い、セルジュを見守っているよう頼まれた件については内緒だ。
最近、エミールに対するセルジュの態度は和らぎつつあるけれど、それでもそんな風に見守られていると知ったら、セルジュがまた怒りかねない。
セルジュは私の言葉に額を押さえ、深々とため息をついた。
「つい、でここまでやるか……それにしても、気配の消し方は見事だった。見事過ぎて驚いた」
「ありがとう。これも、昔ティグリスおじさんに教わったのよ。本来は、狩りの時に獣を追いかける方法なのだけど」
「ちなみに俺は褒めていないぞ。あきれてるんだ」
「でしょうね」
セルジュは口調こそいつも通りだったけれど、やはりその視線はうろうろとさまよっている。どうも、私がちゃんと女性の格好をしているせいで落ち着かないらしい。
「ところで、あなたはこんなところで何をしていたの? この酒場はまだ開いていないし、そこにいる人たちも、酒場の従業員には見えないし」
正面からはっきりと尋ねると、セルジュは困ったように眉を寄せた。
「……下手に隠すと、余計にややこしくなりそうだな……父さんには話さないと、そう誓えるか?」
「ええ、誓うわ」
何を打ち明けられるのかさっぱり見当がついていなかったけれど、即座にうなずく。ちょっとわくわくしながら。
セルジュは背筋を伸ばして、厳かに告げた。
「……俺たちは、この国の未来を憂いて、いつか来たる日のために準備をしているんだ」
一瞬、何を言われたのかよく分からなかった。じっくり考えてみたけど、やはり分からない。
「……来たる日……準備?」
首をかしげてつぶやくと、セルジュはじれったそうに私の耳に顔を寄せてきた。吐息が耳にかかってくすぐったい。
「いつか、どこかで内乱が起こる。陛下の御世は、もう長くない。俺たちはその時のために準備しているんだ。民を守り、新たな統治者の力になるために」
うわあ。真面目だ。あと、ふんわりし過ぎているなあ。
真剣な彼には申し訳ないのだけれど、私の素直な感想はそんなものだった。
私だって、たぶんそのうち国は乱れるんだろうなとは思っている。
でもそうなったら、とっとと安全な場所に逃げ出して、全部片付くまでそこでのんびりしていようと考えていた。こんな面倒なことをしようなんて、一度だって考えなかった。
そう思いながら、酒場の反対側の隅に集まっている若者たちをちらりと見る。
私が味方なのかそれとも敵なのか、見定めているような顔だ。あと、ちょっと怖がっている。さっきの大暴れが効いたらしい。
しかしどうにも、考えが浅いような気がする。こんなごく普通の酒場に集まるわ、たまたま通りがかった人間をよってたかって取り押さえようとするわ。しかもかなり弱いし。
おそらく彼らは、来たる日に備えてひっそりと活動しているつもりなのだろう。
それにしては、うかつに過ぎないか。こんなことをしていたら、いつか見つかって大騒ぎになる。やろうとしていることの壮大さの割に、頭が足りない。
なんだってまた、セルジュはこんなのとつるんでいるのか。不思議に思いながらも、さらに声をひそめる。
「でも、あなたたちがやっているのって、要するにレシタル王国への裏切りよね」
セルジュだけに聞こえるように、彼の肩に手をかけてつま先立ちになり、耳元でさらにささやいた。
「下手をすると、イグリーズの町が、マリオットの一族が丸ごと反乱分子だと判断されかねない。このまま彼らに力を貸すことがいいことだとは思えない。今のうちに、エミールさんに全部話したらどうかしら? 見た感じ、今ならまだ穏便に済ませられそうだから」
私の言葉に、セルジュは何も言えなくなってしまったようだった。とっても悔しそうな顔で、小さく首を横に振っている。それだけはしたくない、とその目が雄弁に語っていた。
「……きちんと、説明をしたほうがいいだろうな。みんな、いったん席を外してくれ。俺は彼女と、もう少し話がある」
セルジュが声を張り上げると、若者たちはしぶしぶではあったが店の奥に消えていった。
それを見届けてから、セルジュは手近な椅子を引っぱってきて、どっかりと腰かけた。何だか疲れた様子だ。
勧められるまま隣の椅子に腰を下ろし、彼に向き直る。そうして、彼は話し始めた。