27.町中を、一人堂々と
「……予想以上に、楽勝だったわ……」
その少し後、私はぽかんとしながらイグリーズの町を歩いていた。さっき買った飴を、口の中で転がしながら。
用心には用心を重ね、マリオットの屋敷の正面玄関は使わなかった。通用口から外に出て、ぐるっと大回りしながら町に足を踏み入れたのだ。
きょろきょろしないように気をつけながら、それでも内心大いに警戒しつつ、町の中心部、人の多いほうに向かってみた。
今の私は育ちのいい若い女性にしか見えないはずだから、人通りの少ない町外れを歩いているほうが目立ってしまう。
けれどすれ違う人たちは誰一人として、私が聖女リュシアンだとは気づいていないようだった。
それに気を良くして、近くのお店をのぞいてみた。可愛い小物や雑貨を扱った、素敵なお店が目についたのだ。
それでもやはり、気づかれなかった。そちらのスカーフ、今流行ってるんですよと、店員が笑顔でそんなことを教えてくれた。しかも、私に似合うものを一緒に見つくろってくれた。
結局スカーフを二枚と、それとタンスなんかに入れておく香り袋まで買って、私はその店を後にした。
そこから調子に乗って、あっちこっちのお店を見て回った。
今まではずっと男装していたし、セルジュまでついてきていたので、女物を主に取り扱う店には気軽に立ち寄れなかったのだ。
気がついたら、私は大きな買い物袋を手にしていた。しゃれた花柄の、大人っぽい生地の袋だ。荷物が増えすぎたので、まとめようと思って買ったのだ。
「よ、そこの君。荷物重くない? 持ってやろうか?」
ついでにちょっと探検してみようかなと、私は今まであまり歩いたことがない区画に足を踏み入れていた。曲がり角の先は、人通りの少ない細い通りになっていた。
あ、ここは早いとこ通り抜けたほうがいいなと思った矢先、そんな風に声をかけられてしまった。遠くから私をじろじろ見ていた二人の若者が、こちらに歩いてくる。
身なりといい動きといい、明らかに下町の、それもかなりがらの悪い連中だ。普通の女性なら、もれなく警戒すること間違いなしのうさん臭さ。
しかし私は、この程度で動じたりはしない。
バルニエの屋敷にいた頃、私はしょっちゅう屋敷を抜け出して、隣のルスタの町に遊びにいっていた。
カフェや買い物以外にも、酒場に行ってみたり、好奇心に駆られて裏通りをのぞいてみたり。領主の統治の腕の違いか、ここイグリーズよりもルスタのほうがよっぽど治安が悪かった。
つまり私は、こういう連中と出くわすのは初めてではない。
それに彼らは、はっきりいって弱い。一目で分かるくらいに弱い。
セルジュなら片手で叩きのめせるだろうし、老人だったティグリスおじさんでも易々と倒せる。私だって不意打ちされたりしなければ、同時に二人で襲い掛かってきたとしても問題なくやっつけられる。
そんなことを考えつつ、あいまいな愛想笑いを浮かべる。そうして、きっぱりと断った。
「大丈夫よ、自分で持てるから」
「気にしなくていいよ、俺たち暇だからさ」
「良かったら、一緒に遊ばねえか?」
ところが若者たちは、さらに食い下がってきた。眉間にしわを寄せて、困りますという雰囲気をはっきり出しつつ、首を横に振った。
「今日は一人でいたい気分なの。ごめんなさい」
さらにそう断って、その場を立ち去ろうとする。そうしたら若者たちが通せんぼをしてきた。
うわ、見た目通りに礼儀のなってない連中だ。これだけ露骨に女の子が嫌がっているのに、まだ食い下がってくるなんて。
「そう言うなよ。なあ、俺たちと来いよ?」
「きっと楽しい時間が過ごせるぜ」
「あの、だから通してってば」
困った。彼らはどうあっても、私を解放する気はないらしい。というか、明らかにいらだっている。そして、よからぬことを考えている。
気の弱い女性なら、それだけで泣き出してしまいそうな状況だった。
さて、どうしたものか。切り抜けるだけならいくらでも手があるけれど、できれば目立ちたくない。
叫んだら、表の通りから誰かやってくるかな。それとも誰もいない今のうちに、二人とも叩きのめして……。
「おい、何をしている」
物騒なほうの解決策を選ぼうかなと思ったまさにその時、聞き覚えのある声がした。え、どうしてここに。
内心思いっきり焦る私。そして、私の行く手をふさいでいる若者たちも急にうろたえだした。
「あ、俺たちは、その……」
「こちらの女性は嫌がっているだろう。さっさと去れ」
「す、すいませんでしたー!!」
そんな叫び声と共に、若者たちは走り去っていく。全速力で逃げ出したと言ったほうが正しいかな。あ、転んだ。
そろそろと振り向くと、そこにはセルジュが立っていた。
「あー、その。君……大丈夫か? 怖い思いをしただろう。よければ、大通りまで送るが……」
なんとセルジュはそんなことを言い出した。それも、やけにためらいがちに。……あれ、もしかして彼、目の前にいるのが私だって気づいてない?
私と彼とはかなり身長差があるし、太陽は私の背中側にある。そのせいで私の顔が逆光になっていてよく見えないのだろう。
それに私がこんな姿で出歩いているなんて、セルジュは予想もしていないのだと思う。彼、割と常識人なところがあるしね。
あともう一つ。彼は女性慣れしていない。そのせいか、さっきから私と目を合わせようとしない。目の前の女性が私だとばれていないのは、たぶんこの要素が一番大きい。
その時、ふといたずら心がわき起こってきた。うつむきながら、いえ、大丈夫ですと弱々しく答えてみる。
「そうか。それならいいんだが……気をつけて帰るんだぞ」
元気づけるようにそう声をかけてきてから、セルジュはきびきびと立ち去っていった。ほんの少し、ほっとしたような様子で。やっぱり、私だって気づいてない。
「彼、本当に女性が苦手なのね……」
セルジュの姿が見えなくなってから、ぼそりとつぶやく。
さっきのセルジュはとても礼儀正しかった。というより、腰が引けていた。口調もいつもより改まっていたけれど、ちょっぴり棒読みだった。
こうしてみるとつくづく、青年リュシアンとして彼と知り合えてよかったと思う。
リュシエンヌとして出会っていたなら、彼との距離が近づくのにもっとずっと時間がかかっただろう。今みたいに仲良くお喋りして笑い合うなんて、夢のまた夢だ。
そう思った時、またしてもいたずら心がわいてきた。彼、町で何をしてるのかな。帰りが遅くなるってわざわざ言ってたし、何か特別な用でもあるのかな。気になる。
それにエミールだって、セルジュを見守ってくれって言っていたし。そう、これは単に私の好奇心を満たすためだけのものではなく、心配する父親のためでもあるのだ。
顔を上げて、軽い足取りで進む。セルジュが去っていった方向へ。




