25.和解できて、ほっとした
そうしてやっと、いつものように砕けた雰囲気が戻ってきた。セルジュが私をまじまじと見て、不思議そうに言う。
「しかしお前、本当に貴族の令嬢なのか? 考え方も行動力も、そして身のこなしも、深窓の令嬢とは思えないくらいに変わっているだろう」
「前に話したよね、昔森の中で老狩人に出会ったんだって。その人、ティグリスおじさんに教えてもらったんだよ。……たぶん、僕も狩人として生きていけるくらいの技術は持ってると思う」
「たぶん?」
「……獣を狩るのが、ちょっとね……とどめを刺せないんだ。かわいそうで」
「そういったところは、普通に女性らしいんだな」
「まあね。別に僕は男になりたい訳じゃなくて、こっそり家を抜け出すために男装してただけだし。間違いなく女性だよ。君も見ての通り」
「こら、思い出させるな!」
「あはは、顔真っ赤」
そんなことを言い合っているうちに、気づけば二人とも笑い出していた。
「まったく、お前はおかしな人間だな。本当に女性なのか……いや、確かに女性だったな」
「あ、今ちょっと疑ったね? 僕が令嬢らしくないことは認めるけど」
その時、ふとあることを思い出した。
「そういえば、僕が婚礼の馬車から逃げ出さなかったら……僕たち、義理の親子になってたんだよね。結婚許可証はまだ取り消されてないから、僕やエミールがその気になったら、今からでもそうなれるけど」
何の気なしにつぶやいたそんな言葉に、セルジュがこの上なく険しい顔になった。ついさっきまで涙を浮かべるくらいに笑っていたのに。
「それだけは絶対に止めてくれ。お前を母と呼ぶくらいなら、家出してやる」
「エミールも、面倒な息子を持ったものだよねえ。強情で、良くも悪くも意志が強くて」
「それをお前が言うか? 俺が面倒な息子なら、お前は家出娘だろうが」
そんな言葉をさらりと聞き流して、肩をすくめた。こうやって言い合っているのも面白いけれど、それよりも先に、考えておくべきことがあった。
「でも実際問題、僕たちの結婚をいつまでも宙ぶらりんにしておけないんだよね。エミールさんに頼んで結婚をなかったことにしてもらうのが一番かもしれないけど……」
私も笑顔を引っ込めて、口をとがらせる。
「そうすると、リュシエンヌを永遠に行方不明にしないといけないからなあ……『私』が未婚のままふらふらしているって知ったら、うちの父はまた勝手に結婚を決めかねないんだよね」
「だったら、新たに結婚相手を見つけておいたらどうだ。父さんとの結婚をいったん白紙に戻して、改めてこれはと思える相手と婚約する。それならお前も、勝手に結婚させられることはなくなるかもしれない」
「確かにそれが理想だけど、こんなややこしい状況に置かれてる僕、しかもかなり野生児の僕と結婚してもいいっていう物好きを探すのが大変そうで」
自分で言うのもなんだけれど、私は妻としてはかなりの難ありだと思う。屋敷は飛び出すし、男装するし。いちおうちゃんとした令嬢としてふるまうこともできるけれど、ずっとそれだと息が詰まる。
ある程度私の言動に理解のある相手でなければ、結婚なんて無理だ。そういう意味ではエミールはありなのかもしれないけど、セルジュが全力で拒否しているし。
それにようやくこうやって自由になったのだし、せっかくなら好きな人の奥さんになりたい。貴族の令嬢には難しい話だけれど、元の身分を捨ててしまえば、何とかなるかも。
珍しくも私は、恋愛とか結婚とかについてちょっぴり前向きになりつつあるようだった。たぶん、リュシアンとして外の世界と存分に触れることができたからだと思う。
「……探さなくても、いずれ勝手に出てくるんじゃないか?」
セルジュがちょっぴり照れながら、そんなことを言っている。私と同じく恋愛には縁がない、しかも苦手としている彼とは思えない発言だ。
どういう意味なのかちょっと気になるけれど、彼の言う通り焦るだけ無駄かもしれない。果報は寝て待て、だ。
「そうかな? まあ、気長に探すよ。……あ、でも、旦那様を探そうと思ったら、その前に男装をやめないと……」
「はは、問題が山積みだな」
「もう、他人事だと思って。僕なりに必死なんだからね?」
じきに私たちは、ごく普通のお喋りに移っていった。時折私が女性だと思い出してしまうのか、セルジュがちょくちょく挙動不審になるのが、ちょっと面白かった。
話し足りなさを覚えながらセルジュの部屋を出て、離れに戻っていく。今夜は月に一度の、母とのお喋りの日でもあったのだ。
魔法の手鏡には、既にご機嫌斜めのお母様の姿が映し出されていた。
『もう、遅いわよリュシエンヌ。何かあったの?』
「……実は」
そうして、今日の昼間からのことを全部語って聞かせた。お母様は機嫌悪そうにしていたこともころっと忘れたのか、目をきらきらさせて身を乗り出している。
『あらあ、あらあらあらあ! そうなの、ついに打ち明けたのね! それで、セルジュの反応は!?』
「……母さん、ちょっと落ち着いてよ。……最初は思いっきり驚いてたけど、案外すんなりと納得してた。この格好で、男の口調で話している分には、今まで通りに接してもらえそうだ」
そう答えると、お母様は不服そうに頬をふくらませている。まったく、一国の王妃の表情とは思えない。
もっともそれだけ、お母様は私に親しみを感じてくれているのだろう。まだ赤子の時に離れ離れになってしまったけれど、私たちはそれでも母と子なのだ。
『今まで通り……今まで通りじゃ面白くないのだけれど。もしかしてセルジュは、あなたのことをエミールの妻、継母として認めてしまっているのかしら』
「それはない。僕がエミールと結婚したら家出するからなって、それはもう凶悪な目つきで断言してたから」
『あら、そうなのね! だったらリュシエンヌ、ここは押していくべきよ! 女だってばれちゃったんだし、積極的に迫っていきなさいな』
またしても身を乗り出すお母様に、頭が痛くなってきた。額を押さえてぼやく。
「あの、僕にそのつもりはないって……そもそも母さんはどうして、そこまで僕を誰かとくっつけたがるのさ。昔からずっとそうじゃないか」
『だって、大切な娘にも知ってもらいたいんだもの。恋をするって、素敵よ?』
「でも母さん。今でこそ母さんは幸せだけれど、僕の父との最初の結婚は散々なものだっただろう? おかげで僕は、恋愛とか結婚とか、そういうのに興味が持てずにいる。母さんも知っての通り」
お母様の雰囲気が変わった。少女のようにくるくると表情を変えていたその顔に、慈母のような微笑みが浮かぶ。
『……あなたの父との結婚は、親が決めたものだった。それでもちゃんとした妻になろうって、かつての私はそう考えて、努力していた。けれど結局、裏切られた』
その声には、ほんの少し悲しさがにじんでいた。でも同時に、お母様にとってそれはもう過去のことでしかないのだと、そう感じさせる何かもあった。
『そうして今の夫と出会い、恋をして……やっと幸せをつかんだの。だからあなたにも、ちゃんと誰かを思い思われる、そんな幸せを知ってほしい。私が望んでいるのは、それだけよ』
「……うん」
『まあ、何があろうと私がついているから、安心して突き進んでごらんなさい。どうしようもなくなったら、そこも飛び出してこちらにくればいいわ。一度、あなたの弟妹にも会わせたいし』
お母様は隣国ソナートに嫁いでから、子供を二人もうけた。十歳の男の子と、七歳の女の子。
父親違いの弟妹に当たる二人に、会ったことはない。魔法の手鏡越しに、肖像画を見せてもらっただけだ。弟ルイは母親似、つまり私とも似ている。妹は父親似らしいが、おっとりとした可愛い子だった。
聖女のごたごたが落ち着いて、遠出ができるようになったら、その子たちに会いにいくのもいいな。このイグリーズの町は、生まれ育ったバルニエの屋敷よりも、ずっとずっとソナートとの国境に近いし。
そう考えて、苦笑する。今の私は、どうやらまだここから逃げ出す気はないらしい。そのことに気づいて。
気に入らない結婚から逃げて逃げて逃げ続けた、そんな私が、ここに留まろうとしている。聖女としてあがめられ、不自由な思いをしながらも。
それがイグリーズの人たちに対する責任感によるものなのか、それとも違う理由からなのか、そこまではまだ分からなかった。




